Be more persuasive!

ズバリ「説得(力)」の話です。アメリカで勉強していた時、様々な種類のエッセイを書かされた。そのうちの一つが "persuasive essay" といわれるものである。要は「相手を説得するようなエッセイを書け!」と言うのが趣旨である。慣れないうちはエッセイの書き方に戸惑い、書いてはダメ出しをされて、再提出と言われたこともある。

図書館で「なんでやねん...?」と思いながら、再提出に向けてパソコンに向かっていたのを思い出す。結構悩みながら、題材を探し、そして試行錯誤しながら少しずつだが書き方に慣れていったのを今でも思い出す。

さて私が苦戦した理由は、まずこの種のエッセイを書いたこともなく、教えてもらったこともない...と言うことである。一応、型はアメリカの授業の中で教えてもらった。「提案」は言い切るんだ!「客観性」も必要だ!「レトリカル・クエッション入れとけよ!」など様々なことを教えてもらってきた。書いた経験がないと、最初はかなりの労力を要する。

一応、全て書いてみた。そして再度提出した。その時、言われたのが「再提出はこれでいいだろう...。ところでこの説得文は誰に対するものだ?」要するに「ペルソナは誰だ?」と言うことであった。

実は「誰が?」「誰に対して?」この文を見せようとしてるのか?そしてこの説得によって社会にどう言う機会が生まれ、それは今後どのように展開するの?そこを聞きたかったらしい。説得とは実はそう言うものなのかぁ、と改めて考えさせられた。

さて「説得」と言う言葉の響きの中にみなさんは、何を思い、何を感じるのだろうか?私は個人的に説得には正直ポジティブな響きがない。むしろネガティブだ。教師の側から生徒を説得するにしても、嫌な顔をされてきた。同僚や先輩教師との関係で言うと、説得と言うよりは事後報告でYESしか言えないこともあった。そこにあるのはペルソナが、延いては社会がどう発展し、何を創り出すか?と言う前向きなものはない。

しかし自分の中で説得をpersuasiveと置き換えた瞬間に別の概念が付与される。ペルソナは誰で、誰がステークスホルダーで、そしてこの人達を説得し、自己実現するために何を考えて、どう言う文書やスピーチを組み立てていくべきなのか?ますます自分がポジティブになれる。

よくよく考えるとこれってEntrepreneurの発想であると思う。アメリカで多くのアントレが生まれる風土的背景の中に実は、persuasive essayがあるのかなぁ、とふと考えた。同時にこれを高校生徒達にも広め考えさせる必要があると思う。

文科省の言う「思考力・判断力・表現力」を通して様々な取り組みを考えておられる先生方が全国にいらっしゃるとよく耳にする。それらの取り組みの一つとして私ならpersuasive essayを通してアントレ思考を持った生徒が一人でもクラスから出てきたら嬉しいなぁと思うのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?