木鶏

高校時代の恩師、本田裕一郎先生がよく話してくれた木鶏の話。

自分が教員になった今でも、この話は覚えているし、まだまだ木鶏には程遠いなと思う。当時60代であった本田先生でさえ、木鶏にはまだまだなれない、だから本をたくさん読み生涯学び続けるんだ、と言っていた。私もそんな教員になりたいので、日々学ぶことだけは継続している。そしてこれは一生辞めることはない。


「昔、中国に闘鶏を育てる名人がいた。
闘鶏とは鶏同士を戦わせる興行のようなもので、つまりが闘牛の鶏verである。

そんな名人の噂を聞きつけた闘鶏好きのある国王が、名人を呼び寄せその腕を見込んでこう頼んだ。
「どうか私のために強い闘鶏を育ててほしい」
名人は、おやすい御用だとばかりに快く請け負った。

名人は早速闘鶏の訓練を開始した。
国王は闘鶏が育つのを心待ちにしていたが、気が短い性格なのか、数日経ったころ我慢できずに名人に問いかけた。
「もう闘わせてもよいのではないか」

しかし名人は首を横にふる。
「いえ、まだまだです。ゆっくりお待ちください」

しかたなく国王はもうしばらく待つことにしたが、また数日経つと名人に尋ねた。
「そろそろ強くなった頃合いだろう。
闘わせてもよいのではないか」

しかし名人はまた首を横にふる。
「いえ、この鶏はまだ虚勢を張っています。
闘わせるには未熟です。
もうしばらくお待ちください」

残念な気持ちを隠しきれない国王であるが、名人が言うのだから仕方ない。
しかし我慢ばかりもしていられず、しばらくするとまた同じように鶏のデビュー戦を促すのだった。

それでも名人はなかなか首を縦にふらない。
「他の鶏を見ると興奮してしまう」
「まだ気負いが垣間見られる」
満足のいく状態には仕上がっていないのだと、国王の言葉を幾度となく退けた。

そんなやりとりが繰り替えされ数十日が経過したある日、ついに名人は満足のいく鶏に仕上がったといって1匹の闘鶏を国王に献上した。
そして、名人は国王にこう告げた。

「どれだけ強くても、その強さを見せびらかしたり自惚れているあいだは本物ではありません。
虚勢も威嚇も興奮も気負いも、すべて未熟な心から生まれるものです。
けれどもこの鶏なら大丈夫です。
他の鶏の鳴き声を聞いてもまったく動じず、木彫りの鶏のごとく平然としていられます」

名人の考える「強さ」とは、木彫りの鶏のごとく平然であることだったのだ。
もっとも、この言葉の裏には、権力者の最たる者である国王のあるべき姿を指摘する意図も含まれていたのかもしれないが……。」

引用参照:https://www.zen-essay.com/entry/mokkei-shiyaninaku

木鶏という言葉が生まれた経緯は以上である。
このことから木鶏とは、

泰然自若とした境地、無心の境地こそ本物の強さ

という意味を持つ言葉として広まることとなった。

私は高校時代、本田先生から、「とにかく何事にも動じず、オーラで相手に勝ってしまうような最強の状態」だと教えてもらった。

私たちサッカー部員は、互いに木鶏という言葉を日常会話の中に入れ、常にその最強の状態になれるよう意識して生活した。結果、サッカーにおいては対戦相手をプレーでも気持ちでも圧倒し、試合をする前から相手チームにやりたくねえな〜と言われることもあった。

もちろんこのような状態になるまでは本当に長く苦しい時間が続いた。毎日死ぬほど走った。
千日修行という言葉で本田先生は高校3年間を表した。
あの3年間は本当に人生の大きな財産になった。


そして大学に進学した私は、また0からのスタートを切ることになった。

そう、高校サッカー界では木鶏の域に達していたかもしれないが、それでも日本一は取れていないし、ましてや大学サッカーにいけば、底辺からのスタートだった。
ここで私は思い知ったのだ、過去の経歴とか、そんなもので威張っていても、上には上がいて、努力しないやつはどんどん抜かされていく。大事なのは今を一所懸命に生き、日々鍛え、努力することなのだと。謙虚な姿勢をもてるようになったのも、大学でこの気づきがあったからである。



人生において、これくらいでいいや、ということはない。

常に学び、成長し続けなければいけない。
木鶏のような状態を目指し生徒を指導するが、

私もまたいつの日か、
木鶏になれるようこれから何十年先も
学び続けていきたい。



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