【長編小説】アイドル山田優斗の闘い|9)第8章 再びテレビカメラの前に

 ここでまた、山田優斗人気を決定づけることが起こる。山田優斗出演のバラエティ番組がスタートしたのだった。タイトルは「山田優斗の政治ってどうなっているんでショー」本当に素晴らしいタイミングだった。各局のワイドショーでトップニュースで扱われている人物がいきなりバラエティーショーを始めたのだから。この番組もやはり仕掛けたのは飯島だった。かなりとぼけたタイトルだったが、内容はその都度都度の政治の問題を山田優斗がわかりやすく伝えるというものだった。基本は彼が最初の出たニュースショーのフォーマットを踏襲したものだった。彼が白井を通して面識のある局のプロデューサーに持ち掛けたものだった。彼は山田優斗が議員に成る前からこの案を腹案として持っていた。彼が短期的に国民の人気を得る政治家になるためには、最適な方法は彼を政界の池上彰にすることと考えていたのだった。高い視聴率を取り国民的な人気を取るためには、難しいことをやさしく説明する番組は大評判だったが、山田優斗が大人気のキャスターの代わりを務める条件は全てがそろっていた。彼の人気、そして難しいことをわかりやすく伝える能力、そして国会議員でありながらどの党の代弁もしていないと勘違いさせる彼のコメント力、現状飯島の提案を断るプロデューサーは誰もいなかったろう。視聴率が取れてスポンサー的にも受けがいい、こんな番組を断るやつはいない。B局のプロデューサー桜井氏は白井の要請を簡単に受け入れ、白井と桜井の面会となった。冒頭番組の内容を問われて白井が回答した。

「この間A局で山田優斗が出演したニュースショーのイメージでと表現するのが一番テレビ局の方にはわかりやすいと思います。基本的に山田優斗はどの党の立場も代弁しません。野党・与党の両方の立場を両論併記的に解説することはありますが、基本それは中心ではなく、全世界の具体的な実情を具体的に伝える内容を想定しています。」

加えて最終的には飯島の提案には無かった業界の代表的な権威が彼のコメントに左右されず、自由に日本の問題点をコメントするという形をとった。そして、『山田優斗の政治ってどうなっているんでショー』はスタートした。

第一回は「公文書公開法案」だった。30分の番組だったが先のニュースショーの内容をより深化させた内容だった。先の法案は世の中の動きに押されて成立した法案であり、その内容の全てが十分に理解された内容ではなかった。だがこの放送を行うことによって後追いではあるが、より多くの人に問うている内容が十分に説得力があり、彼の立場を応援する人を確実に増やしていった。その分野に知識のない人間にも容易に理解できる内容だった。番組の最後に、彼が以前出たニュースショーと同じこの分野の最高権威がコメントした。

「私が説明してもほとんど同じ内容を説明するように、各国の状況を正しく理解し、またどちらの立場にも偏ることなく解説いただいたと思います。私から追加でコメントさせていただく内容は特にありません。」

再び称賛のコメントを出した。そして、数日後に調査会社から視聴率が発表された。番組全体で30.4%。局の関係者は狂喜した。この時点で次回番組の収録は終了したが、次回はよりチャレンジングな内容だった。「憲法改正を考える」だ。現政権が最大目標の課題として掲げており、種々のテレビ討論番組で取り上げられていた。だが見ているものの多くが満足するような番組はほとんどなかった。この話題に関しては与党、野党間の意見の隔たりが大きすぎてこの問題に関心がある人もその手の討論番組を見てもそれぞれがそれぞれの立場を主張するだけで、進展が見られない。内容は情緒的なものになり、反対派の意見も含めて何が問題の要点なのかを最終的に整理されていなかった。そんな中、山田優斗の番組は新鮮でユニークだった。この番組に対する反響はすざまじかった。特に若い年代の反響がものすごかった。

「自分は今まで政治に全く関心がなかったが、山田君が政治の番組をするということで見ましたが、日本の現状がよく分かったし、与党、野党がどのような現状の上にどのような主張をしているのか、よく理解できました。自分は与党の意見には反対で、どちらかというと野党の意見に賛成していますが、今の野党の意見も反対のための反対と感じてしまう面があり、国民にためには具体的にどのような案がいいのか現憲法でも足りない部分はあるので具体的な提案をしてほしいと感じています。」

本当に沢山来た視聴者の意見の一つにこのようなものがあった。プロデューサー桜井はこの投稿を見て思わず熱いものをぐっとかみしめていた、桜井はどちらかというとリベラルな政治志向を持った人間だった。そんなこともあって彼自身も政治的な番組を希望していたが、初めてフロアのディレクターとして仕事をしたのは政治討論番組だった。左右の全くすれ違った討論の間に紹介される視聴者の声も右か左かどちらかの意見を代弁する意見のみだった。桜井は番組が終了するたびに途轍もない疲労感に襲われた。こんなことをやっていても日本の政治はひとつもよくなっていない、加えてこの番組を見た視聴者は与党、野党が何を主張しているかは理解できかもしれないが、政治が何をすべきかという見識は全く醸成されない。そんな気持ちが回を重ねるうちに増大していくのだった。担当していた番組は3ヶ月で終了し、桜井は別のバラエティー番組の担当になったが、自分の問題意識と番組の現状が澱のように心の中に残っていたのだった。いろいろな番組を担当しても心の底に残っていた澱がフラッシュバックして彼に熱い感情を起こさせるものだった。

ご祝儀相場も含んだ初回よりは視聴率は下がったが30%を少し下回るレベルだった。しかしその評価は前回同様すこぶる高かった。まず放送業界、そのあと関連の学者たちがこの番組を絶賛した。彼らの一部の投稿したSNSがものすごい速度で拡散されていった。そして、放送の3日後には彼の「山田優斗の政治ってどうなっているんでショー」はネットの話題のワードランク1位になった。第三回からは見ている層がこれまでの視聴者に加えて普段は全くテレビを見ない若い層も加わってさら視聴率を押し上げた。第三回は平均視聴率35%に達した。そのクールのNHKの連続ドラマは極めて人気があったが、その週の最高視聴率をNHKの連続ドラマと分け合っていた。だれがそんな山田優斗の番組をよく見ていたのか?視聴率を支えていたのは20代の男女だった。本来そのような話題の番組に関心が薄い層ではあったが、その人たちにも極めて人気があった。スタートして、女子高生、大学生の間で番組の題名を縮めた「政どうショー」が一般的な言葉になっていた。

女子高校生の間でも普通に

「ねえ、昨日の『政どうショー』見た?え、見てないの。いやだ、税金のはなしだったけど来年選挙権をもらったらすぐに関係ある問題だったよ。」

「へー、そうなんだ、見ればよかった。」

のような会話が本当に多くかわされていた。この番組を得て山田優斗は日本で一番政治のことを偏った立場ではなく解説してくれる人という印象が、国民全体に特に若い層に浸透していったのだった。

  番組の一コーナーとして山田優斗が提案し実際に立ち上がったのが、国会に提出された優斗の法案の動向をフォローするコーナーだった。ちょうど法案が衆議院を通過するタイミングだったので、動向を注目していた人たちもその状況を知ることができた。この法案の最大の味方はこの番組を見ている人たちだった。このタイミングでもこの法案を応援してする人たちの声がこの法案の内容を修正させることの抑止になっていた。

政治とは、異なる意見の調整である。調整というか妥協である。異なる意見をそれぞれ立場で少しずつ妥協をして全体に受け入れられる内容を作り上げるということである。今回の意見調整ということになると具体的に国民対与党の図式になってしまった。世の中にその図式はあらわになっている以上、その法案の内容に手を付けることは与党にとっても野党にとってもできなかった。大衆の意思が、見えない津波のように政界の全てもろとも流していった。法案が提出された時点では想像できなかった事態が展開していた。そして1週間後衆議院を通過した。だがその先にもう一つの壁、参議院があった。
 参議院は衆議院と比較して与野党の比率は拮抗していた。その状況、この状態で参議院が衆議院と異なる決定をしても、最終的に衆議院の案が通るが確定していた。そして山田優斗の作った大きな波は参議院をも乗り越えた。彼の法案は参議院でも無修正で原案通り、成立した。

  法案が成立しても、山田優斗の注目度は変らなかった。それに加えて彼の人気を上昇させる新たな出来事が起こった。舞台はやはりテレビだった。話題を呼んだ「政どこショー」は3ヶ月で終了したが、今度は夜8時というゴールデンの真ん中の時間に移動し、1時間の新番組が山田優斗が主演で始まった。タイトルは「世の中どうなっているんでショー」いってみれば焼き直しというかフォーマットはほとんど同じだったが、扱う話題が今回は政治に限らず、さまざまな社会的話題を取り上げたのだった。格差、貧困問題、医療技術の発達の問題。扱う問題はバリエーションに富んでいた。様々な問題を扱うと言っても社会的な問題である以上、全く政治と無関係ということなかった。直接政治的な問題でない場合は彼の意見コメントも入れていくようになっていた。この番組もスタートは38.7%という驚異的な視聴率を記録した。そしてその視聴率のニュースを見た人が番組を見るという好循環で高い視聴率を保っていた。政治家の多くはテレビのバラエティに出演すると本業をおろそかにしているという批判を受けることが多かったが、山田優斗がそのような批判を受けることはほとんどなかった。あまりにも強大な人気のせいか、山田優斗の発言や応対の無難さなのか、わからないが全く問題になることはなかった。日本のテレビの歴史上はじめて、政治家の大人気テレビタレントスーパースターが誕生した。さわやかなルックスと的確なコメント、要所にユーモアを挟み、最終的にポイントを押さえたまとめをする。テレビ関係者が見ていてもまさに天才だった。テレビ関係者は新たなスターを大歓迎だったが、反対に政界はこのスターの扱いに苦慮し始めていた。これは海千山千の与党のベテラン政治家も同じだった。何と言っても国民的人気を持つ山田優斗の語る正論を押さえつけることは全くできない雰囲気となっていた。腫れ物に触るような感覚があった。

 そのような微妙な状況の中、政治的な日程は進んでいく。その年は統一地方選挙の年だった。そもそも、地方選と中央の総選挙は別のものと言われている。中央で大きな政変があっても、それがすぐに地方には反映する訳ではなかった。中央で何が起ころうが、個々の議員のパワー、ネットワークが強力であれば全く影響されないのだった。何回か前の総選挙の際、中央で与野党逆転あった後の最初の統一地方選でも従来の与野党勢力に大きな変化はなかった。一方で、総選挙や参議院選挙の際に現場の実働隊として動員されるのは、地方の有力議員だ。一般的な人気がある議員は別として、いわゆるどぶ板選挙の場合、最後に差がつくのは現場の実働部隊の質と量ということになる。総選挙に備えるための自力づくりの意味もあった。
 統一地方選の最初は都道府県の首長の選挙である。国民共和党の幹部も大人気の山田優斗の人気に頼ろうとするのは当然だった。その第一弾は北海道を含む、4道県であった。それらの知事選の公示の2週間前に控えた日、山田優斗は国民共和党の幹事長に呼び出された。

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