「自分を信じろ!」 サン工業・桃澤選手インタビュー(2018年10月)

トラックサイドで観戦していると、サングラスを外しながら「こんにちは~」と、いつもにこやかに歩いてくる彼。
桃澤大祐。サン工業。25歳。
かつて、山梨学院大学で箱根駅伝6区を3度走り、山下りのスペシャリストとして知られた選手だ。
卒業後は、郷里・伊那に戻って、会社勤めのかたわら、市民ランナーとして走り続ける道を選び、自分で練習メニューを考え、自分で出場レースを選んでエントリーし、自ら運転して出掛け、あちこちのレースを走っている。
ご存知の方も多いだろうが、この秋、彼は5000mで13分台ランナーの仲間入りを果たした。

400mのトラックを1周67秒のペースで12周半走ると14分を切るタイムになる。
その達成は、長距離ランナーにとって、ひとつのステータスシンボルにもなり、多くの選手にとっての大きなハードルであり、目標でもある。

いま、日本では、5000mを13分台で走れる選手は、高校生は毎年数人。大学4年間で13分台をマークする選手が100人前後。より長い距離であるマラソンなどの種目にメインが移る実業団では大学生と同じか、やや少ないくらいの人数。
箱根駅伝に出場する選手でも、13分台の記録を持っていない選手は多数いる。
そう考えれば分かる通り、その記録の難易度は高い。

大学時代のベスト記録が14分40秒台、社会人になって昨年までのベスト記録が14分12秒だった桃澤が、ことし13分台で走ると予想していたひとが、果たしてどのくらいいただろうか?

9月の世田谷競技会で彼が13分55秒で走った翌週、ぼくは彼にインタビューを申し込んだ。
あちこちの競技会でしょっちゅう顔を合わせ、いつも雑談がてら、いろんなことを気さくに話してくれるのだけど、これを機に、彼のここまでの歩みを詳しく知りたい、直接、彼から聴いてみたい…と思ったから。

インタビューは10月21日の日体大長距離競技会で、彼が5000mを走る数時間前に行った。
彼の競技人生の始まりから今に至る途を、彼らしいユーモアをたっぷり交じえて話してくれた。

【1】陸上競技へ

ーーー 最初に…陸上競技を始めたのはいつですか?

桃澤:中学1年からです。中学校の部活で、最初は部活をするつもりは無かったんですけど、親から「何か部活をしなさい」と言われて…(笑)
でも自分の中学はあまり選択肢が無くて。バレーボール部か野球部か陸上部か吹奏楽部だけだったんですけど、まず音感が無いので吹奏楽はないな…と(笑) で、バレー部と野球部は先生が厳しくて怖いな…と(笑) 陸上部の先生はユルくて、ラクできそうだな…と(笑)

ーーー (笑)消去法で残ったのが陸上だったんですか…。それまで、走るのが速いっていう自覚や自信はあったんですか?

桃澤:学年全体で6番だったことはありましたけど、それで自分から陸上競技をやろう!ってほどではなかったです。

ーーー そこから長距離を始めたんですか?

桃澤:いえ、最初は幅跳びですね。一番ラク出来そうだと思って…(笑) でも跳躍系は向かな過ぎて、やっぱりムリだなぁ~…と分かって、次に一番サボれそうな長距離に行ったんです(笑) 1年の夏過ぎくらいだったかな…。

ーーー で、走ってみたら「オレ、イケてる!」って思いました?それとも「もうちょい頑張んないと」って思いました?

桃澤:「頑張んなきゃ」とは思わなかったですねぇ…ただやってるだけで。「イケてんじゃね?」とかもなかったです(笑)

ーーー 箱根駅伝を走る選手のなかには、中学で走り始めた頃からテレビで箱根駅伝の中継を観て「自分も将来は箱根を!」って目標を持つ選手も少なくないですが、桃澤選手はどうだったんですか?

桃澤:そういうの全然なかったですねぇ(笑)

ーーー 箱根駅伝は意識に無かった?

桃澤:まったく…(笑)

ーーー その頃の競技レベルはどのくらいだったんですか?

桃澤:県大会の前の地区大会も越えられなくて…県大会には出られなかったです。
駅伝で北信越に行って入賞したくらいですね。その時に3000で9分半までタイムを伸ばせて、そのタイムで上農(上伊那農高※注)に行ってた先輩に誘われて...当時はとくに夢とか目標があったわけではなかったですし、駅伝で北信越まで行けたので、楽しいから高校でもやってみるか、という感じで上農に行ったんです。
※注 伊那地区には、上伊那農高と下伊那農高があるので、地元のひとは上伊那農高を「上農(じょうのう)」と呼ぶ。

ーーー 長野県だったら、佐久長聖っていう名門があるわけじゃないですか?「佐久でやったるで!」みたいな意識はなかったですか?

桃澤:そこは全く無かったですね。恥ずかしい限りです(笑)

【2】高校時代
1990年代の半ばまで、長野県代表として何度も都大路で襷を繋いだ古豪・上伊那農高。
しかし、桃澤が上伊那農高に入学した2008年の暮れ、同じ長野県内の佐久長聖高が、前年に0秒差で優勝を逃した悔しさを晴らす圧勝で全国高校駅伝を制覇する。
その頃、既に佐久長聖は、県内はおろか、全国から有力な中学生が集まるチームとして、高校長距離界に君臨していた。
一方、当時の桃澤少年は…。

ーーー 高校に進んで...最初のレースはどうだったんですか?

桃澤:たしか5000のレースで、地区の選手権(※注)だったと思うんですけど、16分半くらいでした。
(※注 2008年5月24日 上伊那春季陸上選手権5000m 9位 16分31秒7)

ーーー 中学で3000が9分半だった選手が高1の最初の5000でそれなら、そんなに悪くないんじゃないですか?

桃澤:そう...なんですかね?

ーーー 当時の身近なライバルと呼べる存在は、どんな選手がいたんですか?

桃澤:始めた頃はそう意識する選手はいなかったんですけど、高2~高3では小林巧(下諏訪向陽高→東海大→現・セキノ興産)ですね。地区が同じ(南信地区)で顔を合わせることが多かったんで、彼を意識してたのはありますね。

ーーー あと、ぼくの調べた限りだと、原くん(原広野選手・伊那北→東京学芸大)とか。

桃澤:原広野は...2年の後半から伸びてきたんですよね。それまでは意識してなかったですね。ただ、2年の終わりから急激に強くなって、彼はインターハイまで行って...うわ、こりゃ勝てねぇな、と思い始めていたら、伊那北は進学校なんで、インターハイ終わったら部活引退しちゃって...。

ーーー 長距離以外だと、インターハイ800王者で高校記録も作った川元くん(川元奨選手・北佐久農高→日大→現・SUZUKI/800m日本記録保持者)も同学年ですよね。

桃澤:川元とは県縦断駅伝(※注)で一緒に走ってるんですよ(笑) で、自分が勝ってるんです。ラストで抜きました(笑) 800じゃ絶対に勝てなかったけど、7~8kmのラスト800なら勝てる!みたいな感じで(笑)
(※注 2010年11月 長野県縦断駅伝の2区7.8km区間。11位で襷を受けた上伊那チームの桃澤が区間3位で7人抜き。18秒先行してスタートした全佐久チームの川元をも抜き去った。川元も区間5位と健闘。 )

ーーー 他には、後に山梨学院でチームメイトになる福沢くん(福沢潤一選手・佐久長聖高→山梨学院大)ですか?

桃澤:ですね。高3の春に、市町村(対抗駅伝)の時、初めて話したんです。中学の頃から存在は知ってたんですけど、速くて、雲の上の存在でした。

ーーー けっきょく、高校時代のベスト記録はどのくらいだったんですか?

桃澤:15分18秒です。高3の12月の日体大(※注)でした。
(※注 2010年12月5日 日体大長距離競技会 5000m19組13着 15分18秒25。ちなみにその日の同じ組では、後に国士舘に進む藤沢翔陵高・石井秀昴選手、青学に進む佐久長聖・池田生成選手らも走っている)

ーーー (県高校駅伝以降も引退せずに)ずっと走ってたんですね?

桃澤:卒業までやってました。

ーーー それは、山梨学院に行くことが決まってたから走り続けてた、ってことですか?

桃澤:山梨に行くのはけっこういろいろあって...。
まず夏の時点で15分40秒だったので、力量としてはまったく行けるレベルではなくて、最初は就職路線だったんです。
でも高3の夏に急に「箱根を走りたい!」って言いだしたんです。

ーーー 何かきっかけがあったんですか?

桃澤:その前の冬の箱根駅伝を、上農の先輩の中塚さん(亜大・中塚陵太選手/2010年86回大会・6区62分18秒・区間17位)という方が走られたんです。それを観て、「自分も走ってみたいなぁ」と思ったんです。
でも、「走ってみたいなぁ」くらいで、確固たる(意思のような)ものはまだ無かったんですけど(笑)
それを顧問の先生に相談したら、応援してくださったんです。
で、先生が、富士見の全国合宿にスカウトにいらしてた山梨学院大の上田監督に話をしてくださって、上田監督からは、一度走りを見てあげるよ、と返事をいただき、実際に監督の前で走ったのが9月の山梨の県記録会で...

ーーー そこでやっちまったんですね(笑)

桃澤:そうなんですよ、そこで18分40秒だったんですよ~(笑)
でもその時に、電話番号を訊かれて、自分としても入りたいですという希望を伝えて。
ただ、入れても、寮(1軍)ではなく、サテライト(2軍)だと自分で思っていたんです。
なので、寮外生のつもりでいたので、12月に指定校推薦の受験に甲府に行ったときに、春から住むアパートも決めてきたんです。
そしたら1月の終わりごろに突然、「いつから来るの?寮はもう空いてるから、いつでも入れるんだけど?」と連絡があって、「ええええ!?」となってしまったんです(笑)
実は、12月に15分18秒までタイムを伸ばしてたので、タイム順で寮に入れることになったっぽいんですよ。
寮生(1軍)になれたのは良かったんですけど、けっきょくキープしてあったアパートは、不動産屋に文句を散々言われて、解約に40万円払うことになりました(泣)

【3】山梨学院大学へ
桃澤が入学する3ヶ月前の箱根駅伝で、山梨学院は高瀬無量(現・日清食品G)をエースに、復路で激しくシード権を争いをするが、10区の終盤で争いから脱落。
ゴールの大手町では4チームが競り合う中、國學院・寺田がコースを間違えて、あわや…という記憶に残るハプニングも起きる。桃澤が門を叩いたその年の山梨学院は、立川の予選会から出発するチームだった。

ーーー そんな紆余曲折がありつつも入学した山梨学院。箱根駅伝を走っている先輩たちと一緒に走りだしてみて、描いていたイメージと違いはありました?

桃澤:イメージしてた箱根駅伝は「テレビの世界」だったので、現実とはあまりに違い過ぎてて、もう苦しかったですね。ある程度の苦しさは覚悟していたつもりだったんですけど...。

ーーー その違いっていうのは、練習の部分ですか?それとも日々の生活面ですか?

桃澤:どっちもですね。思ってたよりキツくて、思ってた以上のギャップにやられました。

ーーー 高校時代も朝練はあったんですよね?

桃澤:いちおう、あったんですけど、そんなキツくはなかったですし、「まとまって走ろう」みたいな感じが優先で。

ーーー 大学に入ってレベルの差を痛感して、心が折れる選手も少なくないじゃないですか?

桃澤:はい。もう自分も心が折れました(笑)

ーーー いったん折れたんですね(笑)

桃澤:折れました(笑) 折れて、サテライト(2軍)に行きました(笑)
それも、(部を)辞めるつもりでサテライトに行ったんですよ。正直、「もう箱根ムリだぁ(泣)」と思って...。
ところが、サテライトの練習がうまくハマって、走力が伸びてきて...(笑)

ーーー 当時はサテライトでは誰に見てもらってたんですか?

桃澤:大野コーチです。

ーーー じゃあ、その後、大学での初レースは...いや、春先に走ってるんですか?

桃澤:3月に故障してたんで何も出てないままです...故障したんで心が折れたんですよ、ポキ、ポキ、ポキッと(笑)
なので、初レースは9月でした。15分45とか。山梨県記録会です。

ーーー それは、もしかして1年前に...?

桃澤:そうです。1年前に18分かかったのと同じ記録会でした(笑)。

ーーー それから立ち直って、2年生のときから3年連続で箱根を走るまでに成長を遂げるわけですが、「オレ、箱根、走れるぞ!」って手応えを感じ始めるのは、いつ頃からになるんですか?

桃澤:2年の夏に、6区を想定した下りのトライアルを部内でやった時に、1番を獲っちゃったんです。それで「お!これ?イケるんじゃね?」みたいな(笑)
その時まで、周囲からは、「桃澤はスピードが無いから、絶対に6区はムリだよ」って言われてたんですけど、そのトライアルでトップだったので、「ワンチャン、イケるんじゃね?」って思い始めました。

ーーー 自分に下りの適性があるっていう自覚はあったんですか?

桃澤:上りと下り、どっちが苦手じゃないか?って言われたら、下りのほうがまだ嫌じゃなかった…ってくらいです(笑)
それと、高校の先輩(亜大・中塚選手)が走られたのが6区だったから興味があったってことと...たぶんそっちのほうが(6区を志願した動機としては)大きいです。
あとは(長野県の先輩でもある)千葉健太さん(佐久長聖→駒澤大→富士通)も6区(当時の区間記録保持者)でしたし。

ーーー その後、6区を3年連続で走って、山下りのスペシャリストになったわけですが…6区を走るのに必要な要素って、いろんな人にいろんな持論があると思いますが、桃澤選手はどう考えてますか?

桃澤:要素というより、自分自身がその区間を走りたいって思う気持ちと、どう攻略するかを自分なりに考えることだと思うんですよね。
人によって走法も違うし...自分はピッチでしたけど、千葉健太さんや代田さん(代田修平選手・佐久長聖→中大→現・カネボウ)は目いっぱいストライド伸ばして下りていってたし...
たぶん「これ!」っていう正解は一つではなくて、それよりも、自分が6区を走りたいって思ったときに、そこをどう走るか、研究する気持ちのほうが大事だと思うんです。
そう意識する中から、下りを走るテクニックが生まれてくるんじゃないかな?と思います。

ーーー 2年生で最初に走った時は、けっこう厳しい結果(62分34秒・区間18位)で、その後、3年(60分58秒・区間10位相当)、4年(59分38秒・区間5位)と良くなっていく中で、6区に対する意識の変化のようなものがあったんですか?

桃澤:そうですね…。最初に走った後に、何とかしなきゃいけないな、とは思っていたんです…。ただ、3年になった当初は全然走れなくて。
理由は、もともと貧血だったので、その対策で鉄の点滴を摂りすぎたら肝臓の数値が悪くなって、けっきょくそれは正常値に戻るまで5年掛かったんですけど(泣)、それが苦しかったです。
まぁそれでも6区を走りたかったので、下りばっかり練習で走ってましたし、本当に1年間のサイクルを6区を走るために特化して(練習を)やってました。「6区はオレのものだ!」ってつもりで。

ーーー 箱根駅伝の特番での山梨学院の夏合宿の映像の中で、桃澤選手がひたすら下り坂ダッシュを繰り返してる様子が映ってましたよね。

桃澤:あれは、山口さん(山口大徳選手・2010年87回大会で山梨学院大の6区で出場。区間6位で5人抜き。山口選手の卒業後に、桃澤選手が入れ替わりで入学)と話す機会があって、山口さんもひたすら一生懸命に下りをやってたと聞いて、「オレもやろう!」って思ってやり始めたら、思いの外、それがハマって…。下りの2km+1kmをポイント練習の前日にやったりとか…。

ーーー それは本番と同じような突っ込んでいくペースで?

桃澤:そうですね。(2kmを)5分10秒とか、下りの動きをそのまま出来たので、山梨なのでアップダウンなんてそれこそいっぱいありましたし。

ーーー もしも今の13分台の走力があって、もう一度、箱根駅伝を走っていいよ、と言われたら、走ってみたいのはどの区間ですか?(笑)

桃澤:(間髪を入れず)あ~、やっぱり6区ですねぇ。58分(※注)切りたいなぁ…って。
(※注:現在の区間記録は、93回大会で日体大・秋山清仁選手が出した58分01秒)

【4】卒業後、市民ランナーとして走り出す

ーーー 山梨学院大の卒業後は、帰郷して、現在のサン工業に就職しましたね。

桃澤:地元に帰るのは当初の予定通りです。ただ、どういう仕事に就きたいか、っていう希望はとくにありませんでした。
どこか実業団で走りたいな、という気持ちもありましたけど、それは監督やコーチを通じて頼んで入れてもらうくらいしかなくて、凄く悩んでて…。
そもそもサン工業に入ったのも、本当に偶然というか、最初はまったく考えてなかったんですけど、合同説明会のときにいろいろ話を聞いてまわって、時間が余ったんです。
それでサン工業のブースに立ち寄ったら、受付の女性がピシッとしたすごく姿勢のきれいな方で、社長もその説明会の主催者だった関係でそこに居て、で、箱根駅伝の話で盛り上がって…(笑) で、「来てくれる?」「じゃあ工場見学に行ってみたいです」みたいな話になったんです。
でも、その後もいろいろ考えてたら、結局、エントリーシートを出さないまま締切日になってしまって…。
そしたら夕方5時くらいに、その姿勢のきれいな女性が実は総務の方だったんですけど、「まだ届いてないけど、どうしたの?」って、わざわざ電話をくださったんです。
それで「いや、実はまだ悩んでて、書いてないんです」って正直に話したら、「だったら、明日でもいいから」と言われて、もう持って行かざるをえない状況になってしまって(笑) じゃあ行くか!と。
で、行ってみたら、先輩社員の方から聞く話もすごく印象が良くて…サン工業に決めました。

ーーー サン工業は伊那駅伝(※注)のプログラムにも大きく広告出稿してるじゃないですか?あれは桃澤選手がいるからなんですか?
(※注 毎年3月に伊那で開催される高校駅伝のビッグイベント。全国から強豪校が集い、近年では暮れの全国高校駅伝を占う大会にもなっている)

桃澤:いえ、伊那の商工会議所の会頭をウチの社長が務めていて、そういう絡みであの広告は前から出してたんですけど、そこにたまたま自分が入社して、じゃあ桃澤の写真を大きくして出そうか、みたいな感じで、自分の写真が入るようになったんです。

ーーー 桃澤選手も高校時代に伊那駅伝を走ってるじゃないですか?その時は…。

桃澤:その頃もサン工業は広告を出していたんですけど、当時はまったく知りませんでした(笑)

ーーー 差し支えない範囲でいいので、現在の大まかな練習内容を教えてください。

桃澤:水・土・日曜がポイント練習で、火・木・金曜がjogで、月曜が緩急って感じです。

ーーー 土日はレースに出ることが多いので、けっきょくそれがポイント練習代わりになるってことですか?

桃澤:そうですね。

社会人1年目。サン工業ユニフォーム初期バージョン。 2015年5月の世田谷競技会で、当時の自己新記録である14分37秒をマークした。

ーー 今年は春から多くのトラックレースに出場されてますが、ぜんぶ把握してるんですか?(笑)

桃澤:あ~…実は長野県の陸協のサイトがスグレモノで、陸協登録してあれば、選手名で検索すれば、公認レースの結果が全部表示されるんですよ。

ーーー これは!素晴らしい!便利ですね。

桃澤:これで48レースの結果があるんですけど、これ以外に、これに載らない公認競技以外のロードレースをいくつか走ってるので、いま全部で50ちょいですね。

ーーー ほぼ毎週末、何らかのレースを走ってますね。

桃澤:そうですね。独りでの練習はなかなか厳しい部分もあるので…その辺は実戦でカバーって感じです。

ーーー 川内選手(川内優輝選手・埼玉県庁)のメソッドに近いですね。

桃澤:川内さんを真似したわけではないんですけど、いろいろやっていくうちに、結果的に同じようなやり方になってます。

ーーーいま、使っているシューズは?

桃澤:jogのときは、NIKEのペガサス35を履いてて、クロカンとかを走るときは、ズームフライを履いてて、速いときは、ヴェイパーを履いてて、トラックは基本的にヴィクトリーです。レースもロードはヴェイパー、トラックは10000までヴィクトリーです。
トラックでの練習は全部スパイクを履くので、スパイクは年に5~6足は履き潰します。

ーーー桃澤選手と言えば、ナイターのレースもサングラスをするほど、サングラスが好きで、代名詞のようにもなってますが…。

桃澤:あれは…上野裕一郎さん(佐久長聖→中大→DeNA)の影響です(笑) もうあれがカッコ良くて…。
いま使ってるのは、オークリーのレーダーロックです。平昌オリンピック仕様の限定モデルで、アシンメトリーなのが気に入って使ってます。全部で4つ持ってますけど、本当は佐藤悠基さん(佐久長聖→東海大→現・日清食品G)や鎧坂さん(鎧坂哲哉選手・世羅→明大→現・旭化成)みたいにもっとたくさん持ちたいですねぇ。でも、お金が…(笑)

ーーー ウォッチは…。

桃澤:ガーミンです。關颯人(佐久長聖→東海大3年)が着けてるのと同じで…(笑) 去年の出雲駅伝でガッツポーズでゴールしたのを見て、「あーこれだな」って(笑)
桃澤にちなんで、色は桃色でアピールしてるんです(笑)

珍しいクリアなバイザーを着用して。2015年~2016年は、この黒ベースのユニフォーム姿も何度かあった。2015年12月の日体大競技会10000mで。


【5】13分台ランナーとして

ーーー さて、いよいよきょうのインタビューの核心になるんですが…。
5000m13分台という記録に関して、今シーズンは春から好調で、トントン拍子で記録を更新してきたんですが、13分台を手の届く目標として意識し始めたのはいつ頃からでしたか?

桃澤:同じ長野県の市民ランナーの牛山さん(牛山純一選手)が、去年の秋の世田谷で14分09秒(※注)で走ったときですね。
(※注 2017年9月30日 世田谷競技会 18組9着 14分09秒40)

ーーー「オレはそれを超えてやるぞ!」みたいな感じですか?(笑)

桃澤:そういう感じですね。

ーーー 牛山さんより先に13分台を出すぞ!と?

桃澤:もうこれは13分台しかないな!と(笑)
それと、長野には利根川さん(利根川裕雄選手)というスゴい選手もいて、41歳で14分15秒(※注)で走ってらっしゃるので、20代の自分が40代に負けるわけにはいかんだろう…と。だったら13分台しかないぞ、と(笑)
(※注 2012年 静岡県長距離強化記録会にて14分15秒34を当時41歳でマーク。現在も日本マスターズ記録 )

ーーー けっきょく、「13分台!」と、強く意識してきての記録達成だったということですか?

桃澤:目の前の目標をひとつづつクリアしていって、速くなっていく過程でいずれ13分台が出ればいいな、とも考えていましたので、どっちもですね。

ーーー 前の週の日体大での自身初の14分1桁(9月23日 5000m31組14着 14分03秒76)で大幅ベスト更新があって、そこから見事にリーチ一発ツモで13分55秒(9月29日世田谷競技会5000m12組9着 13分55秒84)だったわけですが…実際に13分台を出して、何が一番変わりましたか?

自己記録を一気に10秒近く縮め、13分台がすぐそこに見えてきた日体大記録会。「来週、撮りに来てください。(13分台を)出しますんで!」と予告。

桃澤:自分自身の意識のことですが、やっとスタートラインに立てたかな、という気持ちになりましたね、実業団選手として。13分台ランナーは50人も100人もいますけど、やっとそこに並べたのかな、って感じです。それと、周りの人からもいろいろ声を掛けてもらって、自分で思っているよりも意外に反響があって、それにはびっくりはしています。

ーーーそれは、長距離ランナーとして、いろんな人から一目置かれるようになった、ってことでしょうか?

桃澤:自分のことを知っている人からすれば、「あのスピード感のない桃澤が13分台を出すなんてムリだ!」って思っていたでしょうから、意外に思って(笑)、それで声を掛けてもらえるんだ、と思うんですけど(笑)

ーーー じゃあ、スピードに自信のない高校生や大学生の選手が、可能性を求めて13分台を目指す、という意味では、きっと励みになる13分台ですね。

桃澤:だと思います。400mのベストは58秒ですもん(笑) ちゃんとアップして、1本全力でやっての58なんで…。 (世田谷で13分台をした)あの時も、ラスト1周は60で、ほぼベストに近いタイムで帰ってきたんですよね(笑) 普段の練習で、1000を5本とかのラスト400mも、頑張ってもやっぱり59か60ですし(笑)

ーーー 普段の練習といえば、トレーニングとして走る以外の部分では、体幹トレーニングとかウェイトトレーニングなどは、やってるんですか?

桃澤:体幹も筋トレも全然してないです。ただ走るのみですね、今は…。

ーーー それで13分台に到達するんですね…。

桃澤:そうですね(笑) 筋トレに関しては、理論としては推奨派なんですけど、前提条件としてまず「継続すること」、その次に「適切な負荷を掛けること」、それと「正しい知識があるかどうか」で、走るのに必要な筋肉を適切な時に適切な部位を鍛えられるか…それらを見てアドバイスしてくれる第三者の目が要ると思うんです。(独りでトレーニングしている今は)自分にはそれが難しくて…。
なので、(トレーナー不在の中途半端な環境下で)下手にやるよりは、やらない方がマシ、と(笑) 他にやれることはいっぱいありますし。

ーーー 可動域を拡げるストレッチなどは?

桃澤:動き作りなどは多少やっていますけど…社会人3年目の9月頃から、短距離のコーチをやっている方にフォームを見てもらうようになって、そこから動きが良くなりました。
なので、いまのフォームと社会人1年目の頃のフォームとはだいぶん違っています。

ーーー 普段の生活で、食事面などでとくに気を付けていることはありますか?

桃澤:揚げ物は食べないです。自炊してるんですけど、油を置いてないです。

ーーー お酒は?

桃澤:飲まないですね。というより、飲めないです。

ーーー ビールとかも?

桃澤:苦くてダメですねぇ(笑)

ーーー ストイックな食生活ですね。

桃澤:週に1日は抜き日を設けて、ラーメン食べたり、ということはありますけど、それ以外の日には揚げ物や甘いものは絶対に口にしないです。菓子類も基本的に食べないです。

ーーー レース前に甘いものは?

桃澤:5時間くらい前に軽く食パンを食べて、それだとお腹がすくのでウィダーとかを摂ります。で、レッドブルを飲むんですけど、レッドブルは糖分が多いのがちょっと…。
最初になんで飲んだのか忘れたんですけど、その時にタイムが良かったので、それ以降は単に験担ぎで飲むようになりました(笑) あとはカフェインも摂れるので。

ーーー 故障の予防に気を付けていることは?

桃澤:ストレッチはしないんですけど、ストレッチポールは使います。
あとは、走る場所を、芝生とかを多めにして。練習でロードは…硬い路面は使わないですね。むしろアップダウンで負荷を強く掛けたいので、クロカンですね。
それと、睡眠時間をしっかり確保することは気を遣います。睡眠時間が短いと故障率が上がる…というデータもあるので。

ーーー 今までの競技人生で、いちばん長いあいだ走れなかったのは?

桃澤:大学1年の入ってすぐの時の故障と、その後、大学1年の12月から翌年の3月まで走れなかったのと、ですね。

ーーー 脚のケアは?

桃澤:伊那にある湧気法の鈴幸治療院で週2回お世話になってます。もとは諏訪のあきやま接骨院で修業してらっしゃったそうですが、脚の故障と無縁でいられるのは、それが一番大きいです。あきやま整骨院といえば、多くの箱根走者も通い、かつては、通院する選手たちが箱根10区間のうち7つの区間記録を保有していたこともあったくらい有名なところなんです。たぶん佐久長聖の選手たちも秋山さんのところに通ってるんじゃないかと思います。

【6】これからの競技生活

ーーー さて、いま13分台というひとつの大きなハードルを越えて、現時点で目標として意識している選手はいますか?

桃澤:やっぱり井上大仁(現・MHPS。アジア大会マラソン金メダリスト。桃澤選手とは山梨学院大での同期)のことは意識はしてるんですけど…。
身近な選手では牛山さんや、あとは今は中央発條にいる大野(大野雄揮選手・信州大学出身)とか、長野県の選手は意識してますね。

ーーー 最終的に記録はどこまで出したい、っていう具体的な目標はありますか?

桃澤:基本的に、目の前の目標をクリアしていって、その過程での13分台ですし、たぶんこれからも、1秒でも、0.1秒でも記録を縮めたいって考えですから、ここまで、っていう具体的な目標はないですね。

ーーー 5000m以外の種目での目標は?

桃澤:マラソンで言えば東京マラソンとかありますけど、直近では10000mで28分30秒を切って、都道府県(対抗ひろしま駅伝)のメンバーに選ばれる、もしくは日本選手権に出る、ですね。

ーーー 長野県で都道府県のメンバーになるって、かなりハードルの高い野望じゃないですか。

桃澤:いま、關くんと中谷くん(中谷雄飛選手・佐久長聖→早大1年)と湯澤くん(湯澤舜選手・東海大三→東海大4年)たちと争ってるんですけど、もし矢野さん(矢野圭吾選手・佐久長聖→日体大→現・日清食品G)や上野さんが戻ってこられたら厳しいです(笑) でも、最終的にはやっぱり個人でマラソンで活躍したいですね。

ーーー いま、高校時代の自分と大学時代の自分に、もしも何かを伝えることが出来るとしたら…。

桃澤:ふふふ(笑)「もっと真面目にやれ!」ってことですかね(笑)

ーーー 当時の桃澤選手がそれを聞いて、伸びるでしょうか?

桃澤:言われても、たぶん「何を真面目にやればいいのか」を分かってなかったので、きっと難しいでしょうねぇ(笑) ただ、敢えて言うなら、その頃にユルかったので、燃え尽きずに、いまも続けていられるのかも知れないです。
大学時代に井上のような目立つ存在が身近にいて、いまも活躍している。そしてそれを意識しながら、自分も続けていられる…って感じです。

ーーー13分台を目指している選手に何かアドバイスをするとしたら…。

桃澤:難しい質問だなぁ(笑) うーん…。
「自分次第」としか言いようがないですね。どこまでやるかは人それぞれですし、自分自身、8年も掛かったので…。
しかも頑張って続けても、時間切れになることだってありますしね。
大事なのは「自分を信じて」ってことですかね。

ーーー 自分を信じて…は、大事ですね。

桃澤:だって、駅伝でも「お前は走れないよ」なんて言う仲間は居ないじゃないですか?でも、本人が「本当に大丈夫かなぁ」って、自分を信じられないことは多いと思うんです。そういう時と同じで、自分を信じる、ってことは大事なんですよ…自意識過剰とは紙一重なんですけど(笑)
「天元突破グレンラガン」のなかに出てくる「お前が信じるお前を信じろ」っていうことばがすごく好きなんですけど、「お前」って言うとなんかアニメそのままっぽいんで(笑)、なんで「自分が信じる自分を信じろ」って言い換えて、自分に言い聞かせてるんです(笑)


ーーー 練習とか調整がてらで記録会を走ってるとき、とくに知り合いなわけでもない高校生や大学生の選手たちを引っ張ってあげたり、声を掛けて励ましたりしてますよね?

桃澤:あれは~…そんな意味は無いんですけど、「一緒に頑張ろう!」みたいなもんですね。

ーーー 自身が先輩の選手からそうしてもらったので、とか?

桃澤:いえ、そういうのではなく、ただシンプルに「頑張ろう!」って。何か意味があるかっていうと、恥ずかしながら何もないんですけど(笑)
そう言えば、きょう、同じ組に四日市工業の山中くんっていう選手がいるんですよ。
前に彼と静岡で3000を一緒に走ったんですね。その時に引っ張ってあげたら、8分36秒くらいで走って、そしたらそれで国体の少年B3000mの県代表に選ばれてたんです。
三重って伊賀白鳳があるところなのに、すごいですよね。
それで(彼から)お礼の連絡があったんですけど…そういうことがあると、嬉しいですよね。

インタビュー当日の5000mのレースでは、山梨学院大の後輩にあたる池田眞臣選手を引っ張り、池田選手は見事に自己新記録でフィニッシュした。


【インタビュー後記】
陸上男子長距離は、日本のスポーツのなかでもかなり恵まれた環境にある、と思う。
優れた競技実績を出した選手は、駅伝の要員として、高校も大学もスポーツ推薦や特待で入れるし、その後も実業団という日本だけの特殊なシステムで、上場企業のチームの一員として競技に専念できる環境の下、競技引退後の身分保証を得て走り続けられる。

一方、インターハイもインカレも未経験、全国大会とは無縁のまま、エリートコースと別路線で走り続けてきた桃澤は、いま、練習メニューを自分で考え、それを独りで走る。出場するレースも自身で探してエントリーし、自分で運転して出掛けて、走る。日々のトレーニングも、食事も、脚のケアも、すべて自身で身の処し方を決め、エンジョイとは対極の、ストイックな、競技のための生活を送る。
そして、実業団選手たちと互角のタイムを記録会で叩き出す。
その徹底したセルフマネージメント力は、いつどこで養われたのだろう?と、探りながらのインタビューのなかで、直接そのこたえを聞けることはなかった。

けれど、意外な質問で、そのこたえの端緒があった。

三度下った箱根6区。平地の走力では劣る自分が、如何に6区で戦うか?
誰かにノウハウを教えてもらえるわけではない特殊な区間の攻略方法を、自分でとことん考え抜き、研究した末に、独自のテクニックが生まれるのだ、と彼は確信に満ちた口調で語った。

中学・高校と強い目的意識もなく走ってきて、大学に入り、目の当たりにした箱根ランナーたちとの力の差。挫折。
そこで生き残るために「自分の道を考え抜く」ことで、その後の彼の活路が生まれた。
けっきょくその経験が今に至る競技生活の礎にもなり、セルフマネージメントのノウハウをも習得する原動力にもなったのだ。

いま思い出すと失礼な話だが、昨年、様々な距離で自己新を連発する桃澤に「この調子なら、あと3年くらいしたら5000も13分台を出しちゃうんじゃない?」と言って、互いに笑ったことがあった。
先日、彼にそれを話すと、彼もそれを覚えている、と応え、「ずいぶん早く達成しちゃいましたよね」と、まるで他人事のようにニヤリとした。

桃澤が次の目標として掲げるのは10000mの28分30秒切り。
現在の彼のベスト記録が29分06秒15(2016年12月・日体大)であることを考えると、かなり野心的な数字だ。
しかし、「自分の信じる自分を信じて」競技に取り組みながら、淡々と自身の記録を上書きしていく彼を見ていると、ぼくに「あと3年くらいしたら(笑)」なんて二度と言わせないように、さっさと目標を達成してしまうんじゃないか?そんな気がする。
そして、実際にそうなって、日本選手権のスタートラインに立つ彼を撮ってみたい、とぼくは思っている。
桃澤大祐。サン工業。25歳。
今が伸び盛りの、旬な選手だ。

桃澤大祐
年次ベスト記録(5000m)
2018年(社4) 13分55秒84 (9月29日・世田谷)
2017年(社3) 14分18秒80 (10月15日・健志台)
2016年(社2) 14分12秒64 (10月1日・世田谷)
2015年(社1) 14分28秒53 (10月3日・世田谷)
2014年(大4) 14分47秒09 (7月6日・鴻巣)
2013年(大3) 14分56秒28 (9月14日・川田未来の森)
2012年(大2) 14分47秒90 (9月29日・東洋大)
2011年(大1) 14分43秒33 (12月3日・健志台)
2010年(高3) 15分18秒25 (12月5日・健志台)
2009年(高2) 15分31秒70 (9月12日・飯田)

桃澤選手のTwitterアカウントはこちら→ https://twitter.com/1439_44?s=09

13分台をマークした世田谷競技会5000mの直後

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