君のいない世界に朝はやってくる

去年の5月が見たら驚いてしまうくらいに暑い5月、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。私は相変わらず死なない程度に生きています。
1年以上の時を経て、自分の中に新たな気持ちが芽生えつつあるので、その気持ちを文章として書き連ねておきたいという衝動に駆られました。正直、今から書く内容はとても明るい話ではありません。人によっては嫌悪感さえ抱くかもしれません。それでもこの気持ちを書き連ねることで、自分の中で新たな活路を見出して、そして同じような苦しみを持って生きている人の心のどこかの支えになるかもしれないと思い、執筆を決意しました。

2023年5月某日、僕の第二のお父さんで、そして唯一無二の恩師(先生)が帰らぬ人となりました。恩師とは17年前に出会いました。とある習い事で教えてもらっていた先生です。今からそんな恩師の話をしていこうと思います。
癌が転移して、ステージ4まで到達していたとのこと、治る見込みはほぼないという状況でした。某日の深夜に容体が急変して、当日の朝に奥様に看取られながら旅立ったそうです。お葬式は家族葬で行われたため、私は葬儀に参列することはできませんでした、実は、私がこの事実を知ったのが3ヶ月後でした。なぜ3ヶ月後かは話を煩雑にさせてしまうので、ここでは省略します。

ある日、バイトの休憩時間中にその連絡はやってきました。母親からLINEのメッセージが一件、「先生、亡くなったって」。嘘をついているとしか思えませんでした。今日はエイプリルフールではないよなぁなんて思っていた、実際に起きていることに思考が追いつかなくなるという初体験をしました。メッセージと共に、恩師が亡くなった旨を伝えるメールのスクショが一枚。この時の感情は正直覚えていません。ただ世界がいつもより静かに聴こえたのだけは覚えています。どうすればいいかわからない感情の中、残りのバイトに全力を尽くしました。正直家に帰りたかった、でも今家に帰ったら自分が死んでしまう気がした、どうすればいいかわからなかった。むしろ仕事していた時の方が、気持ち的には楽だった。亡くなってしまったという事実から逃れることができたから。
バイトが終わり、同僚に別れを告げて帰路に着く。電車に乗るや否や涙が止まらなくなってしまった。電車の中で大人が泣いているのが情けなさすぎるとは、今の私なら思います。1人になった瞬間に現実が一気にのしかかってきたんです。「もうこの世の中に恩師はいないんだって」。俄に嘘だと信じていながらも、その事実に目を向けることができない自分に、情けなさや劣等感みたいなものを感じてしましました。「こんな姿を先生がみたら、きっと怒られてしまうんだろうなぁ」という考えが思考を巡り、そんな自分に失望することの無限ループ。この時は、底のない落とし穴に永遠に落ち続けている感覚でした。
家に帰ってからは、正直あまり覚えていません。深酒をしながら母親相手に咽び泣いていたことしか覚えていません。お酒を飲みたくて飲んだというよりは、飲まないと精神が崩れ落ちてしまうという感覚に陥ってしまったからです。ただ泣くことしかできなかった、大切な人が死んでしまうという辛さに打ち拉がれていました。自分にとって本当に大切な人が亡くなるという経験は実は初めてで、それは親戚や祖父や祖母が亡くなる感覚とはまた違う感覚でした。単純に一緒にいた時間の長さが全然違うというのも要因の一つだと思います。それに加えて、敬慕たる何かが彼に対して人一倍強かったのです。よくテレビや本で言われる「心に大きな穴が空く」感覚を初めて理解した日でした。
それ以降の日については、ひたすら虚無に包まれたような感覚でした。まともにご飯を食べることもできない、寝ても覚めても気持ちが沈み続ける。挙句の果てには、寝ても寝た気にならないという肉体的にも精神的にも辛い日々が続き、齢22の人間にはあまりにも大きすぎる出来事でした、大人になったつもりの大きな子供なんだと思い知った1日。

当初、この話は母親にしか話すことができませんでした。他の人に話すことができれば、心がもっと楽になっていたかもしれない。でも怖かったんです。この話をすることで、僕の元からまた大切な人がいなくなってしまうような気がして。もう失いたくないという独占欲に近いような恐怖に苛まれる日々が続いていくことになり、現在もそんな気持ちと葛藤しながら日々を過ごしています。実は自分の奥底にある何かを伝えるのが本当はとても苦手だったりするのです。
このような辛い気持ちはよく時間が忘れさせてくれるなんて言いますが、忘れてしまうことが怖いんです。「切り替えが大切」と世間体ではよく言われますが、僕は本当に苦手なんだと思います。他の事象においても、少しばかり引きずってしまう節はあります。ハリボテの切り替えを作り上げて、自分を騙すことは得意でした。思うに、これも自己犠牲でしかないのだと。
僕はとても臆病な人間なんだと思います。本当は人に嫌われたくもないし、みんなで仲良くできればいいなという理想と隣り合わせで生きている今日。性格的に素直に出ることができない時も多々あり、強がってしまう時もあります。でも本当は、誰よりも寂しがりやなんだと思います。この気持ちをコントロールすることに慣れていないからこそ、空回りしてしまう時も多々あります。そして、弱い部分を相手に曝け出すのにも慣れていないと最近気づきました。思えば、相談を聞く立場にあることが多かったような人生。相談をしてくれる人は相当な勇気を持って、僕に相談してくれていたんだと思い、それすら出来ない自分は意気地無しだなと嫌でも自覚してしまう。話を聞いて、人の人生を僕なりに救うことができて。それで万事解決したように思っていたけれど、所詮自らを殺して作り上げた自己犠牲の虚像の上で行われていたことでしかないんだと思いました。でも根底にあるのは、「怖い」「寂しい」「失いたくない」という気持ちに間違いはありません。単純な気持ちこそ、相手に伝えるのが本当に難しいなと22歳にして実感しております。

一週間後、僕は予定をこじ開けて、先生が眠っているお墓に赴きました。不思議とその時間は清々しい気持ちに包まれていました。先生が好きだったビール缶を一本買っていき、形容し難い気持ちを携えながら霊園の敷地に踏み入れました。
漫画で描かれているような青空の中、先生のお墓を探し始めました。「見つからないでほしい」この気持ちしか心にはありませんでした。最低で最悪な自分の感情に反吐が出てしまいそう。素直に認めることができれば、人生はもっと楽になるんだろうなと日々常々感じています。
少し探して、突如としてそれは僕の眼前に現れました。目の当たりにした時、少しホッとした気持ちと共に「信じられない」という両極端な気持ちが鬩ぎ合いました。そこに何を求めていたのかは正直わからないけど、何かを求めていたことは間違いありません。確かにそのお墓には先生の名前が刻印されていました。気持ちは落ち着きを見せていたはずなのに、目の当たりにした瞬間に感情のダムが勢い良く決壊してしまい、子供のように泣きじゃくってしまいました。「悲しい」「寂しい」「また先生に教えてもらいたかった」「就職先のお話をしたかった」「将来、先生に結婚の報告をしたかった」などなど、色んな感情がまるで走馬灯かのように駆け巡ってきました。先生の前だったらいつまでも子供なのかもしれません。大人になりました!なんて言ったら「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ」と怒られているかもしれません笑 それでも、大人になった自分を少しでも見て欲しかったなんて今なら思います。
人一倍に長くお墓の前で手を合わせ、これ以上涙を流し続けても先生に怒られてしまうと思い、その場を後にしました。それが正しい選択だったのかも正直わかりません。その時の自分には、その選択しかできませんでした。そして1年経った今でも、何が正しい選択なのかもわかっていません。ただ少しだけ前を向いて、一歩踏み出すことができた気がします。

あれから1年近く経つそうです。正直感情としては今も彷徨い続けています。あの時ほどキツい気持ちはないけれど、ふとしたタイミングで思い出してしまい、夢とかにも出てきてしまう。病院の先生に診断されたわけではないけど、PTSDなのかなと最近思うようにもなりました。いつ当事者になるかなんてわかったものじゃないです。ありがたいことに、僕も本当に順風満帆な人生を送らせていただいていました。その中で人生で一番と言ってもいいほどにどん底に落ちて、それに気づいた時にはもう何も出来ない状況に陥りました。大切な人との別れができずに自分との17年間に幕を下ろしてしまったことに、今でもすごい後悔しています。後悔なんていう言葉で片付けていいのかわからないくらいに。だから無理して生きないように努力しています。無理したら冗談抜きで死んでしまう気がするから。大切な人との別れを1年近くで克服しろという方が無理に違いありません。そんな簡単に忘れ去っていいものではないと思います。周りの人はどうか急かさないであげてください。当事者は当事者なりに苦しみ、そしてもがき続けていると思います。終わりのない迷路を解き続けています。時に理解ができない部分もたくさん出てくると思います。それは、本人もわかっていないことがあります。自分なりに苦しみもがき、そして答えを見つけるその時まで、もし読んでくれたあなたが共感してくれたのであれば、ぜひあなたの大切な人の側に寄り添っていてあげてほしいなと思います。

話は少し変わりまして、昨日、22歳の若さで旦那様が亡くなってしまった夫婦のYouTubeを拝見しました。奥様が気丈に話している姿に心を打たれてしまうのと同時に、旦那様のお話をしながら、フラッシュバックして涙を抑え切ることができない姿に、どこか親近感を感じました。側から見てる人からしたら、当人の気持ちを完全に理解することはできないと思います。僕も親近感なんていう言葉で表すのが適切なのかもわかりません。もし不快に思われた方がいらっしゃいましたら、謝罪させていただきます。自分の本当の気持ちというものは、相手に伝えないと伝わらないものです。正直、ここまで赤裸々に思いの丈を綴ったのは初めてです。是非みなさんも自分が今こういう状況なんだという事実を大切なひとに伝えてあげてください。大切な人は明日も生きている保証はありません。明日死んでしまうことだってあります。後悔してもしきれない日々を、一人でも多くの人に過ごして欲しくないと心の底から願っています。

最後に自分の話をして終わりにしたいとおもいます。
自分には今4年近く付き合っている大切な人がいます。心の底から愛していて、将来もこの人と過ごしていきたいと心に誓っている相手です。勿論、恩師の件も話しましたが、直後には話すことができませんでした。大切にしていて心の底から愛している相手を失いたくないという気持ちが、逆に話すのをやめるようにしていたのかもしれません。失ってしまって心の底に空いた穴を埋め合わせるかのように、彼女を頼っていましたが、次第に気持ちは変わりつつありました。埋め合わせではない唯一無二の存在で、僕が月なら君は太陽といった具合の存在になっていました。ただ、気持ちと行動が乖離してしまい、相手にはとても迷惑をかけたと思います。彼女自身も僕に思う部分があったと思うし、ただ僕のこのような心理状況を目の当たりにしている手前、話しづらかったと思います。本当にごめんなさい。1年経って、ようやく自分なりに気持ちに整理をつけることができるようになってきました。人はこうやって成長していくのだと思います。これからも迷惑をかけることはたくさんあると思うし、僕の情緒が安定するまでには長い時間がかかると思いますが、変わらずそばに居てほしいです。もしあなたがそのような局面に出会ったとき、僕もそっと寄り添ってあげられるように頑張ります。

ここまで長く書くつもりは無かったのですが、とても長い文章になってしまいました。誰にでも大切な人はいます。その人との関係がいつ終わるかなんて誰もわかりません。しかし、その時は必ずやってきます。それは今日この後かもしれないし、はたまた50年後かもしれない。誰もわからない、わからないからこそ1日1日を大切にしてほしいです。どんなに喧嘩したって殴り合いしたっていいと思います。生きていてくれれば、仲直りができるから。でも、死んだらおしまいです。そこには悔いても悔やみきれない後悔が残ります。明日死んでも大丈夫だなと思えるぐらい、大切な人に向き合ってみてください。これほどまでに幸せなことはないと思います。大切な人のことで悩めるのも本当に今この時だけだと思います。今という時間を大切に生きることが、私たちにできる最高の愛情表現であり、最高の弔いだと思います。
世界のどこかで誰かが産まれて死んだとしても、明日の朝はやってくる。明日の朝が今よりも素敵なものになることを祈って、筆を置きたいと思います。色々あると思うけど、頑張って生きていきましょうね。

バイバイ、また会う日まで

2024/5/6 12:32 
文責:アルケー

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