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このどうしようもない私の日々

NOTEのアプリを入れて何か月経ったんだろ。誰かの記事を見るわけでもなく、ただそのまま放置して。何かを書こうと思って身近にある存在すら忘れて。

何かを見たり聞いたりしたいと思いながら、それすらもなんとなく遠ざけてきた。全く私は何をしてるんだか。
ノートパソコンを買ったのはいつだっけ。ここ何か月開きもしなかった。会社から貸与されてるパソコンで調べ物をして、あとはiPhoneで何でもすんでしまう。でも何か物足りない。毎日つけている4行日記では何となく物足りない。何も書けない。喜怒哀楽を書く余裕なんてなくて、その日起きたことを少し箇条書きで書くだけ(毎日書いてるだけいいとする)。
何も引っ掛かりのない日々。物足りない。
コロナって言葉の中に閉じこもってしまったようだ。外に出ることをほとんどしなくなり、人とのかかわりを避け、いろんなものを排除してしまった。
新しいことは苦手だと逃げまどい、そのくせ一人は寂しいと人にすがる。
わたしという人がなんだかうまく機能していない。
少しはしゃっきりしろ。そんな声が頭の片隅で響きそうになったら必死にかき消し、今の私でいいのよーと声色を変えた私が甘やかす。
全く何をしているんだ!そんなことだから「何かしたいことある?」という人の言葉が億劫に感じるんでしょ。
自分のことを客観的に分析することは得意で、そんなことを自分で解説するのは珍しいと言われたりする。そのくせ行動が伴わない。
バランス感覚がほんとに悪い。自分でもそのことをひしひし感じる。崩れた左右差このバランスの悪さを少し文字にすることでますます客観視してみようかと思う。

ってなんて堅苦しい文章なんだ。
人にクールとかドライとか言われるけれど、ほんとは人が好きで嫌いでここにいるのを見つけてもらいたいくせに。私もその仲間に入れてほしくて、ホントははしゃいだりしたいくせに。
わかってるのにできないなんてもったいないよ。
そんな声はかき消したりしないで掻き分けてでも耳に届かせようとしてみる。たぶん私何かを変えたいんだよな。この鬱屈とした毎日を。

このどうしようもない私の日々
いいタイトルじゃないか。今日の記事のタイトルはこれにしよう。

物語のように


久々に開いたパソコン。
Spotifyで坂本慎太郎の「物語のように」が流れてる。
なんと気持ちいいんだろう。
わたしはゆらゆら帝国をフェスで一回見た程度で全然詳しくないけど。
フェスとか行きたいな。
ただ何も考えず音楽聞いてゆらゆら揺れてたい。
お酒飲めないし飲まないけど、酔いたい。

梅雨に入ってきっと私の気分は程よく下降していくし、いろんなことから逃げたくなるだろうな。
そんな時に、このアウトプットがいい方向に作用することを信じたい。

寝る前に言葉にするっていいもんだな。

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