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目ヂカラで死ななくて済んだ話

むかし・・子供のころの記憶


『今日は2月29日・・4年に一回のうるう年にしかない日だ。
 わが母上さまは、2月29日が誕生日だった。

「わたしは4年に一回しか年を取らないのよ。へへん」
 いつもそう言っていた。

 たしかに若みえできれいな母だった。
 男性たちの視線が母に注がれていた。

 もう亡くなって久しいがいつもあの笑顔を思い出す。
 追悼の気持ちを込めて母上さまに捧げます。』



ひょっとしたら
わたしはもうこの世にいなかったかもしれない。

母上さまは6人兄弟の長女さんだった。

時代が違う昔だから、結婚は順番であり、後がつかえるから
自分の希望や条件も二の次で勧められた人と結婚したそうな。

相手(父上さま)の家族も6人兄弟なのだった。しかも長男。
当然のごとく同居ということになり小姑たちもいたので大家族。


昔のお嫁さんは本当に大変だったろう。


電化製品は充実していないし、お買い物のカートもなかった。
大家族の家事をするだけで心身ともにつかれはてる毎日だ。

もともと身体が丈夫でなかった母上さまは体調を崩してしまい
医者に見放されるような状態になってしまったのだ。


子宮の病気で、重いものを持つと出血するほどひどかったらしい。
だから子供であるわたしを抱くこともできなかったそうだ。

医者に見放されるということはそのうち死ぬということだろう。


現代ならば、医学も進んで手術をすれば治ったかもしれない。
余命の宣告を受けたときはどんな気持ちだっただろうか・・・

ある日、母上さまは身支度を整え、わたしの手を引いて外に出た。


どこに行くのかわからないがいつもと違うカンジがあった。
母上さまが、どんどん歩いていくのについていった。

わたしがどこへも行かないように、手はしっかりと握られていた。


母上さまの顔をみると能面のように
表情がなく
心がどこかに行ってしまったように見えた。


言葉もない。静かに歩いていた。
まっすぐ遠くを見つめながら・・・

真っ白な静寂の時間がつづいた。
時間の流れがいつもより長く感じられた。

気が付くと、
いつのまにか
JRの駅の近くの線路ぎわまで近づいていた。

遠くから列車の振動が感じられた。
ゴトンゴトンと音がする。


重たい車両が近づいてくるなと思った。
ゴトンゴトンの音が、心臓の音にシンクロした。

つないでいる母上さまの手に力が入るのを感じた。

前方のみ見つめて歩いていく。しずかに・・


母上さまが突然わたしの方に顔を向けた。


子供ながらにただならぬ状況なのだと分かり
じっと母上さまの目を見た。


しばらく視線をはずさなかった。
時が止まったように思えた。

わたしは昔から目が大きく
人の目をじっと見る子供だった。

瞬間!
 
ハッと我に返った母上さまは
倒れるようにその場にしゃがみこんだ。


自分が病気で先に死んでしまったなら
この子はどうなるのろうか・・・

そう思ってわたしと一緒に線路に飛び込んで
死んでしまおうと思ったのだ。

後になって聞いたことだが、
わたしの目が、「死んではいけない」と言ったそうだ。

この時から母上さまとわたしは生きるための同志となった。

とにかく生きられる間は
この子と一緒に生きようと考え直したらしい。


人の一念はすごい。
特に人の親というものは・・

母親はすごい。

子どものために懸命に生きたのだ。

母上さまはそれから奇跡というか
人が変わったように元気になった。

もう子供は産めないと言われていたが、妹も無事出産した。
執念だ。
妹(堀井ねね)が生まれたときの
嬉しそうな顔をいまでも忘れない。


寿命を全うするまで手術も何もせずに普通の生活ができた。

もしわたしに目ヂカラがなかったら
あの時、母上さまと死んでいたかもしれない。
生きようと思い直してくれたことに、心から感謝している。

だからどんなに嫌なことがあって
死にたいと思っても死ねないのだ。

生きよう 生きたい 生きなければと思って

今日も生きている。

母上さま、わたしは今がいちばんしあわせです。

死なないでくれて本当にありがとう。






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