片割れのバチェラーズボタン
多分、いくつか昔の春の日だった。ふと頭をよぎる考えごと。指を滑って落ちたバチェラーズボタンのソーサー。月の形に割れた破片。金彩が飛んだ。
一目で気に入って買ったウィリアムモリスのティーカップ。春霞の空の青に、若々しく繊細な緑線。ぽってりとした矢車菊と紋章のような葉で彩られた「バチェラーズボタン」。一瞬、ほんの一瞬の空白でそれはあっけなく割れた。誰のせいでもなく、わたしのせいで。
パズルのようにつなぎ合わせてはみたけれど、もうそれを使えないことは明らかだった。ひとりきりになったカップを、食器棚の一番奥にしまう。どうすることもできない後悔と、あきらめきれない気持ちにカーテンを降ろすように。
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ひどく疲れた夜は、その場所に行く。エナメルの小さなブローチ、七宝焼きの帯留め、深いみどりの器、きゅっとくびれたカップ。「祖母が大切にしていたものです」「使う機会がないのでどなたかに」ぼんやりとさまざまなものが並ぶ四角い窓を見ていると、こころが躍った。時間を忘れた。
その日も気持ちがずん、と沈むことがあった。むしょうに美しい花が描かれた食器が見たかった。できるだけ小さな、華美であるよりも自然の中にある、でも現実からは少し離れた……。そうだ「ウィリアムモリス」だ、と探しはじめてまもなく、それは突然にあらわれた。
バチェラーズボタンのソーサー!あの日、割ってしまった1枚と瓜二つの!
「お皿のみの出品です。新品未使用です。」何度も見返す。確かに食器棚の隅に眠るカップと同じ矢車菊。念のためサイズを確認する。大丈夫だ。奇跡。運命。二文字が頭の中を行き交う。いきおいよく「購入する」を押す。
カップのほうは割ってしまったのだろうか。もしくはなにかの折に失ったのか。新品未使用ということは、飾り棚にでも大切においてあったのだろう。なぜソーサーのみ?と聞いてみようかと思ったけれど、止めた。失くしたわたしと手放したあなた。二つが結び付いたこの美しい偶然が、わたしの罪を軽くしてくれたことに間違いはないから。
ある晴れの日、ふたたびバチェラーズボタンに紅茶が注がれる。気持ちがやわらかくほどけたら、こう祈るつもりだ。あなたにもいいことがありますように、と。
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