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ゴシック体的疲労感から生まれる違和感

私の脳内からぽっと生まれ出てきた独り言に目を通して読んでくださっている
皆さんこんにちは、こんばんわ、お元気ですか?
私自身は珍しく脳内がめちゃくちゃに疲れていると身体から訴えられています。

突然ですが・・・、ここ最近で私が使用しているSNSを一度辞めてみたんです。
日頃からメインで使用しているのが、Instagram。
今となってみれば写真一枚に+文書を載せれば一瞬で投稿が出来てしまううえに
顔も知らない、名前も知らない世界中の人々と
簡単に繋がれる優れもののコミュニケーションツールとなって画期的ではあるが
もうね、なんていうかね、本気で疲れるんです。
指数本で触れる画面上に毎日更新されていく真新しい物や情報の数の多さには..。
かと思えば載せようと思ったはずの写真、レイアウトまでも随分と悩まされる。
自身を持って投稿したはずが
何処か誰かが投稿したものに似てたりする場合もあったりする。から落胆する。
そりゃ世界中の人々が使用しているツールだから似たり寄ったりはあるだろう。
そのタイミングだったのかは どうかはわからないけど
疲労という文字がゴシック体の太文字で心中全面にどしんとのしかかってきた。

(※ 今から綴っていく言葉は、野田 洋次郎さんが紡いだお言葉を拝借します)

なんかどっか世の中もなんかギスギスしてるなあっていう思いがずっと僕の中にはあって、言葉だったり、人の態度だったり、ネットの世界で幅を利かせる思いだったり、なんだか突飛でエッジが効いてて、人が目を背けられないぐらいの威力のあるなんかそういうずるい言葉だったり、思いみたいなものがなんか蔓延ってて人の気持ちをどんどん窮屈にしていってるような気が僕はしています。

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悲しいかなあ、事故や災いや病気じゃなくても、自分の命を経ってしまう人が増えてきて、きっとこれからもこの流れは加速すると偉い人たちは言ってたりして
、そんなの絶対やだなと思いながらも現実として増えている現状があったりして
、なんかどこまでも敏感なそういう魂だったり、傷つきやすかったり、人の言葉
を、1を、10にも20にも30にも受け取ってしまうような、そういう繊細な魂とい
うか優しい心が、どうかどうか、この世界にずっと生き続けられるような世界であって欲しいなと心から願っています僕は。

                                    

ずっと10年前、15年前くらいから僕は思っていたんですけど、やっぱ世界は優しい人でできていると思ってます。ケーキが残り2個しかないところで3人いて、絶対俺は食べるっていう人が3人いたらそこはもう戦争が起きるわけで、「いいよ、これ食べていいよじゃあ2人」っていうその優しい人がいるおかげでこの世界は成り立ってるなと僕はずっと思っていて、なんかそんな優しい人がこれからも生き続けられるような世界であって欲しいなと心から願っています。

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そしてそれはきっと今を生きる僕たちが、一個一個そういう空気を、そんな世界を作っていけると思っています。そんな優しい魂で溢れることを、綺麗事と言われようがなんと言われようが僕は信じているし、皆さんと作っていきたいです。よろしくお願いします。

                                    

私が言いたいのは、ギスギスするような様を曝け出すことは悪いとかではなくて
なんかどこまでも敏感なそういう魂だったり、傷つきやすかったり、人の言葉を
1を、10にも20にも30にも受け取ってしまうような、そういう繊細な魂というか優しい心を持っている「普通ではない人間」個性的でマイノリティのある人間が
抱えている自信や幸福感が不安や憂鬱に変わっていかないように向き合う場所を
自分の得意なことで、本当に話したいことを、本当に書きたいときに、紡ぐ事で
生まれた意味を考えて遺してみたり、誰かのことを心から想えたりするのかな。

自分が、相手が、何を見ていて何で喜んでいるのか、何に悲しんでしまったり、はたまた何で苛々してしまうのか、どこで不安になるのか、私自身の主観と心と真っ正面から向き合って見ることで"そのちょっとしたこと" のヒントを見つけることができるかもしれません。

ゴシック体的疲労感から生まれる違和感に問い続けながら私は紡いでいくんだ。
今日という日にありがとう。明日が良い日となりますように。



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