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心はいつも言葉に隠れ黙っていた。

初めまして。から始まる、“りやりてぃー”のある言葉たちが
私自身の五感が肌で感じた全てのことを、
本当に話したい、、、本当に残しておきたい時だけ紡ぎます。

note始めます。

私がnoteに言葉を紡ぎ、残しておきたいと至った経緯...。
日常生活の1分1秒の一瞬が、誰よりも大切で忙しく忙しい。
そんな人生を生きる中でこんなことを考えていたらしい。
生まれてはじめてのその時から絶対に青い空を見上げながら
頭の中は空っぽにして、耳には好きな音楽を流し聴きながら
脳を働かせて鼓動を高鳴らせて
「自身の口から放たれる言葉」と「他人から放たれる言葉」の意味を
ひとつずつちゃんと理解してみたいと考え思っていたんだ。
なのでここは自分が自分を実感できる文章しか書きたくありません。
こう思われるかもとかそういう小ちゃいやつを気にしなくていい場所です。
note始めます。本当に話したい時だけ。自分の存在意義をここに。

もし自分がもうひとりいたら

根掘り葉掘り生まれて間もない その子に私は訊ねてみたい。
お母さんのお腹から出てきて 何も分からぬうちからずっと聞かされていた
“貴女自身が分かる時がくる“ “人とは違う個性はさぞ素晴らしい さぞ美しい“
この言葉を私が見れない景色の中で聞かされていたどうでしたか?って。
きっと眠る前であろう時間帯に
何度も何度も読み聞かせる本のように繰り返し繰り返し。
この世のどこにもない物語。私の人生を。

幸福と、混沌と。

東京都世田谷区で生まれ育ち始める小さな小さな私。
私の誕生を母、父、兄は輝かしく待っていたと聞いたことがある。
どこにでもありそうな幸せな家族のはじまりのはじまりを。
幸せな日常に突然の変化が起きたのは、私が3歳を迎えた頃。
お母さんが私の成長具合に 兄との違いがあることに違和感を持ち
3歳児検診がてらに病院に行って診てもらってからが大騒動。
その違和感が形となって 突如に姿をみせ現われてきたのだ。
“脳性麻痺による四肢体幹機能障がい” いわゆる先天性の障がい。
これを知ったお母さんはじめとして家族はどう思ったのだろう。
貴女と血が繋がって十月十日の旅をして生まれてきた私の存在を
憎んだ? 後悔した? きっと黒が悶々とした闇の中で悩んだかな?
でも私のお母さんは違った。
障がいを抱えて生まれきた我が子だからこそ手を抜かなかったんだ。
障がいの重さを前むきに明るく捉えて
最終的には“この子自身の個性そのものだ“と考えついて落ち着いて
健常の身体を持つ兄とおんなじように育ててくれた。
そして冒頭に強調している部分の物語へと繋がったわけである。

取扱説明書

んでもって簡単に私の障がいを説明しておくと...
※ 脳性麻痺による障がいの重さには個人差があります。
私の場合は左手足に麻痺があり 電動車椅子を使用しての生活。
麻痺状態の関連から知能レベルにも多少の障がいはありますが
進行性での障がいではなく
誰かしらの手を借りて支えて貰えさえすれば
健常者の身体をお持ちの皆さんとひとつも変わらない者なんです。
ぶっちゃけた話をしてしまえば...
日々の生活の中で自身の周囲に障がいを抱えている人が居なければ
パッとは分からないと思うし、理解しようとすることも難しいのかと。

なに一つ見えない未来の矛先から生まれる嫉妬

私自身がこの個性を これは先天的才能 だと気付いてから数年。
障がいに適した支援のある高校には生まれ育った世田谷区を離れ、
外部と呼ばれる扱いで入学。なんだろう。この感覚出生時の様ね。
今度はお母さんがママ友達に根掘り葉掘り聞かれている姿を見たの。
何を素裸にされるかのように聞かれていたの?と尋ねてみたら...汗
我が子から “なんでこんな身体で生まれてきたの?“と責められたことあるか
障がいの種類と重さは違えど、少しでも同じ境遇を持っている人々。
今日も障がいを重く捉え“この子は私が守ってやらないと”の必死さと
障がいの重さを軽く捉え“人と違う個性はさぞ素晴らしい さぞ美しい”の
白と黒の狭間に立っている親のエゴがあちらこちらでやりあってんだ。
こんなにも心が壊れそうな言葉を質問にしてくるとは恐ろしかった。
この質問に対して真っ当な正解を私のお母さんが伝えたのかは知らぬまま。
この場を借りて、娘のアンサーを回答しておこう。

私はこの身体のことでお母さんを責めたことは一度もないと胸を張って言える。
むしろ私はあなたのお腹から生まれてたったひとつの個性を輝かせて生きてる。
よく生まれ変われるならば。とあるけれど、同じくどんな形でもあなたの側で。
あなたから何度も何度もたくさん聞いた強くも大きい愛のある言葉のおかげで。

産まれてきただけで奇跡と

私のお母さんのように個性そのものを愛せる 気持ちでいつもいられたら
誰かを傷つける言葉もこの世にはなかっただろうなあ。
“障がいを持っているから出来ない”だとか
“不自由を抱えて生まれて可哀想ね”だとか
並べはじめたらキリがないほど
見た目と上目の判断だけの差別で溢れている。
昔の私はそんなことに惨めな視野であったから
差別されてるって悩んで苦しんだ時期もあった
それは完全に間違っていてほんの少しだけでも
視野を変えて世界を見渡してみればとても明るくて
それもこの時代の変化とお金では絶対に買えることのない
人情味溢れた優しさと愛が価値となり、左右されていて。
少しずつではあるけれど、日常的にも... 社会的にも...。
障がい者が求める“手助け”って救助者が声に出して
求める支援説明をして相手にきちんと理解して貰えば
誰しもが支援を出来ると思うし、今後の時代に求められる。
これってどんなことにも繋がっているし、変化していて
障がい者=助けを求めているだけの生き方じゃない
障がい者自身も自分自身が出来る事・出来ない事見極めて
自分が持っている力、出来ることを個性にしていきながら
日々支えてくれている人々、同遇者、見知らぬ人達までを
行動では難しいかもしれないけど目に見えること肌で感じられることで
健常者を支えることももしかしたらあるんだよ。って伝えておきたい。
そう 幸せの数え方からもう一度。

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