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モトヤフ小川正樹さんインタビュー

今回のモトヤフインタビュー第26回は、ヤフーのショッピング、決済・金融事業で、IDPF、BCPF、Y!ウォレット、Y!ショッピング、Y!トラベル、Y!飲食店予約などの多くのサービスのシステム周りのお仕事をされ、またプロダクト企画部長やサービスマネージャーとしてもご活躍された小川正樹さんです。
小川さんは現在は、株式会社contentoというスタートアップ支援会社の代表取締役をされています。

-小川さん、本日はよろしくお願いいたします。まずは最初に簡単に自己紹介をしていただいても宜しいでしょうか。
小川正樹といいます。ヤフーでは、ショッピング、決済・金融事業で、裏側のシステム周りの仕事をしていました。今は自身の会社で、プロダクト開発等を中心とした事業支援のサービスを、スタートアップ・ベンチャー企業等に提供しています。

-キャリアのスタートから振り返っていただいてもよいでしょうか。
慶應義塾大学(SFC)を卒業後、NECネクサソリューションズ株式会社で、システムエンジニアを5年強やっていました。物流センター・倉庫管理システム、ショッピングセンター運営管理システムの仕事などをしていました。

-当時のことで記憶に残っていることはありますか?
成田空港の輸出入システムを開発しました。家は町田でしたので、成田に2年常駐して、年に10日も家に帰らないような状況で、仕事ざんまいでした。

成田空港は、世界中から貨物が届くのですが、貨物内容などについて、虚偽申告をする方が少なくなく、そのせいで、色々と事故が起きて、そのトラブル対応に延々と追われていた感じでした。
例えば、猛獣であるライオンについて、猛獣の申告がなく、動物室に置かれたら、隣にいた子犬が、ショック死したり。

-そうすると、システム側はどうするのでしょうか。
現場の方は、そういう風に、正しい申告をしない人がいるということをご存じで、結局は、荷物を見ないと貨物の内容がわからない部分があるということがわかっていたのですが、私たちが要件定義ヒアリングしていたシステム担当部署には、その部分が伝わっていませんでした。そこで、不適切な申告に対応できるよう、要件定義からやりなおし、荷物の内容確認を踏まえたフローを前提としたシステムに作り直しました。

他にも想定外がありました。天候です。飛行機が、強風などの天候で降りてこられないと、上空に待機するのです。天候が回復してたまった飛行機が一気に着陸すると、一斉に貨物も下ろされ想定以上の負荷となり、処理容量が足りなくなって、システムダウンとなったりと。

このように、イレギュラー対応を続けていたら、2年間ほぼ家に帰れなかった、というわけです(笑)。

-その次が2006年からディバータ。
はい。Webのプログラマーに転身しました。肩書はテクニカルディレクター。今流行っているSaaSのビジネスモデルのサービスを作って、売っていました。

-システムエンジニアと、テクニカルディレクターって何が違うんですか?
会社によって違うと思いますが、システムエンジニアは、システムの大きな設計をするというイメージで、テクニカルディレクターは、実際に自分でプログラムを書きながら、プログラミングをするチームをとりまとめる役割でした。

-記憶に残っている話はありますか?
同社への入社は3人目か、4人目で、まだ創業期でした。その中で、会社の主力商品であるサービスを最初から自社で開発していくということをやったので、勉強になりました。インターネット全体としても、まだ創成期だったのですが、インターネットでどういうことができるのかという点をよく理解できた気がします。

-5年働かれて、その次が2011年からヤフー。ヤフーに入られたきっかけは。
前の会社で小さい会社の悲哀を感じた部分があったので、家族会議で、今度は、大企業がよいのではないかという話になりました(笑)。

-知り合いがヤフーにいらした?
いや、まったくなく。HPで、応募しました。妻が広告の会社に勤めていて、ヤフーが好きだ、すごいと言われて、じゃあ、受けてみようかとなりました。

-それで。
広告のエンジニアで受けたら、二次面接でシステム企画をやれといわれ、谷田さんがでていらして、それで、「私は、ECサイトの開発をしたことがある」「決済機能の実装をしたことがあります」といったら、「じゃあ、できるだろ」と言われ、IDと決済の企画をやりなさいということになりました。

-ほう。
ところが、入社したら、全然わからなかったんですよね。「クレジットカード会社の出身です」みたいな方ばかりで。「オーソリって何ですか」みたいな初歩的な所から周囲に質問をして、皆様に色々とご迷惑をおかけしました。それで、一生懸命、勉強をしました。

-どのようなことをなさった?
デジタルコンテンツの決済担当でしたので、例えば、GREEの決済システムの新装を2012年にやりました。

-僕も、小川さんと同じく2011年入社で、GREEとの業務提携契約をサポートしましたが、爆速でしたね。
2012年に宮坂社長になって、上からは「爆速」で進めて欲しいという風に言われましたね。
ずっと、秘密裏にプロジェクトが進み、社内でも知っている人が本当に限られていて、他の部署にもなかなか相談しづらかったので、爆速で進めるのにかなり苦労しました。

-そのあとは?
ヤフーでは、決済金融とショッピングカンパニーを渡り歩き、他にも、IDPF、BCPF、Y!ウォレット、Y!ショッピングを経験させていただきました。

-Y!飲食店予約のサービスマネージャーということですが、これはYahoo!ロコの後ですか?
そうですね。メディア事業であったYahoo!ロコが、Yahoo!地図と、予約に分かれて、予約サービスの方は、E-Commerceの事業部に移りました。

-ロコは、色々とありましたよね。
なかなかうまくいかず、二つに分けられることになったと記憶しています。

-それで、SMになって。SMは、サービス責任者なので、売上管理から、プロジェクト管理まで、何でもやるそのサービスの社長みたいなイメージですが、記憶に残っていることありましたか?
サービスマネージャーとしては、無能でした。

-え??? これ、書いちゃっていいんですか???
いいですよ。私は、ずっとシステムを作ったり、プログラムを書くということをやってきて、ビジネスを作るということをしたことがなかったので、なかなか売上も伸びず、組織はまとめられず、超無能だったと思っています。「SMはダメだったなー」と小澤さんに言われて、半年で、兼務だった「プロダクト企画部長」の方に専念することになりました。

-謙遜も含まれているのでしょうが、半年だけで結果を出すというのも、なかなか難しかったんでしょうね。逆に、SMの経験から得られた知見みたいなものはありますか?
メンバーが100人から200人いるので、小さい会社の社長をやっているような感覚でした。サービス全体としての事業計画を立てて実行したり。その中で、営業の方との連携の必要性を痛感したりですとか、大変、勉強になりました。そしてこの経験が、ヤフーを卒業してビジネス開発を学ぼう、という動機に繋がりました。

-プロダクト企画部長として印象に残った記憶はありますか?
Eコマース革命がヤフーでやった一番大きな仕事でした。

-読者のために、Eコマース革命について、説明いただけますか?
当時、ヤフーショッピングに出店するためには、出店手数料が必要であったのですが、出店手数料を無料にするという、インターネットモールビジネスからすると、大革命でした。

-小澤さんですよね。
小澤さんです。

-ECモール事業が、広告事業に変わったというような印象でしたね。
出店手数料無料化により、出店者を増やし、大量に集客して、成約数を増やし、購入履歴ですとか、利用者のデータをたくさん集めるという風に、ECモール事業が大きく変わった転換期だったと思います。

-僕は、法務部でしたけれど、Eコマース革命のプレスの時は、さすが宮坂さん、小澤さんと思いましたね。
ビジネスモデルを大きく変えるということで、「システム、インフラを半年で総入れ替え!」というプロジェクトのプロジェクトマネージャーを担当しました。

もちろん、半年で全部やれという指令が上からは来るわけですが、半年で全部をできる訳がない。そうすると、ある程度は、優先順位をこちらでつけて、最低限必要な部分を完璧にするということで、取捨選択/優先順位付けをするということを覚えました。

その際に、経営陣との相談に加え、エンジニア、営業、カスタマーサポート、ヘルプデスクなど、多数の部署の方と調整を行いました。各部署とも、大事にしている部分が違うので、それを調整するのに、本当に苦労しました。

-苦労が報われて。
そうですね。商品数は2.5億品目(革命前は8000万品目)に増え、ストア数も48.1万ストアと、3年で約16倍に拡大しました。成果につながって、本当にうれしかったです。

ただ、インフラ入れ替えのローンチの直後、クレジットカードが夜中の2時から5時まで、3時間止まってしまって、決済ができないという事故を起こしてしまいました。

短納期でかつ難易度の高いプロジェクトでしたので、みんな徹夜、徹夜という極限状態で開発をしていたこともあり、ミスに気づけず、事故を防げませんでした。
それで、徹夜で、復旧と対応策を含めた謝罪メールを各部署などに送りました。朝になって、小澤さんが部屋にいらして、「お前なにやっているんだ!」って。

-言われたんですか?
いや、言われると思ったら、「お前、頑張ったな!上出来だよ!」って言われて、満面の笑みで褒められました。

事故が起きた後、1万7000件の苦情メールが来たのですが、みんなで対応して、乗り切ることができました。応援してくれる方もたくさんいて、人の温かさというようなものを感じました。一生懸命頑張ったら報われるんだな、とも。

-ヤフーで心がけていらっしゃったことは何かお伺いしても宜しいでしょうか?
ヤフーの1つのサービスにはたくさんの人が関わっているので、その人たち全員を幸せにするような仕事をしたい、しなければならない、と思ってやっていました。お客様だけでなく、社内、社外の関係者も含め。

-ヤフーで働いていらっしゃって、一緒に仕事をして、この方はすごいなという方がいらっしゃったら、教えていただけますでしょうか。どのようなところがすごかったですか。
CS部門、ヘルプデスクの方など、ユーザーやクライアントに直接向き合っている全員をリスペクトしていました。

僕はプロダクト企画でしたが、ユーザーや顧客を、解像度高く見る[=深く理解する]ことはなかなか難しかったです。そんな状態でも自信をもってプロダクトを創りサービスを運営できたのは、CS・ヘルプデスクの方々がお客様のニーズを深く理解し、サービスの信頼の基礎を固めてくれているからだと思っていました。私がプロダクト企画の駆け出しであったころ、ヌルい企画を持っていくたびにCS・ヘルプデスクの方々に手厳しくお説教をいただいたことは一生忘れませんw

個人名を挙げるなら小澤さんです。すべてのお手本です。もう尊敬しすぎており、Facebookの友達申請すらできません(笑)

-ヤフーでお仕事されていて楽しかった部分はどのような点でしょうか。
ヤフーで触れる全てが学びで、全てが新鮮で、全てが楽しかったです。

というのも、ヤフーに入る前は小さなベンチャー企業で、数人のエンジニアで小規模なプロダクト開発&販売をしていたのですが、ヤフーに入ったことで一気にビジネス規模が拡大し、品質などの要求レベルが上がり、伴って広い視野や思考を求められまして、それまでの自分が井の中の蛙だったことを痛感するとともに、体験全てが血肉になるという、そんな時間でした。

-ヤフーがなぜ伸びたとお考えでしょうか。
EC革命のように、戦略的に、一歩先の流れを見て、自らを否定し、生まれ変わっていく強さがY!の一番すごい所だと思います。

-ヤフーでお仕事されていて一番苦労なさったことは何ですか?
楽だったときは無かったな、と思います。いつも苦労していたかもしれません。
でも、全てが勉強になり、血肉になる経験ばかりでしたので、苦労だとは感じませんでした。

-ヤフーで学んだことはどんなことでしたか?
一歩先を見据えて戦略を練り、ビジネスモデルを崩すことなく、ユーザーファーストに考えてサービス提供を個々が真剣に取り組んでいるから、Y!は一番なのだ、ということですね。誰よりも真っ当にやっているから一番になれるんだと言うことを学ばせていただきました。

-やめた後に気づくヤフーの良さって何でしょうか。
ユーザーファーストだということのすごさです。

-繰り返しですね(笑)。先程と、重複しますが。
やめた後で、別の会社にいたころに、接した案件で、広告代理店の売上を優先して、利用者にとって、ベストと思えないような商材をリコメンドするというようなやり方をする案件があったりして、ヤフー時代に、「ユーザーファースト」を叩き込まれた身としては、違和感を感じたことがありました。

 そういう意味で、やめた後でも、「ユーザーファースト」の大切さと、「ユーザーファースト」に徹することの大変さを感じました。ユーザーファーストにしなくても、広告業界として、一定程度、儲けることができてしまうので、その誘惑にあらがうのは、本当に大変だと思っています。

その次に、つながるのですが、ユーザーファーストを大事にしている会社ということで、その後、「コズレ」という会社の取締役をやらせていただきました。

-コズレはどういう会社なんですか?
子育てという、多くの人が初めて取り組む大切な行為についての情報発信をしている会社です。ユーザーにとって、本当に役に立つ、情報/商品を届けるということを大事にしている会社で、そういう真摯な取り組みに、共感して入社しました。億単位の赤字がありましたが、2年で黒字にし、昨年には億単位の資金調達にも成功し、立て直しに一役買えたと思っています。

-それで、今年、今度はご自身が起業を。
いったんやり切った感を得たのと、新しい課題をみつけて、次のチャレンジをしようと、2022年6月に取締役を退任し、7月に起業しました。コズレについては、裏方で、支援を続けています。

-新しい会社では、何をなさるんですか?
スタートアップ、上場を狙っているベンチャー等に対する経営支援サービスです。

-経営支援といっても色々とありますが? システム開発なのでしょうか?
システムエンジニア、プログラマーと10年以上経験していますし、システム開発については、当然、お手伝いできる部分があると考えています。

-でも、それだけじゃないんですよね? 何が違うんですか?
やはり、ヤフー/リクルートなどでやってきた経験が大きくて、インターネットビジネスについては、広く知見があり、そこに一つの強みがあると思っています。自社で完結するシステムも、他社と連携するシステムも開発できますし、決済・ID・EC・物流インフラについても裏側までよくわかっています。
5つの支援テーマがあり、お客様のニーズにあわせて、柔軟に対応しています。
①事業開発・戦略策定
②プロダクト開発
③エンジニア採用支援
④組織開発・制度設計
⑤人材育成

-なるほど。
起業家の方が「こういう事業をやりたい」という想いをもっていても、それを具体的なプロダクトに落とし、よい提携先を見つけ、システムに落とし込み、エンジニアを組織化して、動くような仕組みを作るということは、本当に大変なことで、そこのあたりは、特に、お手伝いできる部分があると思っています。

-某空港でのイレギュラー対応、某インターネット会社での事故対応、サービスマネージャーとしての失敗経験なども、活かせるということでしょうか。
失敗体験というのは、本当に大事ですものね。何事もやってみないとわからない、失敗があるのは当たり前で、それを乗り越えるということを繰り返すことが、成功への近道なんではないでしょうか。

現在の仕事の面白いところや素晴らしいところを教えていただけますでしょうか。
起業家の皆さんは人生かけていらっしゃいます。そのように、本気で何かに取り組んでいる方々と仕事できること自体が、すごく面白いです。Y!を含め多くの企業で多くの立場・役割を経験してきた自分の知見を活かし、起業家の皆さんが一歩前に進むのをお手伝いできることが喜びです。

-ご趣味は何ですか?
お酒、ラグビー観戦、筋トレです。

-慶応義塾高校、大学とラグビーをなさっていたと聞きましたが、もうやらないんですか?
今は、仕事に全力でタックルしています(笑)。

-ライフワークは何でしょうか。
ベンチャー経営者支援です。

-それ、まだ、ライフワークと言えるほど、継続していないのではないでしょうか(笑)。
確かに。
「プロダクト開発」であれば、20年やっていますので、ライフワークとして、お認めいただけますでしょうか(笑)。人の役に立ちたい、人に喜んでもらいたいと思っていて、それで、自分が得意なのが、「プロダクト開発」なので、「プロダクト開発」を中心にして、人の役に立ちたいなと思っています。

-イマヤフに伝えたいメッセージはありますか。
ヤフーは、インターネットビジネスでは、先端に立って世界と戦っている企業のうち、日本に本拠があって、「プロダクト開発」の全体像などにも、自ら関与することができる、貴重な職場だと思っています。普段当たり前にやっていることが、会社をやめて外から見ると、大変にレベルが高いことであったりします。ですので、目の前にある仕事を一生懸命にやることがご自身の大きな成長につながると思います。そして、どんどんチャレンジするとよいと思います。

-モトヤフの方に伝えたいメッセージをお願いします。
モトヤフの諸先輩は、すごい方が多くて、いつも刺激をいただいています。未熟な自分ですが、モトヤフ関係のイベントでお会いした際は、ぜひ、お気軽にお声かけいただけると嬉しいです。

-読者に伝えたいメッセージをお願いします。
この度、モトヤフというメディアを通じて、皆様と繋がりあえることに幸せを感じています。何かお力になれそうなことがありましたら、お気軽にお声がけくださればと思います。

— 小川さん、本日はインタビューご協力ありがとうございました!

(インタビュアー:中崎 隆


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