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モトヤフ奥村倫弘さんインタビュー

本日は、新卒で読売新聞社に入社、記者として6年半在籍した後退職。1998年にヤフー株式会社に入社し、ディレクター、ヤフー・トピックス編集長、メディアサービスカンパニー編集本部長等のそれぞれの立場でヤフーニュース育ての親として大活躍。その後もワードリーフ株式会社が運営するウェブメディア「THE PAGE」編集長も務め、2019年よりは東京都市大学メディア情報学部教授を務めている奥村倫弘さんにインタビューさせていただきました。

-本日はインタビューよろしくお願いいたします。まず最初にお名前を教えてください。

奥村倫弘(おくむら・みちひろ)です。よろしくお願いいたします。

-おいくつですか。また現在どちらにお住まいですか。

1969年、大阪府生まれの54才です。現在は東京都内に在住です。

-これまでのプロフィールをご紹介ください。

92年に同志社大学文学部を卒業して、同年読売新聞社大阪本社に入社しました。その後福井支局、奈良支局、大阪経済部を経て6年半在籍した同社を退職、1998年にヤフー株式会社に入社しました。ヤフーメディアサービスカンパニー編集本部長等を経て、ワードリーフ株式会社が運営するウェブメディア「THE PAGE」編集長を務めました。2019年よりは東京都市大学メディア情報学部教授を務めております。

-ヤフーのお話を伺う前に、読売新聞時代のエピソードをまずお聞きできますか?

「ネコがメディアを支配する」にも書きましたが、当時はまだデジタル化が新聞社に導入される前だったので、記事は「5行×15文字」の原稿用紙を使用して作成していました。また自分の書いた原稿はデスクに直されるのが前提なので1行空きで鉛筆を使わず書くように指導されました。締め切りとの戦いの中でスピーディーに記事を作成することを徹底的に教育されたのです。

でもその後しばらくしてワープロが導入され電子原稿による記事作成に移行しました。そして私がヤフーに転職した後には読売新聞でもパソコンが貸与されるようになりました。

-ヤフーにはいつからいつまで在籍されましたか?

1998年10月〜2018年12月の約20年間です。入社したときの社員番号は82番(ヤフー)でした。私が働いた最初のオフィスは箱崎でした。そして社長の井上さんを中心にミニ経(ミニ経営会議)が開かれました。また吉川さんもインタビューで触れておられましたが、私もドミノピザをよくオフィスで食べました(笑

-ヤフーに入ったきっかけは何でしたか?

小学生の頃は毎日曜日に秋葉原に友達と通いマイコンを触っていたほど、もともとパソコンが好きでした。Windows95が発売された1995年に取材先でインターネットに出会い、「インターネットがニュースを変えるかもしれない。これを仕事にしてみたい」と思ったのがきっかけです。それと新聞記者のしごとが辛かったのも大きかったですね。

-ヤフーでのお仕事はどんな内容でしたか?

ヤフーが設立された1996年に「ヤフー・ニュース」も始まりました。1998年にヤフーに入社した私は、トピックス編集、校正、トップページの編成などを経験し、またディレクター、ヤフー・トピックス編集長、メディアサービスカンパニー編集本部長等も務めました。

Infoseekやgooといった大手ポータルサイトと違っていたのは、ニュースの見出しをトップページで見えるようにし、更新頻度も上げたことでした。何百本、何千本という記事のすべてに目を通す手間や時間をユーザーから省こうという試みとして、数ある配信の中からトップに掲載すべき価値あるものをヤフーの編集部で選び、配信記事に11字(現在は13字)の見出しを付けました。

また配信契約先の数を増やし、エンタメ、スポーツ、IT、マネー、趣味関連なども扱うようになりました。こうしてヤフー・ニュースを訪れさえすれば、複数の新聞社の好きな記事を、好きなだけ読めることになり、こうしたサービスは、紙にない利便性をもたらしました。

-ヤフーで学んだことはどんなことでしたか?

変化に対応することの大切さ。失敗を恐れずに何にでもチャレンジすることですね。

-辞めたから分かるヤフーの良さというものはありますか?

IT技術やビジネスに関し、時代の最先端の方にいられることですね。

-ネクストキャリアを選んだ決め手は何ですか?

年齢。自分の役割を終えたと感じました。
『ネコがメディアを支配する──ネットニュースに未来はあるのか』で書きました新聞博物館で見た伝書鳩のくだりです。自分の体験を後進に伝えなければならないと感じました。それまでもいろんな大学で非常勤講師をしていたこともあり、転職するなら教員がいいなと思っていました。

ヤフーオフィス最終出社日

-現在のお仕事は具体的にどんな内容でしょうか?

大学の教員です。メディアと社会の関係を考える授業やメディアのプロデュースを教える授業を担当しています。研究テーマは、新聞社とIT企業の関係、先端技術(3DプリンタとかAIとか)のメディア利用の可能性などです。

-現在の仕事の面白いところや素晴らしいところを教えて下さい。

学生が成長していく姿を見るのが楽しいです。ネットの流行やネットの使い方などに関しては、学生に教えられることの方が多いですね。教える立場というよりも、学生と一緒に勉強させてもらっている感じがします。

-ここで興味本位の質問を一つさせていただきます。広告料を収益源として成り立っているウェブサービスにおいて、利用者個人はどのような位置づけと捉えたら良いと考えられるでしょうか。

「監視資本主義」という概念では、アテンションエコノミーにおいて利用者は「原材料」だと考えられています。

今日では、FaceBookやTwitter、InstagramといったSNSやYoutubeなどの多くのオンラインサービスが基本的には無料で提供され、私たちはそれらを金銭的対価を払うこと無しに使用できます。しかし、それらを運営するIT企業の収入の大部分は広告収入であり、この数字は私たちがそのサービスをどのくらい長く使うかによって左右されます。そのため、そういったSNSサービスプラットフォーマーの多くは、私たちの注意を売上げ生み出す貴重な「資源」と捉え、彼らが提供するオンラインサービスを少しでも長く使ってもらうために人々の注意を惹くような設計を行い、ビジネスモデルを最適化させてきたと言われています。そのような暗黒面に堕ちず、ユーザーが本当に必要としている広告を届けられるようになるといいですね。

-今、特に力を入れていることは何ですか?

本を読んで、人とはなしをして、広く勉強することです。

-ご家族以外で尊敬している方がおられたら教えて下さい。

宮坂さんかなあ。

-ご趣味は何ですか?

写真を撮ることでしょうか。しかし、実際はいろんなデバイスやサービスを使って、ネットの空間を目的なく彷徨っていることが一番好きかもしれないです。

-コロナで変わったことはありますか?

人と人とが直接、顔を合わせて会うことの大切さを改めて痛感しました。
それと世の中的なことですが、メディアの新しい展開として巣ごもり需要としてyoutubeの台頭というのが注目されました。

-ライフワークは何でしょうか?

ヤフー時代に作った自分のミッション「社内外を問わず、公益に資する編集者を輩出すること」はいまでも健在です。

-これからチャレンジしたいことは何ですか?

常に新しいものに貪欲でありたいと思っています。

-イマヤフに伝えたいメッセージをお願いします。

事務仕事にならないよう、好奇心と柔軟性をもって、未来を作るつもりで仕事を楽しんでほしいです。

-モトヤフに伝えたいメッセージをお願いします。

おつかれさまでした!

-読者に伝えたいメッセージをお願いします。

インターネットの利用はほどほどに。

-奥村さん、本日はインタビューにご対応ありがとうございました!


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