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モトヤフ有馬さんインタビュー 前編

(ヘッダー画像出典:MarkeZine、撮影:慎 芝賢)

今回のモトヤフインタビューでは、現 楽天グループ株式会社 副社長執行役員CRO の有馬誠さんにオンラインでお話を伺いました!
クラボウ→リクルート→ヤフー→グーグル→楽天 というご経歴で”インターネット広告の父”とも呼ばれる有馬さんのストーリーに迫ります。

ゴルフ・時計収集・クルマ(最近EVの凄さに驚いています!)がご趣味の有馬さん。
早速ご経歴をご紹介致します。

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1980年に京都大学を卒業、クラボウ、リクルートを経て1996年にヤフー第一号社員として入社。ヤフーでは常務取締役として日本で無名の状態からの”Yahoo! JAPAN”の立ち上げ、上場に尽力。ヤフーが優良企業として成長軌道に乗ってきた2002年6月にヤフー退社。

それらの経験を活かして、2004年にはネット業界に特化した人材紹介会社アイ・アムを創立。
2010年にグーグル日本法人代表取締役に就任。日本のネット広告・動画広告の発展を主導。
2017年からは楽天株式会社(現 楽天グループ株式会社) 副社長執行役員CROに就任し、楽天と電通のジョイントベンチャーである、楽天データマーケティング株式会社の代表取締役を兼務。

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事務局:ヤフーの在籍期間と入社のきっかけを教えて下さい。

有馬さん:ヤフー創業時の1996年から2002年まででした。
インターネットの黎明期の1994~95年頃、リクルート在籍時代に、ボストンの「Internet World」というカンファレンスに参加したことがきっかけでした。
コムデックなど他のIT系展示会は技術を見せるものが多くエンジニアが多く来ていましたが、「Internet World」の来場者は広告関係者ばかり。物を展示するというより広告の成功事例発表が多く全体的に華やかで活気があり雰囲気が全く異なりました。そこでひときわ熱気を感じたのが、「メディアとしてのインターネットの可能性」をテーマとしたプレゼンテーションです。

イメージ(画像)も音声も扱えるインターネットは、メディアとして広告業界から注目を集めており、既に成功事例もあるというのです。これを聞いて会場は大盛り上がりでしたし、当時主流だったテキストベースのパソコン通信とのギャップに、私も「インターネットというメディアには、広告ビジネスの可能性が広がっている」と直感しました。そのシンボル的存在が米国のヤフー(当時はまだわずか35名ほど)で、当時すでに「検索エンジン+広告」というビジネスモデルの典型的企業として知られていたんです。ものすごいことが起ころうとしている……そんな衝撃を受け、日本に帰国しました。

それからしばらくして、「ソフトバンクが日本でヤフーの日本法人を立ち上げるので、営業責任者をやってくれないか」とヘッドハンターから連絡があり、ヤフーの営業責任者、つまりはインターネット広告の営業、その立ち上げを任される……これは、またとないチャンスだと思い即決しました。

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事務局:ヤフーに入社される前に、通信事業・コンピュータ事業に大きく舵を切りつつあったリクルートで同社の事業を推進されたと伺っております。

有馬さん:当時の「通信の自由化」という一大変革期に挑戦するリクルートに1987年8月に入社しました。リクルートでは多くのギャップに遭遇し、大きな挫折も経験しました。それは鳴り物入りでスタートした国際通信関連の新規事業の失敗でした。インターネット普及以前、国際通信回線の利用料金は高かったのですが、そこで提案してスタートしたのが通信回線を保有する企業(当時のKDDなど)から回線を借り受け、付加価値を付けて再販する事業であり、リクルート悲願のインターナショナルな新規事業ということで、リクルートの経営陣からも大いに期待されていたし、その事業のために設立された「リクルート国際VAN」でいきなり取締役に任命されて気を吐きましたが、苦戦しました。

あとあと計算してみたら、約5年間で40億円もの投資をしてもらいながら撤退という最悪の結果となり、迷惑をかけました。
個人的にはこの間の、海外ベンチャー買収と撤退、ビジネス英語の基礎の習得、最先端のコンピュータと通信の融合事業(今で言うとまさにウェブサービス)など、その後のキャリアの基礎となる経験はその時に積ませてもらったと言えます。
そうした経験の中には、後にアマゾンのCEOになる若き日のジェフ・ベゾスと仕事をした機会も含まれています。そのあたりは、最近出版された書籍「起業の天才!」の中にも書かれています。( 書籍「起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男」大西康之著:東洋経済出版社刊)

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事務局:リクルートが江副さんの学生起業でスタートして紙の情報誌で大発展を遂げた後、情報通信分野にも大きく舵を切る時期に全幅の信頼を受けた有馬さんが活躍された様子は、「起業の天才」にも確かに描かれていますね。リクルートは「お前はどうしたいの」という問いかけをすることや「圧倒的な当事者意識」ということに重きを置く文化を持ち続けているようですね。

有馬さん:「セルフモーター」とか「セルフエンジン」という言い方もされていましたが、とにかく自発性ある人を大量に採用していまして、リクルートは採用におそるべき力を入れていました。しかも採用後に更に自発性を求めるという文化。実はその後グーグルに入ったとき「とても似ている!」と感じました。しかしそれよりも20年以上も早く実現していたリクルートはもっとすごかったかもしれません。入社2年目の新卒はほぼ採用だけをやっていたと記憶しています。「採用は会社を商品と見立てた営業だ!」と言われていたのが印象的です。

事務局:リクルートを経て、その後いよいよヤフーに第一号社員として入社される訳ですが、入社後展開された具体的なお仕事の内容はどのようなものだったのでしょうか?

有馬さん:純然たるベンチャー企業としてスタートしたので、立ち上げるために必要なことは、なんでもやりましたね。早期上場のために立ち上げ初月から月次黒字が求められ、この達成に全力を尽くしました。

どんなよいサービスを立ち上げるにも、企業として営業がしっかり売り上げを創らなければならないのです。ヤフーは 無料で検索などのサービスを提供し、広告を掲載して収益を上げる営業モデル。最初から営業責任者として、広告の売上責任を持っていましたが、当時は「バナー広告って何?」という時代。まずはサービスを知ってもらうことからのチャレンジでした。代理店任せで無く独自に積極的に動かないといけない思いから、当時、業界慣習からすると異例の手法でしたが、大手広告主への直接営業部隊を立ち上げました。また、同時に大手代理店との提携などを通じて、市場を啓蒙しつつ売上を拡大していきました。

ところで、1997年に三木谷さんは楽天立ち上げでヤフーに挨拶にこられたことがあるんです。2002年に私がヤフーを去るご挨拶メールを送ったとき、三木谷さんが「ぼくたちはまだ若い。またいつか一緒にやることがあるかもしれないよね。」とメール返信をいただいたのは嬉しかった。それは15年後に実現するのですが。

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事務局:ヤフーの第一号社員として入社され会社の成長を牽引される中で、宮坂さん・殿村さん・志立さんがその後入社されることになりますね。

有馬さん:井上さん(ヤフー株式会社元代表取締役社長)と私が当時彼らを一発面接で採用、その後共にヤフージャパンの成長を支えてくれました。殿村さん・宮坂さん・志立さんの順で入社してきたと思います。
あの頃は時間もなく、2人で同時に面接をして、一発で決めていました。今は3人ともそれぞれの分野で活躍してくれていて、嬉しい限りです。2代目代表取締役社長となった宮坂さんは、今は東京都の副知事をやっていますね。

事務局:ヤフーで学んだことはどんなことでしたか?

有馬さん:今私は楽天で三木谷氏の元にいますが、超優秀な経営者に共通しているのは、「課題解決、課題克服にあたっての創造性」つまりいかにクリエイティブな解決策を考え、実行できるかという能力だと思います。ヤフーの立ち上げでは、自分自身もずいぶん「クリエイティブ」で時に乱暴な解決策を起案、主導しましたが、新しい価値の立ち上げ、拡大には必須だったと思います。
話は大きくなるけど、世の中を変えるのも同様だと思います。クリエイティブな社会課題の解決策を考え、摩擦をおそれず実行する。イノベーターとはそのような資質を持った人だと思います。

後編に続きます】

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