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モトヤフ曽根康司さんインタビュー

第30回インタビューの本日は2002年から2014年までヤフージャパンに在籍され、ビジネス開発部を皮切りに、法人営業本部、ビジネスサービス本部で営業企画・事業企画業務に従事し、その後COO室に異動し中期経営経営計画の策定等、全社横断系の業務等でもご活躍された曽根康司さんにインタビューさせて頂きました。
曽根さんは今年(2022年)の7月からは株式会社EXIDEA(エクシィディア)の取締役として既存事業の伸長と新規事業開発を担当されています。

-曽根さん、本日はよろしくお願いいたします。まずお名前をフルネームで教えてください。

曽根 康司(そね こうじ)です。よろしくお願いいたします。

-お生まれはどちらですか、またどちらにお住まいですか。

東京都杉並区出身で、現在は東京都目黒区に住んでいます。

-これまでのプロフィールをご紹介ください。

大学卒業後、アルバイト先の時計店にそのまま入社し、原宿と下北沢で時計店の経営とバイヤーをやっていました。その後、1999年4月に時計商として独立したのですが、まだ黎明期だったインターネットを活用して時計の仕入れや販売を行っていたところ、アマゾンジャパンの立ち上げのメンバーと知り合い、4人目の社員として1999年11月に入社することになりました。
入社後は立ち上げ業務に加えて、オンライン広告やアフィリエイト広告に携わりました。当時、ヤフーはアマゾンジャパンの大きな広告出稿先の一つでした。

ヤフージャパンには2002年に入社し、2014年に退社しました。再度の独立期間を経て、同年に株式会社キャリアインデックス(東証プライム市場上場、同社は2005年創業、2016年東証マザーズに上場)に入社し、事業責任者や広報・採用にも携わりました。

そして、2022年7月に現在の株式会社EXIDEA(エクシィディア)に移りました。現在のミッションは事業伸長と新規事業開発です。また2019年~2021年は慶應義塾大学の社会人大学院生(MBA)として、学び増しをしました。

-時計店経営や時計商をされていたというのは、とてもユニークなキャリアかと思いますが、主にどのような時計を扱っておられましたか。

自分の後を継いで独立した仲間がやっているお店のInstagramを見て頂くとイメージが掴めるかと思いますのでご紹介しますね。現在は原宿のキャットストリートの端にお店があります。
時計店L(エル)
https://www.instagram.com/watchshopl/
こんな感じのちょっと希少性の高い、ちょっと尖った、ファッション性の高い時計などを香港などで買い付けていたりしました。

時計商時代にMEN'S NON-NOに掲載された記事

-アマゾンジャパンに4番目の社員で入社されたというのもビックリしました。

アマゾンジャパン時代のエピソードについては、以下のような記事があるのでこちらをご覧ください。

「ロケットに飛び乗った」若者たち|アマゾン ジャパンができるまで 第6回

-ヤフーの在籍期間はいつでしたか?

2002年9月~2014年6月の約12年間です。

-ヤフージャパンに入ったきっかけは何でしたか?

インターネット業界を中心に転職活動をしていたのがきっかけです。何社か受けていたのですが、ヤフージャパンに決めた要素の一つにに「会食のつつましさ」のエピソードがあります。

アマゾンジャパンは広告出稿主だったので、広告掲載をしているポータルサイトの取引先の方から会食のご招待をいただく機会がそれなりにありました。

通常は、お寿司やちょっとしたワインが出てくる店になることが多かったのですが、ヤフージャパンだけは取引額が大きいのに、会食のお店の選定がとてもつつましかったんです(笑)。販管費の管理がちゃんとしている会社だなと思いました。業務への魅力も当然ありましたが、外から見えにくい社内体制も、この会社なら大丈夫だろう思って入社を決めました。

その後、ヤフージャパンが躍進を続けた一方、他のポータルサイトが苦労したのも、こういった要因が重なった結果だったのではないかと思うことがあります。

入社時の社員番号は640番でした。ちょうど新卒採用を少しずつはじめていた時期でした。

入社当時のトップページ

-ヤフーでのお仕事はどんな内容でしたか?

最初はビジネス開発部という部署(当時の広告売上とパーソナル売上以外の事業の柱を開拓する部署)でした。入ってみたら、今のダイバーシティーの時代には考えられないですが、男性だけが12人いる男子高のような部署でした。暑苦しさと楽しさが入り混じっていたいい思い出があります。
その後、法人営業本部、ビジネスサービス本部で営業企画・事業企画に従事した後、COO室に異動し中期経営計画の策定等、全社横断系の業務に携わりコンシューマーカンパニー移りました。

-ヤフーで学んだことはどんなことでしたか?

「人とのつながりや愛情」が仕事を作り、動かしていることは強く感じました。これはヤフーのみならず、ソフトバンクグループ全体を見ても感じたことです。また、消費者向け・法人向けサービスを提供する事業者としての社会的責任も重く感じました。サービスレベルに加え、情報セキュリティに関してもです。

モノでいえば「仕組化」でしょうか。インターネットサービスはソフトウェア産業から見た側面の仕組化もありますが、組織の成長に合わせた制度設計や組織運営の仕組化の大事さです。トップライン(売上)を作る再現性に加えて、それを支える組織運営の再現性がヤフーの驚異的な成長を支えていたと反芻しています。

あとは大事なお金。特にCCC(キャッシュフローコンバージョンサイクル:回収サイクル)に起因するキャッシュフロー創出力の重要さですね。これがなければ、ヤフージャパンの成長はなかったと、今になって改めて思います。

-ヤフー時代のエピーソドやトピックはありますか?

やはり大変だったことのほうが強く印象に残るみたいで、リーマンショック後の予算削減の実務対応、東日本大震災後の節電要請への事務局対応は強く心に刻まれています。

イベントで記憶に残っているのは中期経営計画の担当したときです。グランドハイアットで行われた説明会に同席したジェリー・ヤンが、自分の作成した資料を引き合いに出して、これまでの振り返りと展望を語ってくれたときはとても嬉しかったです。

またある会議の後、井上さんの部屋に残っていたら、その前の会議で出させていたケーキを分けてくれたことがありました。あまり愛情を表に出させる方ではなかったと思うだけに、一宿一飯、一ケーキの恩義といえますでしょうか、いまだにその時の恩義を感じています。

井上さんから受けた薫陶と言えば、四半期毎の外部向けの決算説明会の後、社員を大フロアに集めて、毎回、社員向けの決算説明会をしてくれたことです。経営者にとって、決算説明会というのは自分の通信簿を見せるようなものですし、緊張感を伴う外部向けの説明会の後に、また近しい内容を、しかも分かり易く丁寧に話すなんて、普通ならやりたくないはずですが、井上さんは毎回やってくれました。

金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上と後藤新平が言ったそうですが、後に続いたモトヤフのご活躍を見るに、井上さんは全部残すコンボを達成したように思います。

-辞めたから分かるヤフーの良さというものはありますか?

まずは安定的にトップラインを描けるビジネスモデルの強固さ(笑)ですね。元々、時計店の経営で売上の増減には敏感なほうだと思うのですが、改めてベンチャーに移ると、それを強く感じます。あとは、新しいことをやろうとする姿勢サービス面・組織面。それとユーザーファーストをベースとした品質へのこだわりはいいなと今も思います。

-ネクストキャリアを選んだ決め手は何ですか?

そこにいても、しばらくは自分がやりたいと思うチャレンジができる可能性が少ないと感じたからです。事業環境の変化や組織内の人員構成、資本家や経営者でない限り、そこの差分が発生しないことはないと思っています。このことは、どのキャリアチェンジでも共通しています。JPモルガンの「どこかにたどり着きたいのなら、まずは今いる所に留まらないことを決心しなければならない」は常に心に留めています。

-現在のお仕事は具体的にどんな内容でしょうか?

今年(2022年)の7月から株式会社EXIDEAというところで働いています。既存事業の伸長と新規事業開発が担当です。また、今回のインタビューをお受けたしたコンテクストも含まれますが、広報周りもお手伝いしています。EXIDEAでは、Webメディアの運営や動画の制作もやってますので、動画の制作にお困りときは、是非お声がけください。

-現在の仕事の面白いところや素晴らしいところを教えて下さい。

インターネットという、まだまだ無尽蔵に広がりのある空間で、新しいことにチャレンジできる環境、若いメンバーと一緒に成長できる環境です。あとは、特にミレニアル世代、Z世代といった経験・価値観のグラデーションの違うメンバーと話して、感じて、自分の世代から、よいものを継承していくことの意義の大きさも感じています。

-今、プライベートでは特に力を入れていることはありますか?

変装してテレビ登場した曽根さん

モトヤフにはご存じの方も多いかも知れませんが「焼肉」です。仲間とYAKINIQUEST(ヤキニクエスト)という焼肉を探究するユニットを作って、1998年から活動しています。たまたま学生時代のアルバイト仲間と大学の同級生が同じ広告代理店で一緒に働いていて、その二人と「如何に焼肉を美味しく食べるか」ということを啓蒙しようと始めたのがきっかけです。

自分がウエブマスターになってサイト制作し、仲間でコンテンツを作ってホームページにしました。それが結構評判になってTVや雑誌の取材や出演も受けました。ヤフージャパン在籍時代は、人事部の許可を得て、社名を出さずに覆面でテレビに出てました。現在も焼肉の探究は継続しています。

-ご家族以外で尊敬している方がおられたら教えて下さい。

アラン・ケイ博士(元パロアルト研究所・Appleフェロー)です。
パーソナルコンピュータの父といわれ、我々が慣れ親しんでいるコンピュータのインターフェイスであるGUI(グラフィカル・ユーザ・インターフェイス)の開発者でもあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アラン・ケイ
彼の言葉である"The best way to predict the future is to invent it." は自分の座右の銘です。

-ご趣味は何ですか?

焼肉・散歩・ドライブ・麻雀・競馬観戦・相撲観戦・読書・エッセイや文章を書くことです。

曽根さんの取材記事

-コロナで変わったことはありますか?

外的環境から考えると、まず政治面は、公衆衛生を最優先にする政治判断が多くなる傾向に進んだこと、政治責任が問われる場面では、常にコンサバティブな判断が行われるようになったことでしょうか。

経済面では、量的緩和が進み、今も続いていますが株式・債券・為替のボラティリティが増し、生活者として考慮すべきことが増えました。厄介な問題ですが、対応していかないといけません。

社会面では寛容・非寛容の振れ幅が増えたというか、両端が目立っているように思います。ステイホームによるフィルターバブルやエコーチェンバーの影響もありそうですが、非寛容の尖がり過ぎは是正されるべきだと思っています。

個人に振り返ると近所や近隣・近県に目を向ける機会が多くなったのは、良かったと思います。行ったことがなかった近所の町中華で意外な発見があったり、旅行できない代わりに訪問した先の風景が印象的だったり。赤羽の岩淵水門は初めて行ったのですが、新旧二つの水門の造作が興味深い一方、東西南北に広がる風景のグラデーション、風の流れを感じることが出来る緑地帯は素晴らしい発見でした。

-ライフワークは何でしょうか?

自分の活動を通して、(おこがましいですが)社会や人にいい影響を与えたいと思っています。自分の生き方の一部を参考にしてくれる人が出てくれればいいと思ってますし、金銭的・物理的に社会に貢献できるようにもなりたいと思っています。

-これからチャレンジしたいことは何ですか?

一番大きなのはインターネットの新規事業開発です。また焼肉の活動や文章を書くことで社会に良いインパクトを与えることにチャレンジしたいですね。

-イマヤフに伝えたいメッセージをお願いします。

今、この瞬間に同じ組織にいるということは奇跡的(再現性がない)ことだと思います。縁を大事にしていただいて、その縁がつながって、すばらしいコミュニティや社会が形成されていけばいいなと思います。

-モトヤフに伝えたいメッセージをお願いします。

一緒に焼肉に行きましょう!ご連絡お待ちしています。

-読者に伝えたいメッセージをお願いします。

いろいろなテーマで、エッセイや文章を寄稿しています。こんなこと書いて欲しいとかあればご連絡いただけると嬉しいです。

-曽根さん、本日はインタビューにご協力いただき、ありがとうございました!

(インタビュアー:川村 英樹)

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