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「誰ひとり取り残さない」ということ(CA)

「誰ひとり取り残さない」は、そもそもどこから?

SDGsの認知度が高まるにつれ、「誰ひとり取り残さない」という言葉を耳にする頻度が増えてきた。

SDGsは、そもそも、2015年の国連持続可能な開発サミットで採択されたアジェンダ2030に、人間、地球及び繁栄のための行動計画として、掲げられた宣言および目標だ。

そして、「誰ひとり取り残さない」は、その宣言文書の前文と宣言に繰り返される文言であり、概念だ。

この文書を読むたびに、私は感動してプルプル、そしてうるうるしてしまう。

初めて、この文書を目にした時は、正直驚いた。

「よくもまぁ、こんな高邁な理想と目標をぶち上げたもんだ。」と、子どもじみた理想主義者の自覚がある私が見ても、びっくりするような世界観と目標に思えたのだ。

しかも全人類へ行動を呼びかけているんだから、感動せずにいられない。

ただ、裏を返せば、私たち人類がこの地球上で永続的に反映していくには、高邁な理想とも思えるビジョンと目標を実現することが、最も現実的な道筋だということに、世界が気がついたのだとも思える。


世界一感動的な文言


アジェンダの内容があまりにも素敵で、本当ならここに全文紹介したいところだが、ここでは「誰ひとり取り残さない」がより際立っている、前文の一部と宣言の4だけ、紹介する。

「このアジェンダは、人間、地球および繁栄のための行動計画である。これはまた、より大きな自由における普遍的な平和の強化を追求するものでもある。我々は、極端な貧困を含む、あらゆる形態と側面の貧困を撲滅することが最大の地球規模の課題であり、持続可能な開発のための不可欠な必要条件であると認識する。
すべての国およびすべてのステークホルダーは、共同的なパートナーシップのもと、この計画を実行する。我々は、人類を貧困の恐怖および欠乏の専制から解き放ち、地球を癒し安全にすることを決意している。我々は、世界を持続的かつ強靭(レジリエント)な道筋に移行させるために緊急に必要な、大胆かつ変革的な手段を取ることに決意している。我々はこの共同の旅路に乗り出すにあたり、誰ひとり取り残さないことを誓う。」
(「アジェンダ2030」外務省仮訳の前文より)

「(誰ひとり取り残さない)この偉大な共同の旅に乗り出すにあたり、我々は誰も取り残されないことを誓う。人々の尊厳は基本的なものであるとの認識のもとに、目標とターゲットがすべての国、すべての人々および社会の全ての部分で満たされることを望む。そして、我々は、最も遅れているところに第一に手を伸ばすべく努力する。」
(「アジェンダ2030」外務省仮訳の宣言4より)


最も取り残されているのは、誰?


さて、この最も遅れているところとは、どこの誰だろうか?

文書を読めば、明らかに世界の貧困層と呼ばれる人たちであり、女性や子どもであり、それは当然のことだと思う。

ただ、私が最も取り残していたのは、他の誰でもなく自分自身。
そして、そのことに気がついてさえいなかった。
そんなことに、この4月から5月にかけ、様々なきっかけが重なり、気づかされた。

頑張っている自分を素直に承認することができず、できていない自分、完璧と思えない自分にばかり、無意識に目を向け、非難し続けていた自分がいた。

睡眠、身支度、入浴…考えつくありとあらゆる時間を極限まで削って、自分の事業と母の介護を両立させようと奮闘していた自分。

そんな自分の頑張りを承認する代わりに、うまく両立できない自分を責めていた自分。

ストレスから思わず母に辛く当たってしまった自分を許し、いたわる代わりに、自分を非難する自分。

自分には価値あるもの、報酬を受け取る資格はないのだと、無意識の奥の方で信じ込む自分。

無意識とは言え、他人には、決してしないような残酷な形で、自分自身を裁き、否定し続けていた。
そうして自分の大切な一部を、私は取り残し続けてきたのだった。

それは、無意識なだけに、取り残さないのがとても難しい。


もし世界が自分を通して立ち現れるものであるならば…

でも、もし世界が自分を通して立ち現れるものであるならば、

誰ひとり取り残されず、

すべての人生が栄える、貧困、飢餓、病気、および欠乏から自由な世界。
恐怖と暴力から自由な世界。
人間の潜在力を完全に実現し、繁栄を共有することに資することができる平等な機会が与えられる世界。
すべての国が持続的で、包摂的で、持続可能な経済成長と働きがいのある人間らしい仕事を享受できる世界。
人類が自然と調和し、野生動植物その他の種が保護される世界。
(「アジェンダ2030」外務省仮訳の宣言、目指すべき世界より一部抜粋)

こうした世界を出現させるために、まずは自分自身を取り残さないこと。
そこを大切にしようと思う。

「誰ひとり取り残されない」が立ち現れる場


幸い、私は取り残し続けて来た自分のカケラを見つけ、ありのままの自分の完全さを受け入れること。自分のホールネスを取り戻すことができた。

そのお陰で、隠すもの、守るエゴやプライド、自分を証明する必要のないスペースにあること、そこから行動することができるようになったと感じる。

そこは、恐れや欠乏から自由な、平和でありながら、静かな躍動感に満ちた場所だ。

とは言え、油断をすると簡単にそこから外れてしまう。

かつてアインシュタインが言ったように「問題を生み出したのと、同じ思考パターンで、その問題を解決することはできない。」

いまの地球を持続不可能なものにしてしまった思考が「分断、競争、欠乏、要素還元主義」等であるならば、持続可能な発展のための戦略や戦術以上に、そうした思考パターンを手放して生きることが、持続可能な未来へつながるのだと思う。

だから、まずはありのままの自分を完全に受け入れて生きることを大切にしようと思う。

「誰ひとり取り残さない」自分で、自分はいるのか?

「誰ひとり取り残さない」自分として生き、行動しているのか?

自分に問い続けて、生きていこうと思う。


画像引用元:
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