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端正で真摯で紳士だった僕のギターヒーロー、KOJIさん逝去に寄せて

La'cryma Chiristiのギタリスト、KOJIさんが先月15日、食道がんで亡くなった。享年49歳。

電車の中で知った瞬間、言葉を失った。
心の幕がゆっくり下がってくるように、時間がスローモーションに流れた。

KOJIさんは90年代後半に一世を風靡したヴィジュアル系ロックバンド、La'cryma Chiristiラクリマクリスティ(以下ラクリマ)のギタリストであり、思春期の僕にとってはじめてギターを演奏するということの楽しさ、喜びを教えてくれたギタリストだった。

そもそもヴィジュアル系とは

ヴィジュアル系(以下V系)というジャンルの語源は、X(当時)のキャッチコピー"PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK"からという説が有力である。

X 『BLUE BLOOD』(1989)

もはや説明不要の世紀のカリスマ、X(現X JAPAN)のYOSHIKIが自身の素養であるクラシカルな耽美性と、10代でKISSを聴いて覚醒したというロック本来の持つ攻撃性、暴力性を融合させたソングライティング、更に文字通りの「見た目」ヴィジュアルという絶対的な価値基準が自然発生的に融合フュージョンして出来上がった特異なジャンルこそがV系であった。

We are ✖️
TAIJI(B) PATA(G) YOSHIKI (Dr./Piano) TOSHI (Vo) HIDE (G)


X(当時)をパイオニアとして以後、BUCK-TICK、DEAD END、LUNA SEA、黒夢、GLAY、L'Arc~en~Ciel、SOPHIA、SIAM SHADE、PENICILLIN、ROUAGEらが軒並みメジャー・デビュー。カウンターカルチャーとしてのV系シーンは時代の潮流とマッチし、熱気を帯びていく。

そのわかりやすい外見の一方、楽曲の特徴は退廃的な暗いコード進行とメロディ、8ビートを軸にしているバンドが多かった。音楽としては比較的わかりやすいジャンルだったし、ややもすれば王道の音楽を好む人達からは揶揄の対象にもなり得た。

La'cryma Chiristiの栄枯盛衰

ラクリマがメジャーデビューしたのは1997年。シーンがいよいよ隆盛を極めようとしている真っ只中だった。

L⇔R
KOJI (G) HIRO (G) TAKA (Vo) LEVIN (Dr) SHUSE (B)

彼らが凡百のV系バンドと一線を画していたもの、それはまさに曲の壮大な世界観だ。イタリア語で「キリストの涙」を意味するバンド名だが、インディーズ時代から楽曲にはえも言われぬ唯一無二のオリジナリティがあり、その世界観はヨーロッパにとどまることはなかった。

メンバーのルーツであるHR/HM ハードロックヘヴィメタルを軸に、モンゴル、中国、イスラエル、時にはカリブ海周辺などの要素が敷き詰められた無国籍でポップで複雑なアレンジが施された楽曲群。まるで一曲毎に異なる色鮮やかな景色を脳裏に浮かび上がらせた。今考えれば、画一的でモノトーンとも言えるV系という音楽ジャンルの中で、立体的で奥行きのある音楽性がそもそもパンクだった。僕は瞬く間にラクリマの虜になった。

また、メンバーそれぞれのプレイアビリティも群を抜いていた。特にベースSHUSEさんのベーシストの概念を覆すような飛び跳ねまくりのステージング。地を這うような豪快なグリッサンド、トーキングモジュレーター込みの多彩なコーラスワーク、うねりまくりの極難フレーズから一辺倒のパンキッシュなダウンピッキングにはどれだけ薫陶を受けたか分からないし、ベーシストがメイン・ソングライターというのも格好良かった。

そして、HIROさんとKOJIさんのツインギターは唯一無二だった。ツインギター編成では、片方がバッキング、片方がソロと役割分担がはっきりしていたバンドが多かった中、双方がそれぞれバリバリ弾きまくるというのは珍しく、1曲の中で緻密に練られたバッキング、アルペジオ、ソロ、ツインでのハモリなど、二人のフレージングとコンビネーションは絶妙で、まるで短編映画を見ているようなアレンジの妙があった。

初期の大名曲『Warm Snow』 
芸術的な構築美の長尺ギターソロ(2:35~3:33)


当時音楽業界はV系花盛り。音楽雑誌もV系バンドが毎月の表紙を独占し、ラクリマの露出も相当なものだった。居ても立っても居られかった僕はお小遣いを奮発し、息せき切って渋谷のイケベ楽器へ。そしてついにKOJIさんのシグネチュア・モデルkillerのKG-Baronを購入!

Killer KG-BARON
もうかれこれ20年以上の付き合い


当時のkillerカタログ残ってた!
スペックはご覧の通り
当時のGIGSも残ってた!
丸々1ページにわたる詳細解説

当時は憧れ「のみ」の動機でスペックとか全く考えてなかったけど、今考えてもなかなかユニークなギターだと思う。ボディはアッシュ材でめちゃくちゃ重いけど、カラーは映えるし、フロントとリアの音は繊細。リアピックアップはスタック・ハムバッカーが搭載されているので意外とヘヴィな音も出る。加えてワン・ヴォリューム5ウェイのPUセレクターという漢気のある作り。高校生にとっての10万はかなりハードルが高かったけど、今でも買って良かったと思えるギターの一つ。初期衝動って大事。

V系バブルもあり、ラクリマはデビュー後㌧㌧拍子にメジャーの階段を駆け上がっていく。CDチャートでは上位に食い込み、Mステやうたばん、ポップジャムなどの歌番組にも出演。動員も軒並み増え、日本武道館や横浜アリーナでの公演を成功させるほどの人気バンドとなっていく。


ラクリマ史上最大のヒット曲『未来航路』(1998)
作詞:TAKA  作曲:KOJI

そして2000年代に入り、3rdアルバム『magic theater』をドロップ。個人的にはこれがラクリマの最高傑作だと思っている。

『magic theater』(2000)


メジャーデビュー以降、ヒットの功罪としての「お茶の間バンド」になってしまった感のあった彼らだったが、このアルバムは完全にメジャーシーンへのアンチテーゼだったように思う。ジャケット・ワークは各メンバーの楽器を持った可愛らしいウサギ風のキャラクター。ところが、アルバムを開くと一変、人間を笑顔で食い散らかすという禍々しいシーンが広がっており、購入当時仰天したのを覚えている。今じゃ絶対に規制かかるヤヴェぇヤツ。

表題曲である1曲目の『magic theater』からしてもうおかしい。11分を超えるプログレ曲で売れる要素をハナから排除している。しかしながらまあこの曲がグサグサとハートに刺さること刺さること。イントロはHIROさんがクリーンのアルペジオを奏で、KOJIさんは単音リフ、そしてベースのSHUSEさんが12弦ギターでバッキングをしながらのコーラス。この時点でグッと来る。

このアルバムで燃え尽きバーン・アウトたラクリマは、それ以降迷走の時期に突入していく。シングル、アルバムを発表していくも動員やセールスは右肩下がり、タイアップなどの獲得もなくなっていった。そして気づけば本家の活動停滞と比例するように、コアファンだったはずの僕も彼らの動向を追わなくなっていった。

そして2005年、音楽性の違いを理由にギターのKOJIさんが脱退。以降、4人編成となったラクリマは音源発表とライブも行うが、結果KOJIさんの脱退から2年とたたずに2007年1月にZepp Tokyoでのライブをもって解散となってしまった。

V-ROCK FESTIVAL '09での再結成とKOJIさんとの会話

2009年10月24日(土)、ラクリマが再結成することになった。しかも脱退したはずのKOJIさんを迎えて5人で!

舞台となったのはV-ROCK FESTIVAL '09@幕張メッセ。国内のヴィジュアル系バンド40組以上とおよび数組の海外バンドを招聘して開催された。ヴィジュアル系バンドが中心となったロックフェスティバルとしては、日本初の開催であった。

ライブは最高だった。5人で立て続けに演奏された往年の名曲群は全く色褪せていなかった。そしてKOJIさんのルックスも相変わらずめちゃくちゃクール!髪もラクリマ時代には初期でしかみたことない長髪、しかもカールしていて、これがまたカッコ良すぎて心を打ち抜いた。

La’cryma Christi  V-ROCK FESTIVAL’09

実はこの時幸運な伝手があり、バックステージでKOJIさんにお会いする事が出来た。超絶緊張しながらもライブの感想とKOJIさんのギターをずっと弾いていること、5人でのラクリマが見れて最高だったことをたどたどしく伝えた。端正な顔立ちのKOJIさんはとても紳士的に「ありがとう、嬉しいよ。また来てね」と言って握手してくれた。

これが僕の最初で最後のKOJIさんとの会話となった。

以降、ラクリマは再結成ツアー、そしてデビュー15周年の全国ツアーと展開していく。あまりに嬉し過ぎて、全国ほとんどの公演を追っていった。新曲はなく、完全に懐古主義で古典回帰的なツアーだったが僕はそれでも十分だった。一度は4人になった現在の5人のラクリマが現在の音で昔の曲達を奏でる。それは新曲をやってくれる以上に重要なことでもあった。

ツアーが終わり、メンバーはそれぞれ個々の活動へ戻っていった。そして気づけばVo.のTAKAさんは音楽活動を休止していた。

KOJIさんは元マスケラのmichiさんとALICE IN MENSWEARというバンドを組んで活動していたが、数年前に食道ガンを患ったと告白していた。そして逝去するわずか1ヵ月と少し前、あまり芳しくない自分の病状を伝える配信をyoutubeに残していた。

30分以上にもわたる本人からの独白にも近い病状報告。しかし、湿っぽくなく、あくまで音楽を作り続けたいという前向きな気持ちが伝わってくるものであった。

V-ROCK FESで僕にかけてくれた言葉を思い出した。ファンに対して、メンバーやスタッフに対して、そして自分の音楽に対してとても暖かく真摯で優しい人だなと思った。どうか寛解かんかいの方向に向かってほしいと願った。

しかし、それは叶わなかった。

思うこと

今まで相応に人の死には直面してきたが、今回のKOJIさんの逝去は堪えた。
自分の青春のアイコンとも言っていい人だったし、音楽の楽しさを教えてくれた人だったから。

と、同時に自分のやりたいことは、いろいろかわしながらも優先でやるべきだなと強く思った。

もちろん、やんなきゃいけないことは沢山ある。けど、それをこなすのが人生ならやっぱり何か味気ない。やりたいことをやって、それで結果他の人に何かが届けば素晴らしい人生だったと思うんだろうな。そんな仮説が人生折り返しの時期になってぼんやりわかってきた。

ROCK PRINCE FOREVER KOJI

ありがとう、KOJIさん。
どうぞ安らかに。





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