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時の彼方で ~第9章・蘭子(らんこ)~

『私は世間に知られるのは嫌なの。蘭子がそう願うなら、お互いの価値観が違うんだから、もうこれ以上一緒にいることは無理かもね』
彼女は吐き捨てるようにそう言うと、バタンと扉を強く閉め部屋を出て行ってしまった。

どうして…。彼女と一緒にいたい。なんで女同士じゃダメなの。好きになっちゃいけないの?私は彼女のことが人として好き。彼女の考え方や生き方、価値観や真面目なところ。最初は憧れだった。素敵な人だと思った。お姉さんのように接してくれて、妹のように可愛がってもらった。でも、いつの間にか彼女のことを恋愛の対象に考えるようになった。寝ても醒めても彼女のことを考える。こんなに好きなのに。どうして同性じゃダメなの?人を好きになるのに性別なんて関係あるの?

彼女がいない部屋で、彼女の匂いがするTシャツを抱きしめて、とめどなく涙があふれた。



彼女とは、趣味のイベントで知り合った。短い金色の髪に、スリムな長身がまるでモデルのように美しくて、私はしばし見惚れてしまうほどだった。黒のパンツに黒のジャケットが、より一層彼女を際立たせる。なんてキレイな人なんだろう。「男装の麗人」と良く言われるが、その表現がピッタリの人だった。彼女は、この業界ではちょっと名の知れたイラストレーター。クールな容姿に似合わず、可愛らしい温かみのある絵を描く人だ。噂には聞いていたが、まさかこんなにキレイな人だとは。

「あ…あの、こんにちは。いつもネットで拝見しています。お会いできて嬉しいです」
『ありがとう。はじめまして』
「あ、蘭子と言います。趣味でイラストを描いています」
『よろしくね』

彼女は、言葉少なにそう言うとちょっとはにかんだ笑顔を見せた。ドキッとした。端正な横顔は、まるでギリシャの彫刻を見るような感じで、この人ハーフなのかしら?と思うほど美しかった。整形でもしてるのかな。肌も真っ白で陶器のようにすべすべとしていた。お化粧が上手なの?それとも素肌がキレイなのかしら。女子はついつい同性のあら捜しをしてしまう。憧れだった人が想像以上に美しく、現実味がないからなのか、同じ同性としてこんなにも違うものなのかと嫉妬めいたものがあるのか。私は彼女の横顔を見つめながらそんな事をボーっと考えていた。

『蘭子さん、これから担当さん達とランチに行くんだけど、一緒に行かない?』
彼女が不意に声を掛けてきた。
「え?私が一緒に伺っても良いんですか?」
私は狐につままれたような気持ちになったが、憧れの人と親しくなるチャンスだもの。これを逃す手はない。
「はい!ぜひお願いします」

彼女は対応も話し方もスマートで、賢い人だと改めて感じた。仕事関係の人との会食に、会ったばかりでど素人の私を連れて行ってくれるなんて、まるで夢のようだった。ランチは彼女のオススメを注文したが、緊張のあまりどんな味だったかも覚えてない。ただ上品な、私が普段は食べたことのないような味だった気がする。お会計で私の分は払うと頑張ったが、彼女は受け取らなかった。その代わりと言ってLINE交換しましょうとスマホを差し出した。慌てて自分のバッグからスマホを取り出したが、急な展開に手が震え、彼女がQRコードを押してくれた。

『蘭ちゃんって呼んでも良い?』
今日会ったばかりなのに…憧れの人が目の前にいて、一緒にご飯を食べて、LINE交換をしてくれて、私をちゃん付け?その日は身体中がふわふわと、まるで何十万円もする超高級な羽根布団の上に乗っているような夢心地だった。でも!私のスマホのアドレス帳には彼女の連絡先が入っている!夢じゃない!夢じゃない!


それから、私達は急速に親しくなり一緒にご飯を食べに行ったり、個展を見に行ったり、アミューズメントパークにも出掛けた。そんなある日
『ね、蘭子。私達、一緒に住まない?』
と彼女が切り出した。
『こんなにしょちゅう会ってるんだもん。飲みに行ったり出掛けて遅くなると、蘭子の家に泊まったり、私の所に泊まるでしょ。別々に住んでるとお金も掛かるし、蘭子には私の仕事をアシスタントとして手伝ってもらいたいの。もちろんお給料は出すわよ』


その日から私達は一緒に暮らし始めた。イラストの仕事で多忙な彼女に代わって家事はほとんど私が担当だったが、入稿が終わると彼女が手料理を振舞ってくれる時もあった。時々アイデアが浮かばなくてイライラしている彼女に冷たくされる時もあったが、そんな時は遅い時間まで近所のコーヒーショップやファミレスで時間を潰した。彼女の邪魔をしたくなかったから。


一緒に暮らしていると、ちょっとしたことでケンカになることもあった。洗濯物の干し方が違う。彼女は、靴下は足首の方を干すのに対し、私はつま先の方を干す。彼女は
『靴を脱いで屋内に上がった時、つま先が伸びてたらみっともないでしょ』と言う。
私は足首の方が伸びてたらみっともないと反論すると
『じゃあ、私の靴下は私の干し方で干すわ。蘭子の靴下は蘭子が干せば良いじゃない』
と、全く意に介さないような態度だったかと思うと
『福神漬けはカレーの上に置かないで!味が混ざっちゃうのが嫌いなのよ』
「食べちゃえば一緒じゃない?私は好きだけど」
『蘭子は良くても私は嫌なの!』と些細なことでぶつかったりもした。

1年以上一緒に暮らしていると色んな事が見えてくる。憧れるだけじゃなかった現実も、私が思っていたよりも優しくて子供みたいな面も、仕事にすごくストイックなところも。彼女を知るたびに、ドンドン好きになって行った。でも、それは恋愛感情じゃなく友情や家族に近いものだった。あの日までは。


『蘭子ぉ~~、だーいすき!』

その日の晩は、近くのビストロでご飯がてらちょっと飲もうよと言う話になっていて、軽くワインを飲んだ後、飲み足りないのでコンビニでお酒を買って家で飲もうと言うことになった。彼女は仕事が終わったばかりで上機嫌だったせいか、飲むピッチが早くアッと言う間に酔いが回ったようだった。子供みたいにはしゃぎながら、私にいきなり抱きついてきた。今までずっと一緒に暮らしてきたけど、彼女にこうして直接触れる事はほとんどない。彼女は普段、ふざけて抱きついてきたり、女の子同士が腕を組んでベタベタするのは苦手らしく、偶然手が触れてもパッと振りほどいたり、必要以上に私に近づく事はなかった。私もその時までは、仲良しの友達感覚だったので特に何とも思っていなかった。だけど、その日の彼女は違っていた。

「酔った勢い」で、私に抱きついて首筋にキスをしてきた。彼女の柔らかい唇と熱い息遣いに、私はドキドキした。
『蘭子を初めて見た時から可愛いな、タイプだなって思ってた』。

実は私も学生時代、やはり女性を好きになったことがある。その時は肉体関係もない、淡い初恋のような感情だった。でも今は違う。自分でずっと「友達」だと思い込んできた。ずっと好きだったのに、彼女に嫌われたくなくて友達のフリをしていた。ずっと彼女のことを友達や家族だと思い込ませていた。自分自身に…。


私達はその夜から「恋人同士」になった。生活自体はそれほど変わらなかったけど、近くにいると手をつないだりキスをしたりするようになった。テレビを見ながら彼女が私に寄りかかってきたり、夕飯を作っている私を後ろから抱きしめてきたり。男女のカップルと変わりないような生活。私は次第に彼女との「結婚」を夢見るようになった。いつかテレビの特集でやっていたLGBT。女性同士が夢の国で結婚式を挙げていた。2人で真っ白なドレスを着て、みんなに祝福されて…。私達もいつか夢の国で結婚式を挙げたい。友達や家族に祝福されて、晴れて「夫婦」になりたい。


『そんなこと出来るわけないじゃない。私達はこのままで良いよ。ずっと仲良く暮らしていこう』

彼女は外では絶対に手を繋がない。彼女の家族や友人にも会わせてくれたけど「恋人」と紹介された事は1度もなかった。私は父を早くに亡くし、母と姉だけだったが彼女を恋人として紹介した。母も姉も最初は驚いていたけれど、何となく察していたのかすぐに受け入れてくれた。彼女は自分が恋人として紹介されることを恥ずかしいからと嫌がったが、私は平気だった。

「あなたは私との関係を恥ずかしいと思っているの?」少し強い口調で訊ねる。
『恥ずかしいとは思ってないよ。でも、世間はまだまだ認めてくれないよ、こういう関係』
真面目で常識的。クールで物事に動じそうにない彼女にも弱点があったのだ。
「世間体?」私は彼女をジッと見つめながらそう聞いた。
『外国はともかく、日本はまだまだマイノリティなんだよ。テレビや雑誌でLGBTや性同一性障害を取り上げていても、実際のカップルを見たら大抵の人間は引くよ。結婚を認めている市町村はあっても、法律で婚姻は認められていないのが良い例だよ』。彼女が冷たく言い放つ。

「でも関係ないじゃない。私達が良ければ良いじゃない。私達が公の場で結婚式を挙げれば、周りの人達だって認めてくれるようになるし、同じようなカップルの人達がコソコソしなくて済む環境を作っていけるじゃない」
『自分達は晒しあげられて?私は嫌だよ。蘭子と一緒にいたいけど結婚式なんてしなくて良いし、人様にわざわざ知らせる必要があるの?私達が同性愛者だって?』
「晒されるなんて…」
『晒されるのよ!テレビ局や雑誌が面白おかしく取り上げて、ネットに拡散されて、あることないこと散々ひどいこと書かれて、出歩くたびに人目を気にして結局、ギスギスし出して破局するのよ!蘭子はそれでも良いの?』


私は一言も言い返せなかった。確かに昔に比べると、テレビやネットでも同性愛は普通に取り上げられている。ドラマや小説になったり、私が子供の頃に比べたら「普通の事」になりつつある。でも「なった」じゃなくて「なりつつ」だ。先日も男性同士が手を繋いでいるのを見かけた学生らしき子達が「ホラホラ!流行りのホモ!」「ホモって言ったらダメなんだよ。差別用語になっちゃうから。今はゲイって言うのよ」「どっちでも同じなんじゃないの?」「男同士だとゲイなの?じゃあ女同士は?」などと笑いながら話をしていた。

「一般社会」では、まだまだ認知度が低い。LGBTの認識も間違ったものが多い。人を好きになるのに性別が必要なの?どうして同性を愛しちゃいけないの?私達、後ろ指をさされるような事してない!きちんと働いて税金も納めてる。「普通」の社会生活を送って、人に迷惑を掛けるような行為だってしていない。男女のカップルだって迷惑かける人たくさんいるじゃない。なのに同性愛者ってだけで、どうして他人からとやかく言われたり好奇な目で見られなきゃいけないの?

2~3日、彼女は帰ってこなかった。スマホも電源を切っているのか繋がらない。でも、水曜日の朝、私が起きるとリビングに彼女が座っていた。
『おはよう、蘭子』
あまり良く眠れていなかったのか、疲れた顔をしていた。私が彼女を苦しめているのか…。

「ゴメンネ。あなたの気持ちも考えないで、結婚式を挙げたいなんて言って困らせて」
『いや、私も言い過ぎたよ。ごめんね蘭子』

彼女はビジネスホテルに泊まり、仕事のこと、私のこと、2人の将来のことなどを考えていたと話してくれた。今はまだ公に夢の国で結婚式を挙げることも、彼女の両親や友人達にカミングアウトすることも躊躇している。でも私のことは心から愛している。ずっと一生にいたいとも言ってくれた。

それだけで良かった。世間体に拘っていたのは私の方だったのかもしれない。「結婚式」を挙げることがそんなに大事なことだったのか。2人でいられれば形に拘ることなんてなかったんじゃないか。そんなことで彼女を失いたくなかった。お互いに少し離れたことで冷静に相手の立場に立って考え、どれほど相手を必要としているか、大切なのかを実感することが出来た。

『2人の休みが取れたら、カルフォルニアかフロリダの夢の国で結婚式を挙げようか?』
唐突に彼女がパンフレットを差し出した。
『どっちの州も同性愛婚を認めてくれているから』
ビジネスホテルに泊まった時に色々と調べてくれたらしい。
『2人だけの結婚式になっちゃうけど…』

日本の夢の国でも結婚式は挙げられる。でも、それはメディアや周りの人達を巻き込むことになってしまう。私達の事を誰も知らない場所で、同じような立場にいる人達に囲まれて祝福してもらえる。私はそれだけで幸せだと思えた。まだまだ世間の風当りは強い。手放しで喜んでもらえる関係じゃないのかもしれない。それでも心から愛せる、一生涯一緒にいたいと思える人に出逢って、こうしていられることを私は誇りに思う。彼女と出逢って彼女を愛し、彼女に愛されている幸せ。

生まれ変わっても…また同性同士でも…私はきっと彼女を愛するだろう。時の彼方で出逢っても必ず彼女を見つけられる自信がある。それほどまでに心から愛せる人と出逢えたこと。私は今、誰よりも幸せだ。愛してる。ずっと愛してる。

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