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ヴィヴィアン・リー

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――VIVIEN・LEIGH――
【ヴィヴィアン・リー】
1913年11月5日~1967年没。

イギリス人。生まれはインド・ダージリン。

☆女優としての経歴☆
パリのコメディーフランセーズとロンドン王立演劇学校で学ぶ。

*ここでは、「風と共に去りぬ」に関しての記事になります。

1934年イギリスで映画デビューの後、恋人のローレンス・オリビエの映画撮影の為、一緒にアメリカに来るが、
その時に「風と共に去りぬ」の撮影現場に現れ、プロデュースのセルズニックから「スカーレット・オハラが現れた!」と言わせた程、プライドが高く、黒髪に猫のように変わるグリーンの瞳は、キャラクターのイメージそのものだった。

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ヴィヴィアンは、以前から原作を読んでいて、スカーレットは“自分にしか出来ない役“とまで、心では決めていた程、この役をしたがっていた。

イギリスからオリビエと一緒にハリウッドに付いてきたのも、「風と共に去りぬ」の製作現場と監督のセルズニックに会う為、オリビエ達との会食にはスカーレットを思わせる程の計算した服装だった。

当時、ヒッチコック監督の「レベッカ」に
オリビエが出演する為、「レベッカ」の配役も計算に入れていたが、「風と共に去りぬ」でハリウッドデヴューを果たし、オスカーも手に入れ、まさしくイギリスでは有名でもハリウッドでは無名の役者がべティ・デービス等、ハリウッド有名女優の中からスカーレットに決まり、一躍スターダムにのしあがる。

(*彼女の自伝参照・Wikipediaとは違います)

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沢山の有名女優がスカーレット役を降板されるなか、炎の中、逃げ惑う馬車のシーンから主人公不在のまま撮影されていた。

まさしく、その時に現れたのがヴィヴィアンだったのは有名な話。

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「風と共に去りぬ」でアカデミー賞主演女優を受賞。
その後、ロバート・テイラーと共演した「哀愁」で着実にハリウッドで名声を得る。

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⬆Vivien Leigh & Laurence Olivier
プライベートでは、お互い不倫同士だったローレンス・オリビエと結婚するが、彼女の潔癖症や神経症で上手くいかなく離婚。

晩年は、元々潔癖症もあったが、アルコール依存と躁鬱病になりながら、「欲望という名の電車」で再びオスカーを受賞。

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常にスカーレットのイメージが付きまとい、
女優としての役柄に影響を及ぼすのが悩みで、アルコールと薬物依存になり、ブランシェ役は 女優ヴィヴィアン・リーとしての
全身全霊の魂を入れ込んだキャラクター。

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「欲望という名の電車」(1951)
共演:マーロン・ブランド

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「欲望という名の電車」の、落ちぶれた惨めでみすぼらしい女、ブランシェ役は、鏡に写った自分そのものと、ヴィヴィアンは述べてる。

そこには「風と共に去りぬ」の華やかなスカーレット・オハラは何処にもいなかった。


ヴィヴィアンの言葉
「風と共に去りぬ」の公開インタビューにて。

「私はスターではなく、女優です。」

幼い子供の頃から夢見た「女優」。

それは、消える事のないスターの輝きではなく、「女優」としての人生を駆け抜けたヴィヴィアンならではの信念でしょう。


享年53歳の若さでこの世を去る。

☆代表作☆
「風と共に去りぬ」(1939)
「哀愁」(1940)
「シーザーとクレオパトラ」(1945)
「欲望という名の電車」(1951) 他。


【余談】

スカーレットに抜擢された後、脚本のスカーレットが普通の女に描かれていた為、セルズニックと何度もケンカになる。

現在の「風と共に去りぬ」のスカーレットの芯の強い女性として描かれ、不朽の名作になったのもヴィヴィアンがスカーレットのイメージを訴え続けた結果です。
それまで、セルズニックはメロドラマとして
スカーレットを描いていたのです。 

そうなら、現在「風と共に去りぬ」は
ここまで女性達の憧れの映画になったでしょうか?
ただの、メロドラマとしての映画になっていれば?
色々と考えますね。


椎名りつ子
2017.3.20

2019.12.27 noteへ移行

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