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大切なお知らせと今後のこと

こんにちは、梨都子です。

今日は、皆さんに自身のことでお伝えしたい大切なことがあり、今このnoteに纏めています。

2019年ももう終わり。
2020年、節目の年ということもあるのかな。

過去のこと・これからのこと、交えて書いていきます。

今こういう気持ちでいるんだなとふんわり受け止めていただけたら私は幸せです。
そして、私の今までのことを知るきっかけとなってくれても、嬉しいです。
 

長くなるかと思いますが、最後まで読んでいただけたら光栄です。


①物づくりや原点・自分の生い立ち

私は岐阜県の田舎に生まれました。

母親は、大きな古い実家で時々和裁士のお仕事を手掛けながらビーズ工芸・手芸を趣味にしていました。
幼い頃から物づくりの環境が身近にありました。

私は双子に生まれました。二人に母親お手製、色違いの服や鞄を着せてくれている幼少期の写真が実家の廊下に額縁にはめて飾ってあります。

私自身も、昔から家庭科が好きで、朝からビーズ手芸の本を読んで4時間くらい鼻血が止まらなくなるくらい熱中してずっと作りました。
サンリオのキャラクター、約30種類くらいをフェルトで手芸したり、夏休みの課題もほとんどモノをつくっていました。

小学生の頃は手芸倶楽部に入り、高校生の頃は家庭科のある学校に進学しました。
2年生の時に服飾のコースに進んでこのままどうなるのかなと思いながらも結構軽い気持ちで東京に上京しました。

表現することが服を着ることだと思っていたのもあり、当時の私の着る服が結構目立っていました。

田舎であまり周りに受け入れられず浮いていたかなと。

高校生の頃はパソコンや携帯電話から東京のカルチャー、ストリートスナップ等に憧れて毎日チェックしていました。

そのまま何となく好きな物が沢山ある東京で生活したいと思いました。
好きな服を好きなまま着て否定されず生活したいと思って。

なんで私は何もない田舎生まれたんだろう、ってずっと思っていました。

今は田舎も実家も大好きなんだけれど・・・

また、この頃本当は美容師になりたかったのです。

まさか服を作ることを将来仕事として出来ているだなんて、一ミリも頭に無かったです。

美容師になりたかった頃は自分がコンプレックスまみれで全然自信がなかった中学生の頃。

美容師さんが素敵な髪に仕上げてくれて、当時の私を救ってくれました。
ちょっとでも自分のことを好きになれた気持ちがずっと忘れられなくて、美容師になりたかった。

私が作るものや手掛けるものを通して、誰かに喜んでもらいたい。
可愛くなった、少しでも前向きになれた。嬉しい!

そんな、人の心を動かす事ができる仕事をしたいなと思っていましたが、美容師は肌が弱いからと母親に辞めなさいと止められ諦めました。

今は服を作ることを通して少しでも服を着ることの楽しさや、喜び、気持ちが変化すること・憧れを誰かひとりにでも届けられていたら幸せで本望と思っています。

②梨凛花〜rinrinka〜が始まったきっかけ

そもそも梨凛花〜rinrinka〜っていつから始まったの?どうやってブランドを立ち上げたの?

いろんな人に沢山沢山聞かれてきましたが、私はブランドを立ち上げよう!というよりは、周りの人のお陰で梨凛花として仕事をすることができるようになっていきました。

はじまりは、20歳の頃。専門学校の当時の先生にお誘いいただいて渋谷パルコにて卒業生と在校生でブランドのセレクトショップをやるから苅田さんもやらないか?と誘われたことがきっかけです。
一番最初は髪飾りとリュックサックを作り販売していました。

自分の名前だとブランドはかっこよすぎて似合わないから、自分の名前の漢字をとって、さらに日本人らしさも伝わるし、珍しいかなと思ってハタチなりに結構考えて梨凛花〜rinrinka〜と名付けました。

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↑一番最初に梨凛花〜rinrinka〜と名付けて自分で撮った写真。鎌倉で撮った。

最初は小物だけを作っていました。
20歳だし、正直自信も知識もまるでなかった。
服はまだ勉強しないといけないなと思っていたし、販売する自信もなかった…

ですが次第にこの時の髪飾りをきっかけに人気に、そして象徴するような形で、梨凛花がはじまってしまいました・・・

まだ学生の卒業制作の前で、とりあえずイベントで梨凛花をはじめたものの、これからやっていくかはわからない。
ただつくりたい気持ちはあるという曖昧な感じで、ブランド活動が動き始めてしまいました。
そしてその頃はひとまず今専念しなくてはいけない卒業制作を一生懸命作りました。

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↑20歳の頃 卒業制作collection一部
今でもずっと仲良しの友達に着てもらいました

卒業制作は4体しか作れなかったけれど、私の一番の影響である“お母さん”をテーマに、憧れ=アイドルと掛け合わせた、「お母さんが私にとってのアイドル」というテーマでつくりました。

そして卒業してから仕事も決めていないし、どうしようと思いながら、当時一緒に住んでいた子に、「りっちゃんはそのまま梨凛花をやればいいんだよ」と背中を押されて、じゃあ、作ろうかな。と自分の意思では決められず、卒業後は半年に1回、アルバイトをしながら小物の展示発表会をしました。

その後、運良くいきなりファッションショーに出ることに・・・

全然服を作っていないのに、少しだけお手伝いしていたブランドのデザイナーさんに出てほしいと言われ唐突に決まったショー。

若手デザイナーデビュー!の結構大きなイベントで、渋谷ファッションウィーク内で行われていた。
21歳の時。
出ることが決まってから3か月しかなかった。

1月と2月の2ヶ月間、ほとんど毎日泣きながら作ったコレクション。
本当に全然色んなことが追いつかなかった、生活も。お金のことも。睡眠も。

でも、決断し動いて発表してからは、色んなことが大きく変わりました。

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↑rinrinka 2015-16AW collection “花守小町”

今は26歳だけど、当時21歳で作ったものが一番カッコいいと今でも思うし、この自分を超えられないでいる。
でも、当時のまだ何もよくわかっていない純粋な気持ちで一生懸命作ったものが、振り返った時にあって良かったなと本当に思う。

生命力というか、そんなものを今写真をみても感じる。

今思うとしわしわで縫製も綺麗でない、洗濯できるとか沢山作れるとかそんなこと、そんなにそこまで考えられていない…

そこからすぐ小松菜奈ちゃんにMVで着てもらったり、装苑に載ってインタビューの対談があったり、新聞に載ったり、日々目まぐるしかった。今思うと、とても華な年だった。
なんかもう、人生夢が叶いすぎて運を使い果たしたかな?って・・・

↑台湾のアーティストyoga linさんのMV内にて 良ければ見てね

その直ぐ後に次のシーズンのコレクション発表として渋谷PARCO前でシブカル祭。ファッションショーに出ました。

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↑シブカル祭。ファッションショー
rinrinka 2016SS collection“純〜ジューン〜”
 

③今までの物づくり

その後はコレクションを毎シーズン作り、展示会で発表することがメインで、お客様との狭いコミュニティの中で活動していました。

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↑rinrinka 2016-17AW collection
“薔薇前線リボン倶楽部”

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↑rinrinka 2017SS collection
“セピアに焦がれて”

狭い6畳の部屋に物づくりスペースを無理やりつくり、縫っていました。
その後に今のアトリエの台東デザイナーズビレッジの審査を受けて合格し、アトリエを構えることとなりました。

一部、即売のシーズンの服も作っていたので少し発表のシーズンがずれたり。
また先取りするスタイルに戻したり、自分で試行錯誤していました。でも、上手くいかないことも多かったかな・・・

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↑rinrinka 2018SS collection
“pear fruit to girls”梨の果実を女の子に

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↑rinrinka 2018AW collection
“Blue calm”青く穏やかな

二年前のこのシーズンの頃、結構変わりたいと思う気持ちがあってカメラマンさんを変え、スタイリストさんにも初めてお願いしました。

今までは友達に頼んでいましたが、今までは雰囲気を作ることがメインになっていて、折角つくった服のディテールもなんだかわからなかった。
雰囲気は雰囲気で好きな世界観を出せていたけれど、もう少し服をきちんと見せたいという気持ちがあった。

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↑rinrinka 2019SS collection
“unclear scent”不明瞭な香り

この年はラフォーレ原宿で久しぶりにファッションショーに呼んでいただき参加して、怒涛な日々でした。その頃露出もまた少し増えたかな。
大阪での受注会もはじめて行いました。

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↑rinrinka 2019AW collection
“Sure light”たしかな光

この時はスタンダードアイテムをやってみてもいいのかなという気持ちで、シンプルなシャツやタートルネックを私なりに落とし込んでスタイルを作って、お客様の反応をみようと思った。
思いの外沢山のお客様に受け入れてもらえてほっとした。
特にシャツはファンのお客様でなくても気になってくれる人が多くて、少し新しい切り口も見えた気もした。

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↑2020SS collection
“梨树懔花朵日记〜rinrinka diary〜”

一番最近発表したコレクション
私が台湾に旅行に訪れ、春夏の過ごし方をワンピースで軽やかに過ごせたらと。

インパクトのあるシリーズをワンピースに。
使いやすいアイテムをトップスメインに発表。

④今後(来年)からの動き方

そして、来年から今いるアトリエを出て、違う場所で物づくりをしなければなりません。
今いるアトリエは、3年という決まりがあり、来年度から環境が変わります。
そのことで、今まで沢山沢山考えていました。

今後のことや、自分のこと。

そして、20SSのcollectionを終えたあと、いい意味で、梨凛花〜rinrinka〜として満足、完成したなと思いました。

20歳から26歳まで、ドタバタと走ってきて、梨凛花を自分で沢山作りあげてきました。

私はファッションデザイナーであるけど、一つの映画を作るように毎シーズン世界観を作り上げ、アイテムというよりは全体の空気で梨凛花を作ってきました。

学生時代に、「納得はしなくちゃいけないけど、満足しちゃだめだよ」と言われたものが、意外と満足してしまいました。

そして、これからもっと自分が提案するものを大切にするにはどうしたらいいのかな?
服作りをより密接にするには?と沢山考えた結果

活動名を自分の名前にしたいなと思い、最近そう決断しました。

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今までは、〝梨凛花〟として、代わりの名前で活動をしてもらって、私の代わりを梨凛花として作ってもらっていました。

自分で作ってきたけれど、“誰か”に着てほしいという気持ちや、“もう一人の自分”の世界が浮遊していました。

20〜26歳という、人生の中では若き年に純粋な気持ちでお話とともに服をつくれたことは、かけがえのないものです。もうあの時の私はいません。

この先長く、歳を重ねて服作りをしていくことを考えたら、梨凛花はとても特別で、お話はお話できちんと守ってあげたいと思いました。
ひとまずピリオドを打ちたいなと。

そして、今度は自分の名前で、自分が主体となって、今まで作り上げてきた梨凛花の要素をさらにアップデートして、物づくりをしていきたいと思いました。
いい意味では、伸び代を自分で作りたいと思いました。

梨凛花のファンであるお客様にとっては、とてもびっくりするようなお知らせであり、いきなりすぎて受け入れられない方もいるのかなと不安ですが、物づくりの方向性を変えるというわけでもなく、一つの区切りや意思表示として変えることに決めました。

また、20SSまでは梨凛花のため、来年の夏までは梨凛花のアイテムも新商品として販売致します。

また、自分がだんだん大人になってきて、色んなことを経験してきたし、気持ちも変化してきました。
梨凛花という世界を作りながらも、お客様の年齢層の幅も広がってきて、もっと色んな人に提案したり、スタンダードな1つ1つの代表的なアイテムもつくりたい、整頓したいなと思うようになりました。
そしてここ過去2年くらいの作品は、自分の名前にしてもしっくり来るなと振り返っていました。ハタチの頃とは違った心境です。

⑤私がやっていきたいこと 

ritsuko karita

主に衣類をデザイン/製造/販売しながら、人・場所・文化・食・思想・言葉など生活や暮らしについて提案、探求する
デザイナー梨都子が衣食住に纏わるもの・ことを発信するレーベル

私は今まで“服”だけでしたが、私生活では

・映画鑑賞
・服をつくること
・喫茶店
・ご飯食べること、作ること
・音楽
・インテリア
・美容のこと
・コーディネート考えること
・お花
・暮らしのこと

色んな生活に纏わることが好きで、“生活”が好きなんだとここ最近本当に思っています。

服って、衣住食には必要不可欠で、凄く近くにあります。毎日に、人に、寄り添っています。

今後は、ファッションデザイナー、ファッションブランド!というよりは、
ritsuko karitaという一つのレーベルとして活動したいなと考えています。

自分の名前を掲げて、より自分の作るものや発信するものに責任をもってお仕事していきたいです。

今年の夏に屋上さんでアイスクリーム屋さんができたのも、衣食住の食のひとつの楽しみとして。実験的でしたがひとつのやりたい気持ちと重なりました。

そして、今までは“誰か”のための服だったものを、自分も沢山着たいし、提案したいです。

さらに、新しいアトリエでは、Twitterでも少し書いていましたが月に数回、アトリエ兼お店をひらくことが出来そうです。

まだこれから、その場所は作っていきます。

お客様には今まで展示会でしかお会いできなかったのですが、服を試着したいな、ほしいなとおもった時にきちんとみにいくことができる“場所”もつくりたい。
必要だと思っていました、ずっと。

それがこれから叶うので、ritsuko karitaとして色んな新たなスタートを切っていけたらと思っています。

また、ritsuko karitaとしてどんなものを作っていくか、どんな活動になっていくのか、コンセプトやどんなラインナップでやっていくのかは、今後の活動やお知らせ、商品を発表して作って証明していくので、お楽しみにしていただけたら嬉しいです。

まだロゴも完成していませんが、一先ず年内に、伝えたかったです。

自分の名前が活動名になることで、より生活と一体化し、作る物ももっと大切に責任を持っていきたい。さらに本質的なものになればいいなと思っています。

そして、私はジブリ(特に魔女の宅急便や海がきこえる)や、ゲームの“どうぶつの森”みたいな暮らしがとても理想的で、大好きです。

服を作りながら、人に会えて、お店もして、時々ロマンチックな出来事がおこったり、でも生活と一体化してそれが現実で起こる。
映画の中の出来事みたいな毎日を、自分も過ごしたいし、提案したい。

梨凛花として活動していく中で沢山のひとと出会い、幸せな時間を沢山いただきました。

さらにいいものや、場所を提案できるように私はパワーアップしていきたいし、自分が思う自分を超えていきたいなと思っている。
でも無理をしすぎず、身の丈にあった。

また細かなことが決まったら、それぞれお知らせしていくので、2020年楽しみにしていただけると嬉しいです。

今までの梨凛花があって、今の私があるし、今まで発表していった梨凛花の商品はより、儚く大切で、お客様にとっても貴重なものとなるかもしれません。

2020年春夏の商品も自信をもって最後までお届け・販売していくので、梨凛花もritsuko karitaもどうぞよろしくお願いいたします。

最後まで読んでくださり本当にありがとう。
色々な気持ちにさせてしまったかもしれません。

もしよければコメントや、感想、個人のメッセージでもいいので教えてください。
お返事はできないかもしれません。ご了承ください。

変化する瞬間は怖いけれど、変化は良いことだと思っています。
サナギから蝶になったような気持ちで。

2020年、私はちょっと立ち止まって、進化し、きちんと整えていく年にします。

梨都子

宜しければサポートお願いします。 製作のインプット費や、大好きな喫茶店・映画代に使用させていただきます。