ふわふわ

今日も目が覚めた。えらい。ちょっと遅かったけど。
今日も外を歩いた。えらい。雪がつもっていた。
今日も食事をした。えらい。
今日も最低限しかできなかったけど仕事をしている。えらい。

本当に、思うようにしかいかなくて。最低限しかできていないけど。
まあやっぱり最低限なので、他人の求める100%には足りなかったりして、苦言を呈されたりもしたんだけど。
あなたはそれでいいんだよ、えらいねって。
いまの自分に言ってあげられるの、自分だけだからさぁ。
今日もこうして、最低限の自己肯定感を身にまとって。
過去の自分が積み上げてきたおかげで存在している仕事をしながら。
他人の求める100%に100%で答えたいわたしもいるかさ、胸の奥がチクっとしたり、一瞬、額に嫌な汗にじんだりするけど。
他人の声に答え続けるということは尋常なことじゃなくて。やり続けると病んだり心折れたりするし。ほどほどでいいんだよ。

傲慢にならない程度に高すぎず、かと言って病むほども低すぎず、その時その時に応じた自己肯定感を身にまとって生きるのが、自由ということなのかもしれないなと思いました。
これを読んでいるあなたは、自由ですか?
わたしは、この言葉で自分を振り返ったあなたを、抱きしめてあげたい。
えらいねって言ってあげたい。
がんばってるねって言ってあげたい。
街で出会ったら、微笑みかけてあげたい。
無条件で共感してあげたい。
存在していてくれてありがとうと、お礼を言いたい。
愛しているよ。

忘れないで。あなたはわたしだから。
そして、わたしはあなただから。

ところで、憧れの人は予告通り、次の星に行ってしまいました。
死んだみたいな扱いをすると怒るから、ちゃんと書いておくと、生きてるけどね。メッセージを送ればこれまでと同じく読んでいただけているし。
違うのは、次に会いに行ける予定がないってことくらいかな。
最後の日、確かに憧れの人が泣いているのを見て、一緒にうわぁって泣いたけど、わたしは周りの人よりも寂しがってないみたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?