「ほんのちょっとだけやる」の有用性

おはようございます。りすです。
昨日の夜、リハビリにここに文章を書いていたら、自分で自分のこと、また救っちゃったから。今日も書くね。今日もこの文章に誰かが救われますように。読んでくれているあなたのおかげで、わたしが救われているのだけど。

今日は習慣化の話。人間は物事を続けることがそもそもできにくくなっています。
長く続けた状態を維持しようとする方が、簡単なようにできているの。新しいことってなかなか続かないようにできているの。だから、だらだらすることが習慣になってしまっていると、結局だらだらしてしまうんですね。同じことを続ける方が、楽だから!
意識高い人は意識高い生活が習慣化してるんですね。逆を言うと意識低い人は意識低い生活が習慣化してるんですね(ウッ……書いててダメージ受けてきたわ)
わたしは意識高くないから毎日怠惰と手を組んで可能な限りゴロゴロして好きなことだけしていたいぞ。
ただそれだとわたしの場合、やらなければならないことまで後回しにして、明日できることは明日やればいっかー、ああ、今日もできなかったからじゃあまた明日にすればいいや、このちょっとの後回しがいつのまにか大きな後回しの悪癖となり、最終的にやらなければいけないことをできていない自分に対する自己嫌悪がはじまり、終わらないかもしれないというプレッシャーと戦うはめになるの。そしてそれに押しつぶされそうになりながら毎回毎回泣きながらやってる。
これは病むから本当にやめた方がいいです。これで病んじゃっている人は一度そのループから抜け出してください。下手をすると死にますし、一度病気になると長引きます。
というかこのせいでわたしは若いころからいつも病んでる。わたしは偉そうなことを書きながら、長く精神病を患っています。それはそれで長い目で向き合っていきたいなと思っています。その話はまた別の機会に。
んで、30分で終わるアニメ、毎回敵が出てきて、いい感じに戦って、いい感じに勝って、展開が決まっている予定調和のような同じループ。これを毎回やってる。
「本当のわたし」は、そのアニメ、毎回つまらないなぁって思って見てますよたぶん。そろそろ飽きたなって思ってると思う。うん、わたしもあきてね。ごめんねー。

これの解決策「やる」
はい以上です解散。

嘘です。ごめん。そんなん乱暴すぎるし、わたしだって、できたらやっとんのじゃい!!!ふざけんな!!!って思った。ごめん。
そういう、わたしのような人には、明日から突然シャッキリ何もかもうまくやろ~みたいなことは、難しいんだよね。なぜなら怠惰が身についてしまっているから。けど、それでも、明日からやってみようかなみたいに思うこと、たくさんあるよね。わたしは……往々にしてあるぞ!!!けど、それは幻想なの。そのループに入った中で、明日の自分に期待をしても未来の自分がプレッシャーを感じるだけなのです。

じゃあどうやったらいいかと言うと。

「ほんのちょっとだけやる」
これです。

わたしは25分くらいを1区切りに仕事を含めた作業をすることが多く。あーもうしょーがねーからとりあえずデスクに座ってみるかー、んで、いけそうだったら、25分だけやって今日は終わりにするかーって気持ちで作業を、始めます。
いつもこのきっかけを自分でも忘れちゃって廃人なのかダックスフントなのかみたいに眠り続ける日々を送ることも多いのですが、このやり方はわたしにとって有用であることが多いです。

ここが一番重要かも。ほんのちょっとだけやる、に成功したら、自分を褒めてくださいね。
今日も目が覚めて偉かったね、次はどうする?
今日はいつもより早起きできたね、次はどうする?
今日は朝お散歩にいけたね、次はどうする?
今日は散歩から帰ってきてプロテインやサプリが飲めたね、次はどうする?
今日もテキストを書くためにデスクに向かえたね、次はどうする?
私は油断すると常に自分のメンタルにブンブン振り回されながら生きることになるのですが、このように自分のご機嫌を取りながら物事を進めていくと、なんか自分に自分がおだてられて、穏やかな気持ちで「じゃあちょっとだけ、やってみっかー」みたいになる時がありまして。わたしは、そのタイミングを利用して仕事をしています。

わたしは今日もこれから仕事をして、憧れの人に会いに行ってきます。
今日も笑顔で幸せに生きていこうね。

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