見出し画像

沈んだ太陽

きょう、家に帰り着き夕飯の買い物をした重たい大袋を2つ、台において一息ついてスマホを見たら、りゅうちぇるの訃報が目に入ってきた。

えーーーー・・・・。嘘でしょう。

間違いなく今日1の声が出た。一気に心ズドーンときた。別にインスタをフォローしていたとかそんなこともない。

ぺこちゃんと離婚して新しい家族の形でスタートしたことは知っている。

信じたくない気持ちで思わずインスタで検索する。
ペコちゃんのアカウントは最新投稿は息子さんの誕生日の投稿だった。ストーリーも誕生日の記事に飛べるようなものや日常風景のようなのが載っていた。
今、どんな心境でいるんだろう。考えたら涙が出そう。

今日は頭の中がりゅうちぇるで支配されている。どんな気持ちで死んでしまったんだろう。下世話にもりゅうちぇるが載っている写真を探してしまう。今日の朝は・・・昨日の今頃は・・・生きてたんだよね。私たちがいつも通りの生活をしていた間どんなことを考えていたんだろう。子供のことを考えなかったわけはないと思う。
コメント欄が荒れているものがある。誕生日の翌日に死ぬなんて当てつけだとか。最低だ、とか。死んでもなおアンチコメントされている。

何週間も前に投稿されているアンチコメントに対して、別の人が「このコメントを読んだんだろう、お前のせいだ」とか、そんなことも書かれている。

見なきゃいいんだけど、なんだか辛くなる。
結局のところ、人の気持ちなんて誰にもわからない。似ている境遇の人はいるかもしれないけど、考えはみんな一緒とは限らない。
LGBTのことも当事者じゃないから正直わからない。だけど、それで苦しんでいる人がいる。時代が男とか、女とかで縛らない時代になってきている、理解したい。だけどそれが原因だったのかどうかは誰にもわからない。勝手な推測で人を傷つけるのはやめてほしい。

男が男でいる、女が女でいる、男が女を好きになる、女が男を好きになる。
この感覚で生まれてきたいわゆる普通の人は、特に考えを柔軟にしないといけないと思う。普通の人のせいで、苦しさを募らせる人たちを増やしたらいけない。

すぐには理解できなくてもいいと思う。理解しようと耳を傾けることをずっと努力していく必要があると思う。

りゅうちぇるは死んでしまったけど、わたしは明日も生きていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?