ライスの日記 ライスの職歴(その2)
おはようございまぷ
雨の中仕事でパンツびしょびしょな漢、ライスですm(_ _)m
びしょびしょ!
さて、忘れないうちに昨日の続きを書こう
連日満員御礼で好調だったお店
私は文字通り身を粉にして働いた
売上も利益もバンバン叩きだしその資金を元手に店舗数は増えていった
店舗数が増えてもどの店より売上げ続けた
そんなある時、事件は起こった
私のいた会社が吸収合併されたのだ
合併元は私のいた会社の資本を出していた所だった
そこは家族経営で会長(汚ぇ薄らハゲ)を筆頭に社長(ボケ老人)、専務(ババア)、部長(若作りババア)など全て同族とその配偶者で構成されていた
『会社は社長のものではなく株主のもの』
これが悲しいけど現実だった
私のいた会社の社長は『顧問』という形で閑職に追いやられ会社は知らない人たちの一族で占められた
そして、得てしてそういう輩は出さなくてもいい口を出し余計な事を始めてさも『自分が革新を起こしたんだ』と言いたげなしたり顔をしたがるものだ
例えば、それまで私が自分で作っていたメニューを部長(若作りババア)の旦那のデザイン会社に依頼する形に変更し、センスの無いメニューブックになった
『間口を増やせ』という会長(汚ぇ薄らハゲ)の一言によりコンセプトから外れたごちゃごちゃなメニュー構成になりお客さんは困惑した
オペレーションの簡素化と人件費の削減のため加工品を使えと言われた
それまで完全にシステム化していたオペレーションは乱れ、味は落ち、お客さんに迷惑がかかった
そんな中、私は私の独断でそれらを無視し続けた
相変わらずメニューは元のまま、仕込みも続け、従業員の給料も減らさなかった
何か言われても『それはコンセプトと違います。そもそも現状で充分な売上利益は出してますが?』と強気で対応した
だが、それはやはり長くは続かなかった
ある日、専務(ババア)から『業務命令』という形で首を切られるか従うかを選択させられ、私は毅然と『ならば自主退職で結構』と返事をした
そして私は自分の情熱を注ぎ込んだ店を辞め、その足で歓楽街の方へと歩いていった
すると、最近まで工事をしていた建物の養生(囲い)が外されていた
『ん?』と思いながら見ていたらどうも作り的にレストランが出来るらしい
ガラス張りで中はオープンキッチン、ラグジュアリーな雰囲気のレストランだった
そこに丁度赤いネッカチーフをしたシェフらしき人が貼り紙をしに出てきた
『◯月オープン予定!従業員募集中!』
私は後ろから声をかけた
『すみません…従業員募集ってホールスタッフもですか?』
シェフは驚いた顔で『えぇ、募集しますよ!』と気さくに答えてくれた
私は『じゃあ店長希望で応募していいですか?』とおもむろに聞いてみた
びっくりした顔のシェフ
そのまま『じゃあちょっと話しましょうか?』と、オープン前の店の中に入れてくれ私の経歴とスキルを聞いた
まぁ自分で言うのもなんだけど私はそこそこ有名なホテルやレストランで勤務していた。なので技術や知識はあった
だけどそのシェフ(オーナーシェフだった)は別な所で私の採用を決めてくれた
それはたったこれだけだった
シェフ『いいね!経歴は申し分ないけどそれ以上に僕は君が「いらっしゃいませ」というのが聞いてみたくなったよ!ちょっと言ってみて?』
言われるがままに私は『いらっしゃいませ』と口にした。それこそ今まで何万回口にしたであろう言葉を、緊張も無いいつもと変わらぬ調子で
その一言で私の内定は決まった
シェフのイメージする店に私の『声』が欲しいと行ってくれたのだ
私の声は低い。顔に似合わず麒麟川島に近い特徴のある低音の持ち主だ
その時、私は人生で初めて声で得をした
まさか失職したその日に仕事が決まるとは夢にも思ってなかったから人生はわからないものだ
ただ、残念ながらその店は店長がもう決まっていた(実はかなり大手の会社だったから当たり前だった)
だが、シェフは『マネージャー』も兼任していたのでゆくゆくを見据えて私は『マネージャー候補』として入社した
時は流れ2年後、次の店の立ち上げが決まり店長とシェフはその地を去る事が決まった
当然ながら後任は私となった
そこは大手ながら社長の方針(曰く『店長』を育てるのではなく『経営者』を育てる)で個店経営に近く経営戦略の計画、実行まで経営の全てがマネージャーに委ねられた
ただ、個店と違うのは『法人』だから潤沢な資金力があり、それを使う『権限』も同時に与えられる事にあった
マネージャーに就任した私が始めに考えた事、それは『コンセプト』だった
私は何故ここにいる?そこに会社があったから、あの時シェフに声をかけたから、レストランが好きだから、お客さんが好きだから
私の辿ってきた道を思い出しながらその上澄みをそっと避けた底にあるものはただ『感謝』だった
私はその時に今回のコンセプトを『感謝』と決めた。だが、それは自分の中でだけ
世の中には『感謝』という言葉が溢れている
特に飲食業界には飽和状態だ掃いて捨てるほど溢れている
だが、言わせて貰えば口先だけの『感謝』が何と多い事か!押し付けがましい『感謝』が何と多い事か!
例えばラーメン屋さんでよく見る『感謝の気持ちで営業中』だの居酒屋のトイレに貼ってある『ありがとう』の筆文字だの『出会いに感謝』と書かれた箸袋やランチョンマット、この世にはこの業界にはアピールだけの感謝で満ち溢れている
そんな下らない使い回しの『感謝』なんて私はしたくなかった
私は心の籠らない『感謝の言葉』は言わない
私は『ありがとう』を押し付けない
そんな口先だけのアピールじゃなく不言実行で『感謝』をしてみせる!
その時、私はそう固く決意した
まず、全ての値引き割引を撤廃した
商品である『料理』とは料理人が自分の技術と知識を賭けて作る『作品』なのだ
その『作品』の値段を下げる、『価値を下げる』の事をやめた
次に『媒体の使用』をやめた
雑誌やグルメ本への掲載は最低限の媒体に最低限の金額しかかけない事にした
そして『従業員を競わせた』
週替わりランチもそれまでのシェフが決める形から前週に全ての希望するコックから一品づつ作らせ私が決めたしホールならお客さんから貰った名刺の数やお客さんの名前を何人覚えたか、どのお客さんが自分の固定客かを意識させ奪い合いをさせた
さて、どうだろう?
これだけ読んだらどう考えてもヤバい店になったと思うだろう
お客さんは減り間口は狭くなり従業員はギスギスすると考えるだろう
実際、最初説明した時には従業員一同からものすごい反発を食らった(笑)
だが、実際の結果はこれと真逆になったのだ
それを説明しよう
まず、『値引き割引きを無くした』
これによりブランドに対する誇りが生まれた
従業員は『プライドを持って仕事に励めた』特にキッチンの人間は
お客さんは『値引き割引きをするほど安い意識な店じゃない』と認識してくれた
その結果、キッチンの人間はより料理に対し真摯に考え、緊張感と誇りを後ろ楯に『ミス』をすることが無くなった。要は『プロ』としての意識に目覚めたのだ
そして互いに競いあい腕を高めていった
もちろん私はそれを正当に評価した
例え料理長であれ依怙贔屓することは絶対にしなかった
『今日のパスタはちょっと塩辛いね。疲れてる証拠だから来週は必ず二回休んでね(^ω^)』と、オーバーワークを測るのにも一役買った
次に『媒体の使用をやめた』
正確には『媒体の使用を極力押さえた』なのだが…実際、媒体の使用というのはお金がかかる
普通に目に留まるような枠に載せたいなら20~25万円くらいはかかる
しかもそういう枠には大抵『クーポン』を付けないといけないのだ
だから実際は20~25万と言わず30~35万円くらいになるのだ
なので私はそれを捨てた
だが、浮いた30~35万円をそのまま店の儲けにするようなコスい考えの私ではない
私はその30万円を『原価』として使用した
まぁ皆さんご存じの通り、飲食店の商品は『原価』×何%の値段で販売されている
私はその『何%』の部分をお客さんが『損してる』と思うだろうという事も知っている。だから世の中には『原価厨』という人も存在するのだ
じゃあ、もしその『原価×何%』がタダで貰えるならどうだろうか?
買うときにはその何%分を損に感じるだろうけど貰う分にはその何%かけた分まで得したと思わないだろうか?
私はソコを突いた
浮いた販促費を丸々お客さんへ『商品』としてプレゼントしたのだ
レディースデーを設け、誕生日、アニバーサリー、スタンプカード、事ある毎にお客さんへどんどん『プレゼント』した。誕生日の女性には特注のミニブーケを、レディースデーランチの主婦には入浴剤を、再来店の男性の顔を立ててワインを、予算の許す限り
でまそんなにバンバン配って大丈夫?と思うだろう
そこは大丈夫なのだ
そもそもプレゼントにはちゃんと『プレゼント用』として別に低予算で手作りな美味しいものを用意していた。原価はおよそ50~100円くらい。100人に配っても10,000円、30万円使っていいなら3,000人に配れるのだ
しかも『原価』だから『売価』で換算すると30万も100万円分近い価値になる
更に更に後に述べるけどこのための秘策、秘密予算、『埋蔵金』を作り出したのだ
タダで貰えればどんな物でも嬉しいものだ
そのプレゼントのデザートを美味しそうに頬張る姿は料理人を奮起させる!『もっと美味いの喰わせたる!!』そのお客さんの笑顔はホールスタッフを笑顔にする『ぜひまたご来店ください!!』
そして『従業員を競わせた』
この『従業員』には私も含まれる
『私より顧客を獲得してみろ!私からお客さんを獲ってみろ!!』
プレイングマネージャーだった私は皆の壁となり手本となった
私は聞かれればどんな事でも惜しみ無く教えた
技術、知識、経験、若い頃この道を志した時からあらゆる地獄を喜んで受け入れて乗り越えてきた私には全ての問いに対する答えがあったと言ってもいい
もちろん私にもこの道で食ってきたプライドがあり絶対に負けられなかった
キッチンでは料理長と二番手が凌ぎを削りその必死さは他の者のレベルすら引っ張り上げた
結果として調理、接客ともにレベルが上がりお客さんは集まってきた(とはいえそれとは別でメニュー戦略にも少しの妙があったのだが)
もちろん店は繁盛した
席数80席でランチタイムの4時間に来客数は三桁、それが毎日だ
前に店長をやっいた時より繁盛してたかもしれない
単価が高いから売上も全然比較にならなかった
そして出た利益
私は会社に社長に直談判し、こんな約束を取り付けたのだ
『利益の◯%は全て私の裁量で還元する』
さっぱりわからないだろう
要は私はこうしたのだ
売上利益が予算達成したら大入りを出し『従業員に感謝した』
更に大入りを引いた分を原価とした『プレゼント絨毯爆撃』や『プレゼント奇襲攻撃』により『お客さんに感謝した』。そう、前に書いたプレゼント用の『埋蔵金』とはこれの事なのだ
そしてその効果で上がる来客と売上。その結果である利益を伸ばす事で『自由を許してくれる会社への感謝の気持ち』として持続的成長を数字で示したのだ
これらの感謝を私は誰にも何も言わなかった
ただ、自分の中で考えに考え抜いた結果としてこの『全方位感謝システム』を作り上げ、それは私がその店から居なくなるまで機能した
ここまで書けば終わりと思うだろう
…だが違うのだ
その街は狭い街だった
そこが中洲や天神のような大きい街ならこんな苦しい思いをしないで済んだのだ
私はその店を成長させるため、『自分の思いと考えを証明するため』にその街で一番の店になったのだ
そう、それは昨日書いた前にいた店からお客さんを奪い取り結果としてその店は廃業し身売りした
自分が0から作り上げた店だった
0からスタートして街一番の店となり、最後は自分の手で引導を下したのだ
私は今でも思い出す
あの頃を
カウンター越しに旅行の外国人(お一人様)を相手に私ともう一人(留学経験者)でZIMA片手に英語で馬鹿話をした事を←営業中なんだけどね(笑)
無理して引き抜いたパティシエ見習いの子と二人でデザートの仕込みにてんやわんやしていたのを
皆が『嘘だぁー!!』って言うから手取り21万の明細書を大公開したら『…店長、あんた偉いよ(ToT)』『どこまでも着いていくっす!(ToT)』と『やめろよこっちが悲しくなるだろ(ToT)』と言いたくなるような同情をされた事を
全ては自分でトドメを刺してしまったのだ
悲しいけど仕方ない
それが弱肉強食なんだから
それが資本主義なんだから
多分、もし自営をするならこの街に戻るだろう。そして次はあのレストランを潰さないといけなくなるんだろう
もちろんあのレストランにもかけがえの無い思い出は山ほどある
それを潰さないと生きていけないんだから仕方ない…と割りきるけどやっぱり心は痛むのだ
やっぱり私は自営には向いてないのかもしれないな(笑)
飲食編はこれで終了。いつか気が向いたらコンサルタント編も書きたいなぁ
いつか気が向いたらね(笑)
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