ライスの日記 可能性の獣

やあ、諸君

相変わらずのぼっち生活をエンジョイしている漢、ライスだよ

今日は長文になると思うから覚悟しておいてくれたまえ

トイレに入ったついでに読もうと思っているならトイレジャックになるか『こいつアホほどウンコなげぇーな!』って思われるゾ!



さて、では本文に入ろう

『人類はどこからきて、どこへ行くのか』

生物学、社会学、人類学、考古学、哲学など様々な分野において立ちはだかる問いである

生き物の進化とは、人の知性の行く末は、紡がれてきた歴史の意味とは、この先人類を待ち受けている試練とは?

それは有史人類がその社会性をもって地上を制圧し万物の霊長と驕るに至ってから湧き出てきた疑問だ

現在の地球上に於ける環境問題、人種差別、ジェンダーレス、貧富の格差、その他様々な問題に対しての人類の在り方は突き詰めればこの『人類はどこからきて、どこへ行くのか』という問題を核として展開されている

今回はこの問いに対し考察してみた。

なぜって?

ひまだから


結果して言ってしまえば私の答えは『人類は人以外の生物から現れ、人以外の生物へと変貌を遂げる』。これで終わってしまう

要は人類は生物の最終形ではなくその過渡期の一つに過ぎない、地球という実験場に於ける1サンプルに過ぎないという事だ。

こう言ってしまえば身も蓋もなくこの日記もここで終了してしまうからなぜそうなのかを説明する必要があるだろう

そもそもの話で言うとこの『人類はどこからきて、どこへ行くのか』という疑問を人類が抱くこと自体が非常に傲慢でおこがましい考え方なのだ

なぜならそれは前提として『人類は完成された生き物で過去、現在、未来の自然現象をあまねく知りコントロールすることが出来る』という考え方に基づいているからだ

もちろん言うまでもなくこの前提に正しいと思える人は少ないだろう

例えば人類の歴史は地球上でこれまで君臨してきた生物に比べ圧倒的にその歴史は短い

三葉虫はカンブリア紀(約5憶4000慢年前)~ペルム紀(約2憶5000万年前)の時を生き繁栄してきた

恐竜は三畳紀(約2憶5000万年前)~白亜紀(約6600万年前)の間地上の覇者として君臨した

それに比べて人類の歴史はアウストラロピテクス属の時代から考えても200万年、ホモサピエンスとして長く考えても40万年程度の時間しか過ごしていない

そして我々人類がこの先2億年以上の時を繁栄出来ると考えている人がどれだけいるだろうか?

そう、我々人類は我々が思うほど完璧な生物ではないのだ

だが、現に我々人類は今現在すべての生物の頂点にいる

例え現代に三葉虫や恐竜がいても恐れる必要などないだろう

銃火器による集団戦法や罠、最終的解決手段としての核すらある我々人類が細菌やウイルスを含む歴史上存在したあらゆる生物に負ける姿すら想像出来ない、これは紛れもない事実である

例えば現在猛威を奮っているコロナウイルスにすらこれで人類が滅亡すると思っている人間はごく少数だと思う

が、人類はこの先2億年の時を越えられないと思う。地球を離れ宇宙まで進出した初の生物なのに、だ

そしてその原因は誰もが漠然と理解していると思う

天敵のいない人類の最大の天敵は『人類』だと

だが、私は人類が己の過剰な力と突発的悪意で滅びるとは思っていない

我々人類は最後の一人になるまで殺しあうほど愚かだと誰も思わないだろう、その通りだ

では人類のなにが人類を滅ぼすのか?それは地球の歴史のなかで連綿と繰り返されてきた『進化』と交じり合うことにより説明が出来る

先ほども書いた通りこの地球は巨大な実験室であり、その中で生物は常に進化を試されている

同じ三葉虫でも時代によって形態は変化している、恐竜は言わずもがなだ

同じ種族の中でも様々な進化が常に生まれ続け、その中で環境に適合したものだけが次の世代へバトンを渡せる、いつしかほんの少しの遺伝子の差は大きな隔たりとなり別種へと枝分かれしていくのだ

猿からアウストラロピテクになり、ホモ・エレクトゥスやホモ・ネアンデルタールと枝分かれし、その中の傍流として我々ホモ・サピエンスは現在存在している

枝分かれの初期では交配可能だったから彼らの遺伝子の一部は我々現生人類のなかに取り込まれてはいるが現生人類と彼らはすでに別な道を歩んでいて交配出来ない

そして今この瞬間にも我々の中から新たな進化は起こっている

それは『誰か』からではなく『誰からでも』起こっているのだ

つまり我々は、いや、すべての生物は次の万物の霊長の祖たる資格を持っていてもちろん我々すべてがアルファ雄でありミトコンドリアイヴとなり得るのだ

そしてその進化の傍流はやがて現生人類とDNAの溝で隔たれ別種へとたもとを分かちやがては交配出来なくなり『万物の霊長』の座を競う不倶戴天の敵となるだろう

そして生物とは『私たち』と『彼ら』でお互いを隔て種の保存を賭けた生存競争を行う

それは生物同士の直接的対決だったり偶発的事象や環境という実験の末の淘汰も含めた過酷なサバイバルである

勝つもの、負けるもの、繁栄するもの、迎合するもの、滅ぶもの、様々な試練と結末が生物の行く末に立ちはだかっていてそれでもなお最終的にはすべての生物が変貌し、絶滅を免れないのが現実なのだ

つまり我々人類は人類の前の生物から人類に『成った』だけであり、そこから人類以外の何かに『なる』しかない、それだけのことだ

そこに意味なんてない。ただDNAに書き込まれたプログラムを実行しアルファとなるだけ。人類最大の疑問の答えは実に無感情で無機質で無意味な実験の一部であるとしか答えられないのだ

これに当てはめれば地球上で現在騒がれている様々な問題が『万物の霊長』と驕り高ぶる人類による偽善と欺瞞であることがお分かりいただけるだろう

例えば種の絶滅は人類がいなくても起こり得る

大昔に恐竜に捕食され絶滅した種がいたしてもそれを現代の人類が「○○サウルスは悪だ!」と責めるだろうか?

カンブリア紀の爆発的生物増加の割をくらって滅びた植物があったとてそれを「人口増加の結果だ!」と捲し立てただろうか?

隕石に落下による環境の急変で「環境破壊の責任をとれ!」とデモを起こす生物がいただろうか?

現在我々人類の対面している問題は『人類で勝手に騒ぎ立てている問題』であって人類以外の何物もそれを問題になどしない

なぜならそれ(人類の存在と人類による環境、生態系への影響)は他の生物からするとそれも自然の一部でしかないのだから

遠く未来に人類以外の知的生命体が現在の世界を考察するに、きっと今我々が化石の時代に対して抱く感情と同じものしか感じ得ないだろう

そして我々から新たな種が出来た後も人種問題や差別問題で無意味に争い数を減らし滅亡へのタイムリミットを早める種(つまりは人類)があった事を知った未来の知的生命体はそんな我々の事を知りもしなければ憐れんではくれないだろう。現在の我々がそうであるようにそれはもう『終わった事』『結果論』としてしか見ないのだから

そしてその生命体も次の世代へバトンを渡し舞台の袖に引っ込んでいくのだ

『人類はどこからきて、どこへ行くのか』

考えるべきことはとても多く、とても難しいけれど、その労力のわりには得られる事は少ない

だが悲観的な考えだけではない

この地球上にいる生物はすべて平等にチャンスを与えられている

『万物の霊長』の座につくチャンスをだ

それは環境や偶発的事象に左右されるかもしれないが可能性はゼロではない

この地球上にいる生物はすべてが進化の途上にあり、やがて世界を席巻する生物の起源となり得る可能性を秘めているのだ

自らが進化の最先端『アルファ』だという自覚を持っていいのだ

我々はそのアルファの中のひとつ、一匹の『可能性の獣』にすぎない

増えよ、満ちよ、淘汰せよ、圧倒せよ

だが間違ってはいけない。他と競い勝つことだけが勝利ではない

『死んで花実が咲くものか』たとえ時に負けることがあろうとも、命を繋ぎ、自らの可能性を信じ、耐え忍ぶ者にこそ幸運の女神は微笑むのだ

そしてその女神の恩寵によりあなたのDNAはこの地上に満ちあなたのクローンがこの世界のあまねく地に栄えるだろう

可能性を信じろ、可能性を捨てるな。それをやめた時、進化は終わり『万物の霊長』への道は閉ざされる

少なくとも私は自分に与えられたすべての可能性を信じ、そして愛している




なかなかの長文になった、満足だ。朝からこんな事を考えている私のヒマさに大変微妙な気持ちになれた


以上!解散!


※あくまで暇だから考えた個人の主観で書き逃げです。どう受け止めても私は知らないし反論されてもめんどくさいからスルーします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?