ライスの日記 灰色の空

はい、みなさんこんばんは!

昼夜逆転廃人生活万歳\(^o^)/

マクドナルドのキッズスペースの名前が『プレイランド』という事実に気付いて『ほんなんえぇから俺と別な意味でプレイランド行く人おらへんのか!?』と独りごちた漢、ライスです。知れ、これぞ人類最底辺!←自己紹介

そんなこんなの生活ですがまだしぶとく生きてます

先週、久しぶりの連休で福岡に帰ってこれまた久しぶりに元職場に挨拶しに行った時の事です

毒にも薬にもならない雑談の最中に私が『いや、そろそろ本気で結婚しないとマズイよね~』と呟いたら全員に『まだ結婚する気あったんだ!?』と総ツッコミを受けました

あるわ!ありまくるわ!4回は結婚したいくらいやわ!←ハーレム

いや、そうは言いながら自分でもちょっとはわかってるつもりなんだよね…

多分…我輩…無理よ…

多分そもそも考えてる事や見てるビジョンが違うんだよね、きっと

だから今までも『理由無く』さよならされるパターンばっかりだもんね

けどこればっかりは変えられない

自分で自分の無意識な思考の方向を変えられる人間なんて存在しねぇよ

同じ価値観を持つ人がいれば…と思ってはみたものの多分私は相当特殊な思考の持ち主らしく色々探してみたけど無理そうだとやっと気付いた次第であります!

駄菓子菓子!ここで諦めては試合終了だと某白髪鬼が仏スマイルで私に囁きかけてきたので無理を承知で災い転じて福を呼びたいと思ったのだ

で、これを理解して貰うために自分なりの言葉で説明する方法を考えていた

誰もがそうだと思うんだけど人の心の姿ってのは見た人の先入観によりバイアスがかかって見えるでしょ?

ならば私に対するバイアスを自分の望む方へ誘導出来れば理解に対する壁が低くなる、そう考えたのだよ明智くん。グッド!

じゃあ『そもそも私の思考の根幹とは何か?』

突き詰めて考えるとそれは『退廃的希望論』に落ち着いた

私はとても退廃的な人間だ

自堕落なのではない、多分自らを律する法は心得ているつもりだ

だが私の生き方の根本にある考え方は『無常観』、つまり『全ては無に還る』なのだ

人も世も命も宇宙もあらゆるものは無に還る、それは決められた抗えない宿命

その中で我々は一瞬の我が世の春を謳歌しているに過ぎない

つまりは人生に意味や意義など無く塵に還るまでの暇潰しに他ならない、それが私の考え方である

例えば明日世界が滅びるなら私はそのビッグイベントの最後の瞬間を見ることの出来る喜びに身を震わせながら易々と受け入れる事が出来る、むしろ見たいくらいだ

こんな事、人と共感出来る訳がないだろう

こんな事を真面目に語ってもまともな人は『えぇ~…』とドン引きするだけでしかない

だが私は至極真面目にこんな事を考えている

だから私はどこまでも孤独なのだ

かといってそれが全てでもない

退廃的だからこそ世に希望を見出だす事も出来る

全ては無に還り塵に還るのが宿命だが、無すら常ならむのが無常という考え方

有は無になり無は有となる

全てを失った世界からはまた新たな世界が生まれるのだ

ビッグバンが今の我々の世界たった一回だと誰が証明出来る?出来る訳がない

無限と言える時間の中に我々は今一度生を得る機会を得られるだろうと私は確信している

刻は再び巡り来る、十万億土の彼方に来たる

およそこの神秘たる宇宙に於いて人間程度が想像出来る事が現実にならない訳は無い

その円環の一部として我々に意味があるのならそれを知る事こそ生まれてきた意味であろう、そう私は考えている

多分、かなり早い時点で『何を言ってるんだこいつは大丈夫か?』と思う人が大多数だと思ったが構わず話を進めてきた

どうだろう?共感出来た人がいるだろうか?

改めて文字に起こしてみると言ってる事は宗教の教祖と同じレベルの話だ

私自身は無信教者だから神様とやらがいるなんて微塵も考えてはいないが、この世の全てを鑑みて真実を求めるとたどり着くのはこの答えになるのだ

逆に考えたら世の宗教とやらの源流はこの思考の果てにたどり着いたかどうかになるんだろう

仏陀やキリストの唱えた輪廻転生や復活の日も要はこういう事なんだろう

世の宗教の開祖は必ず2つの事を以てその神性を得ている

一つは『断食』、そしてもう一つは『内なる自分との対話』

断食は生物として必須である『生きるための最低限』を断つ事により『死』を自らに近付け、その中で内なる自分と対話しこの世の森羅万象から『最後の答え』と『その始まり』を見出だす事が出来るのだろう、きっと

私は神でも仏でも無いからハッキリとはわからないが少なくとも自分の中で『死』を受け入れた時、そしてその後の長き『孤独』の中で生きることによりそういう答えを産み出すに至った

そろそろ開祖としてデビューしてもいいんじゃないか?と思うけど私には信じる神がいないから信者を救う事は出来ないだろう

宗教とは『真理にたどり着いた(と思われる)』アジテイターに『救いを求める』フォロワーが付いて始めて言語化され体系化されて成り立って行く

なので誰も救えない独り善がりな『真理』を抱えた無力な私は宗祖となる資格は無いのだ

そしてそんな自分だからこそ誰とも『価値観の共有』が出来ず己が思考の渦に今日も明日も足を絡めとられて生きていくのだ

そんな私は何故結婚したいと考えるのか?

自分でも不思議だ

これが生物として生まれてきた自分のサガなのだろうな…と少し自嘲しない事もない

これで自分に有利な方向へバイアスを向ける事が出来たかと言うと答えは『NO』

結局言語化しても理解は得られないだろう

この雨模様で灰色の空のように退廃的で晴れない私の心

けど手垢まみれの言葉だけど『やまない雨はない』というのもまた事実

ま、要するに人生なんて終わってみるまで捨てたもんじゃないって事

死ぬ以外はかすり傷

雨雲を睨んで晴れ間を待つ

目からビームが出て雨雲を消し飛ばせれば手っ取り早くていいのになぁ…


追記:改めて読み返して『自分と価値観を共有出来る女性』と考えたらどうしても瀬戸内寂聴みたいな悟りきった人になるよなぁ…と思って絶望してます

ライスに幸あれ!



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