ライスの日記 ある『自称成功者』へ

おはようございます

『新陳代謝』という言葉にそこはかとなくエロを感じ取る漢、ライスです。

なんだろう…響きといい意味合いといい…ムムム…!


さて、そんなことはさておき、実は小生が今日このnoteを開いたことには少しだけ理由がある。

小生がここで書くようになる前にいた場所、いまでもたまーーーに覗いたりもしているんだが、ここに以前から少しだけ気になる人がいるのだ…

…と書くと『お?女か!?』と邪推する人が現れるだろうからあらかじめ書いておく。男だ

しかも小生とは一切の絡みもない完全なる他人だ

じゃあそんな人の何が気になるのか?というと、彼の書く文章がひじょーーに気になる

彼が何者でどんな経歴でどれだけ偉いのかはさっぱり存じ上げないのだが、彼は何故かいつも『成功者』の目線で文を書いている

そして誰にかはさっぱりわからないがいつも彼は誰かを説教している

何故か上から目線で…

まあ、言ってる事が100%的外れってわけじゃないんだけど、どうにも核心がズレていて数日を跨いで整合性が取れない場合も多い。多分その日、その場の勢いで書いているような感じなのだ

そして、本日先ほど見た内容が余りに酷かったから『いやいや、それはないやろ(笑)』と思い、思わずここに書いてみようと思ったのだ

では、その私を失笑させた文を紹介してみよう


『世の中一番理解するべきは順番だ。

成功するから幸せなんではなく、幸せになるから成功する。

貧しいから挑戦しないんではなく挑戦しないから貧しい

できないから楽しくないのではなく楽しまないからできない。

くそマインドの奴らは全て逆や。』


さて、どうだろうか?

どう考えてもロジックが崩壊していると小生は思ったので敢えてここで個別に彼のロジックを分解してみたい


・『成功するから幸せなんではなく、幸せになるから成功する』

ここが一番意味不明。逆説的に考えるなら「成功者とはすべからく幸せである」となる。果たしてそうだろうか?これについては後に考察する『成功とは?』を参照して欲しい


・『貧しいから挑戦しないんではなく挑戦しないから貧しい』

これも疑問だ。サッと読めば一理あるようにも思えるこの言葉だが前提として間違っている事がある。世の中、『貧しさ故に挑戦のスタートラインに立つ事すら出来ない人間が存在する事を知らない、知ろうともしていない』

世の中には今日一日の命を繋ぐための過酷な日々を送っている人は残念ながら存在しているのだ

彼はこの日本という世界的にみても上位に位置する、豊かな、そして安全な国に生まれ育った。そして恐らく海外に行ったとしても安心で安全な位置からしか世界を見たことがないのだろう

非常に悲しい事だが、それが彼に世界はお花畑だと勘違いさせ、彼の眼を曇らせ、見るべきものを見る機会を失わせたのだろう。とても残念だ

敢えて私がここに書く理由はないから割愛するが、私は少なくともこの挑戦のスタートラインに立てなかった人の話のいくつかは知っている


・『できないから楽しくないのではなく楽しまないからできない』

これに関しては先の二つと根本的に問題が異なる

これはきっと彼なりの『出来る』ための方法論なんだと思うんだけどこれは手段と目的をはき違えているのだ

要するに『楽しむ』というのは『効果的、効率的に出来る』ためのツールの一つでしかないのだ

逆に言えば『楽しくなくても出来る事なんてこの世に腐るほどある』ではないか

例えば炊事洗濯などいい例だろう。出来る人の中に『うわぁー!たーのしぃー!』と思いながらやっている人がどれほどいるだろうか?

逆に『楽しい』と思いながらやっている人はその作業に対し新しい発想やより効率的に終わらす方法を見つけ出す可能性が高い。好きでやってるんだから工夫して上手くいくとより楽しくなる正のスパイラルを構築出来るからだ。つまりはそういうことなのだ

目的が『出来る事』ならば楽しまなくても地味に辛抱し、時間さえあれば大抵の事は出来るようになる。既知の技術や方法ならば人の出来る事なんて誰でも大差ない。だが、『効果的、効率的に出来る』ようになる、もしくは『新しい発想に行き着く』ためにはそこに行き着くまでに繰り返されるルーチンに耐え、新しい発想を生み出すためにこの『楽しむ』という感情が必要不可欠となる

『天才とはそこに至るまでの道のりを楽しめる者である』

ぜひとも彼には手段と目的の違いに目覚めて成功への道のりを楽しんでもらいたいものだ。


・『成功とは?』

さて、ここで疑問なんだがそもそも『成功』とはなんなのだろうか?

彼は折にふれこの『成功』という言葉を使いたがるのだが、実は彼のこれまでの内容にその『成功』について具体的に触れたものが見つからないのだ

そもそも人生に於いての『成功』なんて人によって定義が違うと思うのだがどうだろうか?

私の下ネタしか考えていない稚拙な脳みそで考えてみたところでの成功とは…

①金銭的成功…有り余る潤沢なマネーを手にし、欲しいものは全て札束ビンタで手に入れる

②人生の成功…人に尊敬され、愛し愛され、死の間際に『あぁ…いい人生だった…』と思える

③達成による成功…野球選手やノーベル賞、タイムマシンの発明など一般的な人から見れば夢や憧れで終わることを成し遂げる

が考えられる。

さて、さも彼は自分が成功者であるような言動を見せているのだが彼はこれらの中の何を成し遂げたのだろうか?あるいは全てを成し遂げているのだろうか?

少なくとも私はなにも成し遂げていないんじゃないかと思っている。

なぜなら、人間とはそんなに簡単に『すべてを成し遂げた』と思えるほど欲の少ないものだとは思っていないからだ

寿命の短い古代の一部の聖人じゃあるまいし、この現代で日本という豊かな国に生まれ『もっと、さらに、圧倒的に』と思わない人間などいない。人間の欲望は底知れず決して完璧に満たされる事はない。これは断言してもいい

そしてある程度自分が成功に近づいたと思った者はそれを失うのを恐れる

『自分より持っている者』『自分に追いつこうとしている者』『自分より才能のある者』、何かを得た者は常にその地位を脅かされ嫌でも他者との競合と淘汰を余儀なくされるのだ。

さあ、どうだろう?果たしてこれで『成功者』と『幸せ』を結び付けられるだろうか?

そして彼が自らを成功者であるかのように振る舞うのは彼が満たされていない故なのはまず間違いない。少なくとも彼の文を読んだ人からの尊敬や嫉妬の言葉を欲しがっているのは見て取れる

私が彼にこの日記の内容を質問してもきっと彼はそれを『僻み』と受け取り優越感に浸るだけだろうから私は彼に絡もうとも思わない。こういう輩は放置が一番効果的なのだ


『真の成功者』とはきっとこの物理的、精神的な満足感のさらに上の領域に至れた者の事を言うんじゃないかと私は思っている

それはきっと他者との競合からも解放された次元の違う完全なる『安息』を得られた者の事なんじゃないかな?

道半ばな小生にはまだその全容どころか片鱗すら見えてはいないけれど、いつかその域に達することが出来ればなぁ…と心からそう思っている


まあ、今の小生は『成功』よりも『性交』したいってので頭がいっぱいなんですけどね…


あ、これが『くそマインド』ってやつですね?(笑)

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