空飛ぶタイヤネタバレ感想文

何から何までネタバレしてます。未視聴の方はその点ご了承ください。原作はまだ全部読んでいないので映画のみの感想です。あと、どこまでもLove-tuneのおたくとしての感想文になっていますので、こちらもご容赦ください。





まずはこちら、サザンと空飛ぶタイヤのスペシャルムービー(公式)ご覧ください。



顔の見えない相手と闘ったって仕方がないもんねと、まさかお宅のお子さんこんなことしていないでしょうねと、一軒一軒ネットの掲示板を見せて回った。情報でしかなかった無機質な文字は感情とともに燃え上がり、もう閉鎖したから、解決したからって力強く言った。亡くなった妙子の写真を見て、生き残ったタカシの文字を見て、沢田の感情が揺れた。狩野常務は最後まで被害者の誰の顔も見ることなく、高幡はあんたに見せてやりたかったよと罵るように言った。

「握り潰すでしょう。顔の見えないあなたの敵は。」

「それでも信じてんだ。こんな状況の中で精いっぱいやった思いが誰かに届いて、奇跡が起こることを信じてんだ。」

最近、私たちは顔の見えない相手と闘っているなぁと思う。「たち」ってくくらないでほしいって思われちゃうかもしれないけれど、一人きりだとあんまり不安だから、こんな辺境のブログでくらい許してほしい。私たちはここのところずっと闘っているなぁと思う。俺たちとみんなでLove-tuneなので、私は勝手にLove-tuneも闘っているんだろうなぁと思っている。

突然目に見えて状況が変化してから数か月、「反撃開始」とうたった「空飛ぶタイヤ」が公開される日を、私は心待ちにしていました。何に反撃するのかとか正直今でもよく分かっていないけど、顕嵐くんがずっと「Love-tune」としてこの大作映画に携わってくれていたことに、私はずっと救われていたので。たぶん奇跡の大逆転エンターテイメントにすがるような気持ちでいたんだと思う。奇跡が起きて大逆転決めるにはきっとこれしかないだろうってくらい、素人目に見ても大きなお仕事だったから。

大企業に立ち向かう中小企業社長の赤松は、絶体絶命のピンチの中最後まで諦めずに闘う。俺が闘わなくて誰が闘うんだ、中小企業なめんなと、従業員とその家族のために闘う。栄転に目が眩んだ沢田から1億を提示されても断って闘う。家族が突然いなくなった悲しみに触れ、眠る息子の顔を見て、自分の正義を貫き通す。その判断に宮代は「それを放棄したんです。」と言った。従業員と家族を守るとそれだけは譲れないと言っていたあなたが、それを放棄したんです。もうだめかもしれないと言った赤松に、今更なんですかと笑いかけた。今更なんです。もうだめかもしれないなんて、今更。

従業員と「その家族」は映画の中では門田の奥さんとお腹の子しか登場しない。赤松の元を去って行った高嶋にも家庭があったかもしれないけれど、はっきりとは登場していない。門田が最後のひとりになっても社長について行きます、と言ったのは、宮代の「それを放棄した。」に対する反論であり、高嶋と対比させて赤松の正義が否定も肯定もし得るものだと示したものとなった。小さな正義のピースがカチリとカチリと少しずつはまって、やがて奇跡が巻き起こる。全てが暴かれた、会社は倒産を免れた、ただ、それがどうしてかは分からなかった。従業員が喜びの声を上げる中、赤松は呆然としながらゆっくり立ち上がる。赤松も沢田も少しずつ間違えていた。妻を亡くした柚木も、誤って家宅捜索をした高幡も、組織のコマとして記事を掲載しなかった榎本も匿名の告発をした杉本もみんなみんな。それでもちっぽけな人間の正義がカチリ、カチリと重なり合って、奇跡が起きた。「こんな状況の中で精いっぱいやった思いが誰かに届いて。」リレーみたいに連なって届いた。顔の見えない敵の顔がはるか遠くにようやく見えた。

「あんたの顔はもう二度と見たくないんだ。」

「俺もだ。」

様々な解釈ができる言葉だと思う。今のところ私は単純に、そもそも顔を見る必要のない相手だからだろうという意味に解釈している。こんな事件さえ起きなければ、見る必要なんてなかった。同じ志のもとに組んだバディでもない。互いがそれぞれの住む世界に向かってすっと歩き出し、エンドロールには澄んだ青空が浮かぶ。平凡すぎる日常に突如暗い影が落とされたのち、再び日常に戻っていくことが示唆される素晴らしいエンディングだと思う。

「すげぇ天気のいい日だったんだ、天気のいい日に、突然命が奪われたんだ。それだけは覚えておこうぜ。」

いい天気の日に笑って歩いていたんだ、それだけだったんだ。

そうだなぁ、そうだったなぁなんて、ふと青空を見上げて思う。そうして、いや、違う、違うかって。まるで生き急いでいるみたいに走ってたっけ、誰かと同じスピードじゃ追いつけないんだったっけなんてことを思う。それでもまだ、あの頃は普通の日々だったかなぁなんてことも思う。私はどうしてこうなったのかとか、そういう答えの出ないことを知りたいのでもなく、ましてやそこに特定の人の顔を見たいわけでもなく、ただ単純にバカみたいに幸せな気持ちで好きなアイドルの応援をしたかっただけで、その裏にある目に見えない力に興味なんて持つ必要がない、そういう毎日を過ごしていたかった。そういう意味で「あんたの顔はもう二度と見たくない。」を解釈している。

もともと否定と肯定が渦巻いてエネルギーが湧き上がっているLove-tuneのことが好きだった。私たちはもうずっと前から少しずつ間違えていて、それでも小さな正義がギリギリのバランスを支えていた。もうだめかもしれないなんて何度も思ったけれど、今更なんですかって、今更。今更、こうなってしまったものを諦めてどうするんだって。私たちはそうやってどうにかこうにか収まるところに収まって行ったように思う。大好きだよっていう単純な思いで、よくやっていたように思う。

物語は群像劇よろしくそれぞれの正しさと誤りが折り重なって、ついに大企業のリコール隠しが暴かれる。赤松は最後まで黒幕狩野常務の顔を知らないし、内部告発をした杉本の顔も知らない。稟議を書かなかった井崎に関しては沢田も知らない。沢田の言う通り、顔の見えない敵は赤松運送を潰そうとしたけれど、顔の見えない味方が救おうとしてくれたことを2人ともずっと知ることがない。赤松運送を救う決定打となったのは、存在しないはずの杉本のパソコンで、廃棄処分になったはずのパソコンが、たまたま、息を吹き返した。たまたま、偶然、運よく、カチリ、と、最後のピースがはまった。それは大衆映画らしいご都合主義の、まるで正義は必ず勝つとでも言いたげな、運命の女神のいたずらみたいな展開で、例え実際の事件をモチーフにしたものであっても、この作品があくまで上質なフィクションであることを思い起こさせるものだった。そうして私はひどく、やっぱりそれしかないんだろうななんて妙に納得をした。

Love-tuneには多くの敵と多くの味方がいるとして、この物語が大逆転エンターテイメントになるには、きっと運を手に入れるしかないんだろうなと思う。運はある程度引き寄せられる、おたくは微力でも多少は味方になれる、でも最後の決定打にはならない。運命の女神さまだなんて、そんなフィクションにすがるようにしながら、私たちはひたすらにその日が来るのを待っている。

「それでも信じてんだ。こんな状況の中で精いっぱいやった思いが誰かに届いて、奇跡が起こることを信じてんだ。」

誰かって誰だろうね、それこそ永遠に分からなくったっていいんだよ、顔なんか見なくったっていい、一生見なくったっていいんだ。奇跡なんて願わなくったってよかったころに戻りたいんだ、もうできないけれど。いつも私はここで、じわりと涙を浮かべて、信じてんだよ、だってLove-tuneを信じてるからって、バカみたいに思ってる。顕嵐くんが強いまなざしを浮かべながら「社長はまだ諦めてないんですよね。俺ひとりになったって最後まで社長について行きます。それだけは譲れませんから。」と言った。門田が言った。でも顕嵐くんが言ったんだ。どっちでもいいよ、おたくだから、都合のいいことを都合のいいように解釈するんだよ。まだ断たれていないだけの細い糸を握りしめながら、奇跡の大逆転エンターテイメントを夢見ている。

リコール隠しの全貌が暴かれたとして、失われた命は戻ってこない。青空の下に並べられた美しい花々が、かけがえのない命の重たさを印象付ける。物語は決して単純な勧善懲悪ではなく、心にほんの少しだけ影を落としていく。平凡な日常というのは、果たしてそういうものでもあっただろう。

だからそうか、いいんだよ。もう戻らなくったっていいんだよ、ただ前に進めばいいんだよ。その方がずっと、私たちらしい。誰かと同じスピードじゃ追いつけそうもないんだから。

「今日も、いい天気ですね。」

「ああ、いい天気だ」

平凡の極めつけみたいなセリフで物語の幕が下りた。こんな壮大な物語が天気の話なんかで終わって、それぞれの道へ歩みだす。事件はいつだって日常の陰に潜んでいて、急に現れては人々を傷つけて通り過ぎていく。でもそうだね、いつの間にか梅雨も明けたね、いい天気だ。私は何だか走り出したい気持ちになって、存在しないかもしれない運命の女神さまを捉まえに行くくらいの気概で。平凡な日常はまだもう少し先の話になりそうだけど、それはもういいから、まだまだ物語は続くんだからって。いつだって満面の笑みを見せてくれたLove-tune7人の顔を思い浮かべた。

2018.6.15(金)反撃開始!何に反撃するのかとか正直今でもよく分かっていないけど、私は今闘いたくてしょうがなくて。やみくもに攻撃してあのおたくやばいなって言われない程度に節度を持って闘いたくて。榎本に「そういう闘い方もあるのね。」って言ってもらえるような、そんな風に闘っていきたい。もう奇跡を信じるしかないのなら、最後まで信じるしかないなら、そんな簡単なことってないなぁって今の私は思うのです。私たち、頑張りましょうね!「たち」ってくくらないでほしいって思う人もいるかもしれないけれど、こんな辺境なブログを書いている私にも「たち」って思わせてくれるLove-tuneとらぶ担さんが私は大好きです。幸せだなぁ、Love-tuneのおたくって、やっぱり楽しい。

空飛ぶタイヤ、大ヒットおめでとうございます。この映画に出会えてよかった!顕嵐くんのおかげだ!ありがとう。本当に、ありがとね!

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