世界の終わり

私の亡き母は、ビートルズを愛していた、とりわけジョン・レノンを。

幼い頃住んでいた田舎の家の壁は一面レコードで埋めつくされていた。父がオールディーズとフォーク、母がロックとジャズを好んで集めたもので、今なら相当値打ちがあるものもあっただろうと思う。
ビートルズはもちろん全て揃っていたし、 幻の武道館公演のパンフレットも大切にしまってあった。
北海道からビートルズ武道館公演に参加できたのは母を含めてもほんの数人だったらしいというのが母の自慢だった。

ジョンが射殺された時、母は私と弟の存在に感謝したと言っていた。
オノ・ヨーコが介入するようになりジョンへの熱狂がやや覚め、自身も結婚し親になって音楽と距離を置いていたことが不幸中の幸いだったと。
それでも、その瞬間は世界から色がなくなった、世界が終わったと感じたと言っていた。私はまだそんな衝撃を経験したことがなくて、想像がつかない。


THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのチバユウスケが亡くなった。

若かりし大学時代、私も、私の周りも(知る限り)みんなHi-standardとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを聴いていた。
私の偏見で言うとハイスタは社交的な陽キャタイプの子たちのお気に入りで、ちょっと悪い感じのお洒落な子はミッシェルが好きだった。

決してライブに行ったりとかしたわけじゃない。当時の私は学生生活という名の飲み会やバイトや恋愛にうつつを抜かしていたから、音楽はその日々の背景のBGMのようなものだった。
それでも、その頃の友達の運転する中古のマーチのカーステレオや、あの子の部屋のコンポ(これも懐かしい響きすぎる)の定番のCDや、喫煙所でみんなが口ずさんでた曲とか、そういうあの日の日常の断片とともに思い出される曲たちをこの世にうみだした人がいなくなるという寂しさが込み上げて、昨日はどうしようもなかった、私たちってひょっとしたらもう晩年に差し掛かってるのかもね、という切迫感と共に。
奇しくもHi-standardのドラムの恒岡さんも亡くなった今年は、"まだこれから"という陳腐な言葉しか思い浮かばないような年齢で鬼籍に入るバンドマンが多い年だった。

そもそも癌の原因なんて医者にもはっきりとはわからないだろう。どんな生活をしていてもなる時はなるのが癌かもしれないし、皆、陰ではしっかり自己管理して健康的な生活をしていたのかもしれないわけだし。それでもお節介は承知で、どうか事務所関係者の方々は、本人たちが渋るのを引き摺ってでも年に1度は健康診断や人間ドックに連れて行って欲しい。健康を維持することもスターの必須条件だと懇々と諭してやって欲しい。

バンドマンに限らず、何ヶ月でも家から出ないで日にも当たらず寝食を惜しみ身を削って制作に没頭してしまう私達の推しよ、どうか健康であれ。若いうちはどんな無理もできてしまう身体も、そのうちガタがくる。あなたたちの命は他と引替えにできない唯一無二のものだから、何より大切にしてあげてほしい。
これはものすごくエゴだらけの私の正直な気持ちだけど、世界が色を失うところを見たくない。少しずつ世界から色が失われていくことは仕方がないとしても。


余談だが私の母が亡くなる瞬間、まだきっと聴こえてると思うから最期に何か言わないと、と思って私は咄嗟に「あっちで、ジョンによろしく伝えてね!」と言った。
もしもそういう世界があったなら、齢90を超えてなおご存命のヨーコがやって来る前に、母にはジョンといい仲になっていてほしいし、チバさんは音楽仲間と楽しくやっていてほしい。ほんと、そういう世界があると思っていないとやってられない。母にしても、チバユウスケにしても、今生を楽しみ尽くすには早すぎた。

母が亡くなった年齢まで私もあと10年ほどとなった。
私には家族がいて、音楽があって、それらはとてもあと10年で手放す訳にはいかない。いかないけど、そんな日がいつか、私にも、大好きな人にも来るんだと身につまされる。その日をできるだけ後悔なく迎えたいので我が身は自分で守るとして、アーティストはどうしようもない。事務所の方、業界の方、ひとつ宜しく彼らの健康維持をお頼み申します。

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