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【権威はどこから来るのか 〜アロンの杖〜】

【権威はどこから来るのか 〜アロンの杖〜】

『そういうわけで、離れていてこれらのことを書いているのは、私が行ったとき、主が私に授けてくださった権威を用いて、きびしい処置をとることのないようにするためです。この権威が与えられたのは築き上げるためであって、倒すためではないのです。』
コリント人への手紙 第二 13章10節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
(民数記17:1-11新改訳)
『1主はモーセに告げて仰せられた。
2「イスラエル人に告げて、彼らから、杖を、父の家ごとに一本ずつ、彼らの父祖の家のすべての族長から十二本の杖を、取れ。その杖におのおのの名を書きしるさなければならない。
3レビの杖にはアロンの名を書かなければならない。彼らの父祖の家のかしらにそれぞれ一本の杖とするから。
4あなたはそれらを、会見の天幕の中のわたしがそこであなたがたに会うあかしの箱の前に置け。
5わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてイスラエル人があなたがたに向かってつぶやく不平をわたし自身が静めよう。」
6モーセがイスラエル人にこのように告げたので、彼らの族長たちはみな、父祖の家ごとに、族長ひとりに一本ずつの杖、十二本を彼に渡した。アロンの杖も彼らの杖の中にあった。
7モーセはそれらの杖を、あかしの天幕の中の主の前に置いた。
8その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ、レビの家のためのアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。
9モーセがその杖をみな、主の前から、すべてのイスラエル人のところに持って来たので、彼らは見分けて、おのおの自分の杖を取った。
10主はモーセに言われた。「アロンの杖をあかしの箱の前に戻して、逆らう者どもへの戒めのため、しるしとせよ。彼らのわたしに対する不平を全くなくして、彼らが死ぬことのないように。」
11モーセはそうした。主が命じられたとおりにした。』

(エレミヤ1:11-12新共同訳)『11主の言葉がわたしに臨んだ。「エレミヤよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。」12主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと/見張っている(ショーケード)。」』

(ヘブル9:4新改訳)『そこには金の香壇と、全面を金でおおわれた契約の箱があり、箱の中には、マナの入った金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の二つの板がありました。』

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多くの牧師、教職者、教会リーダー、ミニスター、教会役員、礼拝奉仕者達が、権威は自分の能力から来ると勘違いをして、一生懸命「自分はあなた方より霊的に優れているんだ」という肉のアピール、肉のパフォーマンスをするのを度々見て来ました。

違います。

真の霊的権威は私たちの能力から来るのではなく、神様ご自身の選びから来るのです。
その事を聖書から見ていきましょう。

時は、イスラエルの民がモーセに率いられて、カナン(現在のイスラエル)の地を目指して荒野を彷徨っていた40年間の間の出来事です。
民数記17章は、民数記16章において、レビ一族の1人コラが知人3人と共謀し、会合でイスラエルの民の中から選び出されていた名のある者達250人のリーダー達を率いて、モーセとアロンの権威に立ち向かい、生きたまま地に飲み込まれて一族全員が滅ぼされた事件の後の出来事を描いています。
主は、2度とこのような悲しい事件が起きないように、アロンの杖を用いて、ご自身の主権的な選びをイスラエルの民にお示しになりました。

杖は権威の象徴の1つです。特に、羊飼いの杖は、牧会的召しと賜物を意味します。また、アーモンドは、ヘブライ語で「シャケド」(שקד)と言い、「見張る(ショーケード)」の語根シャカデから派生した言葉です。牧会の役割の1つは、敵から羊を守る為に見張る仕事と言えます。

5節『わたしが選ぶ人の杖は芽を出す』
日本では、アーモンドは、3月から4月頃に花が咲き、7月から8月にかけて実がなります。主が選んだアロンの杖からだけ、超自然的にアーモンドの花が咲き、たった一晩で実までなっていました。このアーモンドの生えたアロンの杖は、永遠の戒めかつ印として、契約の箱の中にとこしえに納められました。(ヘブ9:4)

私たちは、このことをよく覚えなければなりません。真の霊的権威は、主から来るのであって、人から来るのではありません。

政治家の権威は、人(国民)から来ます。なぜなら、人(国民)が選挙で選ぶからです。
もし、牧師も、他の牧師や教会員が選んでいるのなら、その牧師の権威は人から来ているのであって、神様から来ているのではありません。
本当に神様から任命されているのなら、知恵を持って弁明(説明)する必要はありますが、人に対して過度にアピールする必要はありません。使徒パウロのように、神様ご自身がその権威を人々に対して証明されます。

人にいかに自分が権威を与えられているかアピールしようとしている時点で、「私の権威は神様から来ていない。あなたがた、人から来るのです。」と言っているも同然です。

本来、牧師や教会リーダーとして神様から任命されていないのに人間的政治力で牧師や教会リーダーになっている人は、早晩その事が誰の目にも明らかになるでしょう。

本当に神様から任命されている人は、人々(教会役員、教会員、長老や牧師仲間、神学生仲間、教会リーダー、礼拝奉仕者達など)がどんな某略や策略をめぐらそうと、恐れる必要はありません。その権威は神様から来ているので、人々が何をしようと揺るがされることはないからです。たとえ、仮に今のポジションを人から奪われようと、主が霊的昇進と共に新たなポジションを与えて下さいます。(もちろん、譲ってはいけない場合もあります。主に祈って聞いて、どう行動すべきか確信と平安を得て下さい。)

また、賜物あふれる油注がれた有能な後進があらわれても、脅かされ、嫉妬にとらわれる必要もありません。彼らはあなたの今の地位や働きの場を脅かす存在ではなく、あなたが出来ないことを代わりにやってくれる強力な友軍なのです。彼らは、共に神の国をこの地上に押し拡げる為に働く戦友なのです。

嫉妬を感じた時、あなたは本当にその道に召されているのか自身を吟味する必要があるでしょう。あなた自身の出世欲・成功欲・野心なのか、神様の召しなのか。
やりたいと願うこと自体は良いことです。しかし、名を挙げたい、知られたい、という願望はよく吟味するべきです。

あなたは霊的に昇進したいですか?その願い自体は良いことです。しかし、それは何の為にでしょうか?あなたは、何の為に、誰の為に霊的に昇進したいのですか?

それは、本当ですか?

それは、あなたの本心ですか?

他の何を失うことになっても構わないものですか?

霊的昇進も、神様から来ます。しかし、それは、時が来たら、別の機会にお話ししましょう。

〈終〉


▶️霊的昇進に関する学び
#召しの学び#真の召しに就くまで
「生まれてから死ぬまで、私が彼らに備えた奉仕の第一段階にすら一度も入らない奉仕者たちがいます。それゆえ彼らの内の多くが、彼らすべてではなく彼らの内の多くが、若死にし、この地上で彼らの全時間を生きることがないのです」
『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」』
コリント人への手紙 第一 2章9節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
https://note.mu/risingdestiny/n/ne94e22053059

▶️霊的権威に関する更なる学び
#権威の本質
権威には、責任が伴うのです。あなたがより偉大な権威を授かる時、それに伴って善悪の選択を迫られる危険にもますますさらされることになります。
https://note.mu/risingdestiny/n/n99757b35d53b

「神の国に駆け引きはない。最も純真な王が治めておられるからだ。教会は神の国の大使館である。なぜあなたは教会内で策を弄するのか?」参:使徒5:1-11 2018/3/2

“NO MANEUVERING in God's Kingdom. The KING with PUREST heart reigns. Church is its Embassy. Why are you manipulating?” See: Acts5:1-11 March 2, 2018


【福音】新しく生まれ変わる!(新生の祝福)
https://note.mu/risingdestiny/n/nb11945f61b7a


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