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【聖書解釈の10原則】

【聖書解釈の10原則】
『それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。』1ペテロ1:20-21新改
『聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。』2テモテ3:16-17新改
『…それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。…』創世記40:8新改
『事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。』箴言25:2新改
『隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。』申命記29:29新改

【⓪大原則:聖書は、聖書によって解釈されなければならない。】
①文脈の原則
②適切さの原則
③明記された原型の原則
④記述の全体量の原則
⑤明確な意味の原則
⑥文法の原則
⑦最初の記述の原則
⑧進展していく記述の原則
⑨区別の原則

【⓪大原則:聖書は、聖書によって解釈されなければならない。】
『大聖書(Great Bible, 1539)』序論より、マイルズ・カヴァデール(Miles Coverdale:聖書全巻を最初に英語に翻訳した人)
「何が先であり、何が後に続くかを考えながら、何が書かれ何が話されたかだけではなく、誰のことであり誰についてであるか、どういう言葉で、いつ、どこで、どういう意図で、またどのような状況であったかについても注目することは、聖書を理解するのに大きな助けとなる。」
この言葉は、聖書を学ぶ人には有益な示唆であろう。
聖書は、それ自体に、聖書を理解する手がかりが含まれている。私たちは聖書を聖書によって解釈しなければならないのであって、他のいかなる解釈の枠組みにも依存すべきではない。これらの原則は自由に聖書本文に当てはめるものではなく、聖書を聖書によって解釈する方法そのものである。新約聖書によって旧約聖書を解釈する方法の中に、この原則の実例が多くある。

①文脈の原則
聖書の中のどのような記述も、文脈から切り離して解釈してはならない。ただし、神は御自身の言葉について拡大解釈する権利を持っておられる。旧約聖書が新約聖書の中に使われる時に、このようなことがある。しかし、敬虔に神の御言葉を学ぶ者は誰でも、聖書の明確な裏付けがないかぎり、拡大解釈することはできない。なぜなら、『神は無秩序の神ではな』いからである(1コリ14:33新共同訳)。神は、理解できる言葉を用いて秩序だてて、御言葉を与えられた。文脈の原則は、聖書に書かれているすべての内容を理解するための原則であり、何世紀もの間、神の啓示を慎重に研究した結果、神の御言葉のどの部分でも、この原則を堅く守ることがきわめて賢明であることが明らかになった。
例:ヘブル2:6-9は詩8:4-6の解釈、ヘブル10:5-10は詩40:6-8の説明

②適切さの原則
聖書はいつも適切である。ゆえに、一度啓示された真理は、いつの時代にも適用される。また、2テモテ3:16-17にあるように、神の言葉はただ適切であるだけでなく、必要が生じた時にはいつでもその必要を満たしている。聖書はいつも適切であるので、現在のキリスト教界の混乱に合わせて聖書を解釈することは正しくないことが分かる。私達が置かれた状況に神の御言葉を合わせようとしてはならないのであって、いつも御言葉の戒めに従って行動するように努めるべきである。

③明記された原型の原則
聖書が語っていないことに基づいて論じてはいけない。聖書に原型、つまり完全な青写真がある。聖書に書かれていないことを主張すれば、聖書がすべての点で十分であることを否定することになる。
例:賛美歌集についての聖句はないが、歌うことについての明確な導きはある(1コリント14:15、他)。

④記述の全体量の原則(センス・オブ・プロポーション)
ある主題が神とその民について重要である場合、聖書の多くの部分がそれに費やされている。集会の真理についての記述が多いことは、この真理が重要であることの証明である。この原則が正しいことは、聖書が重要な霊的事項については多くの部分をさいていることから明らかである。
例:わずか21節で世界の創造が描かれているが、幕屋とその聖なる奉仕については、聖書は38章を用いている。なぜなら、幕屋はすべて、主イエスの位格とその働きについて語っており、この方のうちに、父なる神は御自分のあらゆる喜びを見出されるからである。

⑤明確な意味の原則
聖書は、簡潔で明確なことを解釈するのに、それがどんなことであれ、曖昧な文章を使うことはない。明確でしばしば反復されている御言葉によって、さらに難しい箇所を解釈する原則を、いつも用いるべきである。
例:マタイ1:23は、イザヤ7:14の約束の明確な解釈である。霊感によってマタイは、その預言が単に若い娘が男の子を産むことを語っているだけでなく、処女が出産することを語っていると告げている。マタイ2:6は、ミカ5:2の預言を文字通り正確に解釈している。それによって、ベツレヘム、ユダヤの丘にある20家族の村落が、永遠の主の誕生の場所であることが分かる。

⑥文法の原則
言葉が意味を持っている以上、私達は、その言葉の文法を理解することにも注意を払わなければならない。聖霊は、文法も注意深く用いた。
例:ガラテヤ3:16-18で、パウロは「子孫」という名詞が創世記17:7では、複数形ではなく単数形である事実から、正しい解釈と間違った解釈の区別をつけることができた。

⑦最初の記述の原則
一つの真理に関する最初の記述には、その真理の重要な要素が含まれており、聖書の他の部分で神の啓示が示されていくにつれ、それがさらに詳しく説明される。教えは御言葉の中で次第に展開していく。
例:キリストの御体なる教会の最初の記述は、マタイ16:18。地域集会の最初の記述は、マタイ18:15-20。

⑧進展していく記述の原則
新約聖書では教えが進展していく。神はこの原則を用いて、御言葉が終結に近づくにつれて、真理を明らかにお示しになる。
例:マタイ7:7にて主イエスが祈りについて教えられ、それから新約聖書の終わり(1ヨハネ5:14-15)に至るまで、その主題が展開されている。

⑨区別の原則
この原則は、①文脈の原則と密接な関係を持っているが、特に説明を要するものである。それぞれの時代区分・歴史背景を考えないでも、「律法」と「恵み」の違いを聖書の読者が区別することは容易である。私たちが読んでいるものを区別しなければならない。
例:「律法」と「恵み」、「教理的な真理」と「実際的な真理」、「救い」と「報い」、「イスラエル」と「教会」、二回の来臨(「幼子イエスの誕生」と「王イエスの再臨」又は「空中再臨」と「地上再臨」)、「キリストの体なる教会」と「信徒の地域的な集いである教会」、「創世記のヨセフ」と「福音書のヨセフ」、「列王記のイゼベル」と「黙示録のイゼベル」、「礼拝を受け取ってはならない主の使い(天使)」と「礼拝を受ける主の使い(主イエス)」など。

聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

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