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将棋世界誌の1ヶ月

将棋世界編集部に異動して半年になった。日々変化があって楽しい。急に、将棋世界の業務日誌のようなものをつけたらおもしろいんじゃないかな、と思いついた。
Twitterもしているものの、皆さんのタイムラインを自分のツイートで流してしまうのが申し訳なく思ってしまうタイプなので、あまり頻繁にはツイートできていない。でも、こうして1回でどんとまとめて出すことはできる気がした。

ちょうど、2月までで将棋世界と並行して進めていた書籍編集部時代の担当書がひと区切りついたことと、4月からは将棋年鑑の作業が本格化してしまうために、3月が将棋世界のいちばん標準的な業務内容になるだろうなと思ったので、この機会に業務をまとめてみることにした。

書いてから思ったのだが、長い。ヒマ人だと思われたくないばかりに、雑務も針小棒大に書いているような気がする。それに、本当に日誌形式なので全体のまとまりもない。気になったところだけつまみ読みしていただければ幸いです。
なお、編集長には目を通してもらって、問題がなさそうなことだけ書いています。

この月に主に編集しているのは4月3日発売の5月号。校了は19日だった。

3月1日(金)

マイナビ女子オープン挑戦者決定戦取材の準備。北村女流二段、大島女流初段の過去のインタビューを読んだり、棋譜を並べたり。
北村先生は最近居飛車を多く指されているので、相居飛車になるんだろうなと予想していた。

斎藤慎太郎先生に詰将棋サロンの原稿締め切りを連絡。A級順位戦最終日(2月29日)の前の連絡は控えていた。結果が思わしくなかったので大変申し訳なかったけれど、こちらに気を使わせないような返信をくださった。

16日に予定している上野裕和先生の「でる順詰め手筋」出版記念イベントに向けて、当日販売する本を出庫手配。

3月4日(月)

マイナビ女子オープン挑戦者決定戦取材。
朝から連盟に直行。写真をバシャバシャ撮る。編集部に来るまでカメラの経験はない。ヘタクソは偶然のナイスショットを祈ってシャッターを切りまくるのみだ。
対局進行中は、将棋だけずっと見ているというわけにもいかず、控え室で仕事。次々号である6月号企画の調整をする。

対局は大島綾華女流初段(この勝利で女流二段に昇段)が勝ち、挑戦権を獲得した。
囲み取材中のやり取りをツイートしたところ、想像をはるかに超えて伸びた。

将棋世界のTwitterでは、藤井聡太竜王名人についてのツイート(下記)が最バズだったのだが、それに迫る勢いのバズがタイトル初挑戦の21歳で起こったのはすごく意義があることだと思う。

ちなみに、動画を見ていただければわかる通り、最初の「道に迷ったとき……」を引き出したのは會場の質問(2分47秒あたりから)だけれど、深掘りして決定的な発言を引き出したのは朝日新聞の北野記者(8分23秒あたりから)である。

正直に言うと、私は自分の質問時点で「これ、さては本当に迷子になった話だな……」と勘づいてしまっており、変な空気になることを恐れて質問を切り上げたのだった。主催社なので、その気になれば後でも単独で聞けるということもあった。結果的に、北野さんが重々しいトーンで聞き直したからこそ、おもしろいエピソードになったと思う。もし私が聞き直していたら「確認なんですが、いまのは物理的に道に迷った話ですよね?」「はい」となってしまい、盛り上がらないし変な空気になっていたはずだ。後から考えたことだが、気づいていてもとぼけて聞くというのも、スキルのうちなのかもしれないと思った(北野さんがそうだったと言っているわけではありません)。

囲み取材のあと、単独インタビューをさせていただく。昔朝日新聞の村瀬さんに教えてもらったおしゃれカフェでお話を伺った。そのおかげか、リラックスした雰囲気でお話いただけたが、こういうところでの録音はBGMが入るので文字起こしには苦労したりする。

3月5日(火)

朝起きると筋肉痛。写真を撮るときにアングルを変えるために立ったりしゃがんだりするのだが、それだけで筋肉痛になったのだ。ただ、これでカメラマンが大変だというとカメラマンの方に怒られそう。私があまりにも運動不足だという話です。

現場直行で矢口亨さんのコーナー、「それも一局」の撮影に同行。
武富先生の撮影をさせていただく。
5月号は、武富先生の趣味である料理の風景を撮らせてもらおうという企画だった。ご覧になった方の中には、もしかすると撮影場所をご自宅と勘違いされる方もいるかもしれないが、スタジオですので念のため。
武富先生は本当に気遣いの人で、人望の塊みたいな方である。ある棋士に聞いたところによると、武富先生が関東移籍を決めたころ、関西所属のどの棋士と話しても「うちの礼衣ちゃんをよろしくお願いします」と言われたらしい。
そういう方にとって、料理で人をもてなすというのは天分なのかもしれない。写真では大きく写っていないような一品一品に至るまで、細かな工夫と気配りにあふれていた。

撮影後帰社して、前日の大島先生インタビューの文字起こし&構成。このころには大島先生についてのツイートが150万インプレッションに達していた。
そこまでくると、バズったからいいというものではない。ネガティブな反応こそ見当たらなかったものの、キャッチーな話だけに終わってしまうとアンバランスである。ほほえましいエピソードはひとつの入り口として、将棋の強さやプロとしての姿勢も広めていかないといけない。
実は単独取材中にも相当印象的なエピソードがあったのだが、わずか2ページのインタビューにそれを盛り込むと記事がキャラクター先行になり過ぎる。思いきってカットすることにした。
インタビュー記事は、バズったエピソードもひとつの軸としては触れつつ、それよりも努力家の面、将棋に真摯な面が強調できるように構成することにした。それがうまくいっているかは皆さまのご批判を待つよりない。

3月6日(水)

話の流れ上きのうにまとめたけれど、大島先生インタビューの原稿ができたのはこの日。大島先生にメールで確認をお願いするも、送信してから翌日が対局なことに気づいてブルーに。
ふつう棋士や女流棋士の先生にメールを送るときには、先に対局予定を見る。スケジュール上どうしても送るときや、ごく簡単な連絡は送ることもあるが、原稿確認レベルのものは対局後に送ったほうが望ましい。
このときは、4日に「11日にまた対局で来ます」とおっしゃっていたので油断して調べるのを怠ってしまっていたが、それは11日に関東でまた対局があるという意味で、関西対局はその前にもあるのだった。もちろん「すぐ返事をください」という話ではなくて、対局後に見ていただいても大丈夫なようには送っているのだけれど、申し訳ありませんでした。

マイナビ女子オープン挑戦者決定戦のカラーページ、トビラ素材をデザイナーさんに送る。カラーページや、各項目のトビラ(コンテンツのタイトルが入ってる部分と思っていただければ)はデザイン性が高いので、直接印刷所に入れないで、デザイナーさんに写真やテキストを渡して作ってもらっている。

夜、B級2組の対局が終わったので、昇級者の先生方に喜びの声の原稿依頼メールを送る。
こういうのは熱いうちに送ったほうがいい、とこのときは思ったのだけれど、正解はわからない。
大量のお祝いメールに埋もれる可能性もあるし。

 3月7日(木)

矢口さんからそれも一局の写真が送られてきたので、さっそくラフを切る。
表情が豊かなのと、シチュエーションが豊富なので、ついいっぱい写真を使いたくなる。しかしデザイナーさんは絞ったほうがいいという意見。
自分のセンスがなさすぎて悲しくなる。
デザイナーさんがいろいろな案を出してくれたので、社内で意見を集めて回る。

ホンマにやさしい3手5手詰、ステップアップ7手9手詰、プロ棋界の最新定跡の入稿作業。
入稿作業は何をしているかというと、原稿整理(届いた原稿を確認し、分量や用字用語などの基本的なことをチェック)→割付(ページ内の要素とその位置を決めて印刷所にわかるように記載する)という流れ。
将棋世界の場合、割付でそんなに凝ったことをしないので難しくはない。せいぜい、少しでも見やすい位置に図面を置くとか、どうせなら段が変わるところに小見出しを入れたいな、とか考えるくらい。
これはアナログでやっていて、割付台紙という紙に書き込んで送る。
こんな感じだ。

テキストや写真データはこれとは別に送る

ほかに図面見本を作ったりする。将棋の盤面図を印刷に耐えるクオリティで作るのはかなり大変で、印刷所のプロの技だ。しかしその技を持っている人は将棋に詳しくないというジレンマがあるので、完成したらこういう図面になるはずですよ、これを参照して確認に使ってくださいね、という見本を作っておかないといけない。このとき、太字にする最終手の情報とかも赤字で書き加えてスキャンして送る。図面の制作用データ自体は、また別にテキストで作って送る。
(ちなみに書籍では違う印刷所に頼むことが多いので、また違った図面の作り方をしている)

6月号「それも一局」撮影の許可取りを進める。
企画書を送ってくださいとのことだったので、作成して送る。

3月8日(金)

千田先生に続いて増田先生がA級昇級を決めたので、喜びの声の原稿依頼を送る。

それも一局のレイアウトについて、社内の意見集約も勘案してデザイナーさんと打ち合わせ。

マイナビ女子オープンカラーページの初校が出てきて赤字を入れる。
赤字というのは修正依頼のことで、これもアナログでやっている。印刷したものに本当に赤ペンで書き入れてスキャンして送る。いろいろテクノロジーが進んだ現在、もっと早い方法があるような気もするが、だいたいどこの出版社、印刷所でもこの方法が受け継がれていると思う。

3月刊担当書籍「ダイレクト向かい飛車こそが合理的な戦法である」の編集情報確定作業をする。
要するに本のスペック(ISBN、ページ数、カバーデータ、商品紹介文、キャッチコピー、目次、サンプルページ、検索キーワード、本のタテヨコサイズ、束幅、重さ、特典データ、その他一切の周辺情報)をここで確定させる。そういうのは、企画段階からけっこう変わっていったりするものなので、どこかで「もう変えませんよ」とはっきりさせなくてはいけない。地味ながら、間違いが許されないのでけっこう気をつかう作業だ。

3月11日(月)

順位戦B級1組、B級2組、詰将棋サロン、昇級者喜びの声(會場担当5人ぶん)の原稿届く。
無事に届いてうれしいし、そもそもこちらで指定した締め切りではあるのだが、とはいえこれだけ同時に届くとテンパる。さらに先週入れた原稿の出校もあってパニック。とにかく粛々と入稿作業。
昇級者喜びの声、どなたも心がこもっていてうれしくなる。こういうのを最初に読めるのは編集者の特権だ。

3月12日(火)

詰将棋サロンの入稿を済ませる。
サロンはどんなに早く原稿をもらっていても入稿が遅くなる。それは解答者の短評を掲載しているからで、評まで寄せてくれる解答者が大多数ではない中、解答期間1ヶ月中のわずか冒頭3分の1でいただいた短評で誌面を埋めなければならない。もちろん、作家と解答者のコミニュケーションは極めて重要なのでなくすことはできない。
ちなみに学生時代に詰将棋パラダイス誌でも1コーナーを担当していたことがあるのだが、そこでは全解答者の短評を待って掲載するものを選ぶ方式で、そのため解答発表は出題の3ヶ月後になる。将棋世界は翌月発表で、このあたりのよしあしは難しい。

なお、今月の入選者には、直近の入選履歴が1977年という作家が2人いた。1977年より前の入選回数は記録が残っていないので、念のためさかのぼって調べないといけない。幸い、書籍時代に「詰将棋サロン名作選」という本を作ったことがあり、たまたま過去作の整理が済んでいたのでそこまで大変な作業ではなかった。

夕方、会議があり、5月発売のムックを作るとのこと。私は西山先生のインタビューを受け持つことに。ただ入稿日を聞くと本誌6月号の入稿時期とほぼ重なっている。大丈夫か?

この日、編集後記の催促がくる。雑誌に来てわかったことのひとつは、編集後記を書くタイミングは、だいたい編集後記を書いている場合ではないということだ。実際には編集中記であって、なんなら「今月号、本当に出るのか?」とすら思っているときに、「はい、今月もひと仕事終わりました!」みたいなテンションの文を書くのはけっこうきつい。
「會場さんが将棋世界に来てくれてよかったですよ」と同僚が言う。編集部員がひとり増えたことで、ひとりあたりの編集後記が1行減ったのだという。會場が将棋世界に異動した最大の功績はいまのところこれです。

3月13日(水)

横山友紀先生が来社して、「ダイレクト向かい飛車こそが合理的な戦法である」サイン入れ。こちらの仕事はサインをする先生のまわりのあれこれ(カバーを外したり、本を手元に送ったり、数を管理したり、乾かしたり)なのだけれど、編集部の若手に横山先生と会いたいという人間が多く、かなり手伝ってもらえた。
横山先生の文体はけっこう独特なものだけれど、洋書の「Logical Chess」とその翻訳に影響を受けているらしい。道理で無生物主語とかが多いと思った。本文中にもいくつかオマージュがあるらしいので、チェスもたしなまれているという方は探してみてください。

そのあと、ホンマにやさしい3手5手詰、ステップアップ7手9手詰をネーム責了。
教えられたままの名前で呼んでいるのだけれど、ネーム責了って何だろう。ググっても出てこない。書籍にいたときはこういう概念はなかった。ネームってマンガ描くときにつくるあのネームと同じものだろうか。
編集長に聞くと、「うちの独自の概念かもしれない」という。「昔からずっとそう呼んでるんだけど、意味はわからないから」
「でも印刷所もスケジュール表に〇日ネーム責了って書いて送ってくるじゃないですか」
「それも内心『なんだろうこれ』って思いながらうちの用語に合わせてくれてるふしがある」
「そうなんですか」
もはや誰も意味がわからないまま受け継がれていく言葉。どなたか、なにかご存じだったら教えてください。
とにかく、ネーム責了をすると数日後に印刷所から通称「白焼き」というのが出てくる。(※これはどこでもそう呼ぶ名前。昔の印刷技術では青かったので、もとは青焼きと呼ばれていた。事前の計画を意味する言葉として今も残る『青写真』と同じようなもの。いまでは技術の進歩で青くなくなり、白焼きと呼ばれるようになった)
白焼きは「印刷するとこうなりますよ」というもので、それがOKなら晴れて校了となる。

3月14日(木)

ネーム責了が済んだので、この日は肉体労働の一日。
まず出社してすぐ、前日の横山先生のサイン本を箱詰めして倉庫に送る。将棋のサイン本は筆で揮毫しているので、乾かすのに一晩は置いておくことが多い。
次に、3月刊の「里見香奈 vs 西山朋佳 実戦集」と「ダイレクト向かい飛車こそが合理的な戦法である」を関係者に献本する作業。
関係者が10人以上いらっしゃるので、それぞれ宛名と住所を書いて、送り状を作って、お支払いがある方には押印するだけの状態にした請求書を作って、返送用封筒に切手と住所ラベルを貼ってクリアファイルに入れて……ということをしていると案外時間がすぐに過ぎる。
また、3月24日に予定されていた経堂名人戦の景品となる本も併せて送付作業。こちらとさらにクニタチ名人戦をマイナビ出版として後援させていただいているので、よろしくお願いします。

午後からは将棋年鑑の会議。棋士名鑑のアンケート項目を決めた。ちなみに3年ほど前の年鑑から体重の質問が消えたが、自分だったら体重を聞かれたくはないなと思ってなくしてもらった。

3月15日(金)

昇級者喜びの声、順位戦B級1組、順位戦B級2組が出校されていたので校正作業。
将棋世界の校正は、担当の校正は当然として、著者校正、編集部内の相互チェック、外部校正(複数)に出している。

校正にも、文章のチェックに強い人(用字用語など)、校閲に強い人(「将棋の町」と書かれていますが、市の公式ホームページをみると「将棋のまち」が正しいようです、とか)、将棋の事実確認に強い人(攻防の一着と書いてありますが、この手を指さなくてもこの詰み筋はもともとこの受けがあって受かっています、とか)、など個性があり、できるだけ多くの人に頼むことで信頼性が高まっていく。

特に直すことが多いのは用字用語のところだ。書籍では「著者の個性」としてある程度くせのある用字用語も生かすことがあるが、雑誌ではコーナーごとに表記が揺れているとよろしくない。

基本的には内閣告示の常用漢字表に準じて直していく。もっとも、実務的には、常用漢字表をベースに作られた新聞社の便覧を見ることが多い。共同通信さんの記者ハンドブックが特に有名で、弊社でも編集部への新入社員に配られる。

たとえば、「飛車を捌く」と漢字で書いてくる著者は多いが、この字は常用外なので「さばく」と開く、という感じ。
(「開く」というのは漢字をひらがなに直すことで、出版や新聞業界の独特の用語かもしれない)

同じ漢字でも、読み方によっては判断が分かれたりする。例を挙げると、「その後、10年を経て」はいいが、「その後、10年が経ち」はダメ。漢字表の「経」のところに「へ」の読みはあっても「た」の読みはない。別に誤用というほどでもないと思うけれど、雑誌のコードではNGだ。

少しでも気になったらとにかく調べる

読みまで同じでも、だからこそ区別するということもある。
これは将棋世界ルールだが、対局を表す名詞の「一番」なら漢字にして、「いちばん大事」など副詞の「いちばん」は開く。こういう、将棋用語と日常語を区別するための独自ルールもいくつかある。
などなど、その都度調べながら覚えるしかない決まりがいっぱいある。
もちろん原稿整理のところでもすでにやっているつもりなのだが、ゲラになってもボロボロ直しもれが出てくる。

午後、翌日の「でる順詰め手筋」イベント物販に備えて、お釣りの小銭を大量に用意しておく。制度上、本は定価で販売するのが原則なので、端数を厳密に処理することになる。本書の場合1,848円なので、152円のお釣りを何回も返せるように準備をする。

3月16日(土)

横浜市の宇宙棋院にて上野裕和先生の「でる順詰め手筋」出版記念イベント。大盛況のうちに終了。本も見込み以上によく売れた。会社のTeamsにイベントの開催報告を上げる。
しかし釣り銭は用意しすぎた。ありがたいことにぴったりで払ってくださる方も多く、売り上げを除いた後も財布には小銭が80枚ほどうなりを上げている。使いきるのに3月いっぱいを要した。

3月18日(月)

この日は印刷所の手番で、少し時間があった。
22日に豊島先生の「私の戦い方」インタビューを控えていたので、先生の過去のインタビューや記事を集め、メモを取りながら読む。
A級順位戦や藤井竜王・名人との過去の棋譜も一通り収集して並べる。
それらをもとにいろいろと考えて、少しずつ質問項目を書き出していく。
豊島先生は名人戦挑戦者なので、当然主催紙さんのほうが早くインタビューして公開することになる。どう将棋世界のカラーを出していくかが難しい。

詰将棋サロン、昇級者喜びの声、順位戦B級1組、B級2組、カラーページ2点(マイナビ女子オープン、NHK杯)の出校があり、校了。

3月19日(火)

この日は校了日だ。

その前に、豊島先生への質問項目をだいたい固める。編集部内でひともみしてもらい、先生にメールで送る。

そうしている間に、マイナビ女子オープン挑戦者決定戦、ホンマにやさしい3手5手詰、ステップアップ7手9手詰、プロ棋界の最新定跡、の白焼きが出たので確認して校了。

それにしてもマイナビ挑決、自分で撮った写真が下手すぎて途方に暮れる。トビラの写真は両対局者を写そうとしているのだが、大島先生の顔がぜんぜん見えない。デザイナーさんにも確認してもらい、せめてもの抵抗で「顔明るく」と赤字を入れる。

これで5月号、會場の担当ページについてはすべて校了となった。スケジュール通りといえばスケジュール通りなのだけれど、いつもは校了後の確認、通称「念校」もあったりすることを考えれば、順調ともいえる。25日には印刷開始だ。

3月21日(木)

6月号「それも一局」撮影のロケハン。企画時は桜が咲くかもと期待していたのだが、今年はどうみてもダメそう。昨年の桜の開花は14日だったのだが、今年はここ10年でいちばん遅いらしい。撮影本番は25日の予定だが、それにも間に合わないだろう。こればかりはしょうがない。
私がロケハンの場にいる必要があるか、というとないのだけれど、カメラマンの矢口さんだけに任せきりにするのは申し訳ないというのもあるし、何より現場で出てくるアイディアを聞いていると、すごく勉強になる。
この日も、駅のホームで矢口さんが「これいい!」と写真を撮り始めたときにはびっくりした。見せてもらうとたしかにすごくいい。そのロケーションは今回の撮影では使わなかったので、いつかほかの機会で矢口さんの作品になるかも。

午後は書籍編集部のみんなと将棋年鑑のアンケート送付作業。このアンケート、メールで送る方と封書で送る方が大ざっぱに半々くらい。けっこう大変。

3月22日(金)

連盟で豊島先生取材。お会いするのは初めて。こんなに目を見て話してくださるんだ、と感銘を受ける。1メートルほどの距離で正面からまっすぐに見つめられ、こちらも緊張しながらがんばって目を合わせるのだが、黒目が大きくて吸い込まれそうな気になる。そこに宇宙が広がっているんじゃないかと思った。
ただ、移動時間が昼休みの時間だったので、お昼を食べ損ねた。そのせいで、インタビュー中ずっとおなかが鳴っている事態となった。終了後、動画スタッフに「俺には聞こえてたけどマイクは拾ってないと思う」とフォローかわからないフォローをしてもらう。こんなに人間離れしたオーラがある方を前にして、自分があまりにも生身の人間すぎて恥ずかしかった。

3月25日(月)

それも一局の撮影。桜どころか当日は本降りの雨。撮影プランは軒並み白紙に。
今回の被写体は本田奎六段と山根ことみ女流三段のご夫婦だった。
「本田先生はよく笑うそうですが、どういうときに笑うことが多いですか?」という質問に、山根先生が「サプライズに弱いです」と答える。そのため、笑顔がほしい瞬間になると矢口さんから「會場さん、サプライズ!」と注文が飛ぶように。急に反応できず、とりあえず突然詰将棋を出題するというサプライズ?に逃げたのだけれど、すると真剣な顔になってしまうのでよくなかった。これからもそういうことがありそうなので、何かネタを仕込んでおかないといけないなと考えている。詰将棋のネタではなく。

3月26日(火)

午後は将棋世界の編集会議。来月の企画内容とだいたいのページ数、担当者がここで決まる。
6月号、めちゃくちゃ担当ページが多いことに気づく。加えて将棋年鑑も本格化するし、がんばるしかない。
ちなみに将棋年鑑は基本的に書籍の仕事なのだけれど、私はこの期間、助っ人として年鑑もやることになった。

編集会議後は営業会議。
雑誌という媒体は、読者の皆さまに買っていただくほかに、広告売り上げも大事だ。この会議では進捗の報告もするが、それ以上に営業部と互いに最近の将棋界のトピックを共有していく時間が長い。それがいい広告提案につながることもある。

会議後、29日に控えた西山先生のインタビューの質問項目を作って先生に送る。

3月27日(水)

編集会議を受けて、各先生方に次号締め切りについての連絡などを入れる。
その間に25日の撮影の写真が届いていたので、さっそく構成を考える。
いつもはすぐラフを切るが、今回は時間に余裕があるので矢口さんともイメージのすり合わせをしつつ進めることに。

少し遅くなったが、豊島先生のインタビューのテープ起こしを始める。テープ起こしはAIの進歩などで昔よりだいぶ楽にはなったものの、まだ全面的に信用はできない。とりわけ、将棋用語はまったくダメ。たとえば「イビサ島」みたいな文字列を見て、すべてを放り出してバカンスに行きたい気持ちにさせられつつ「居飛車党」と直していくような作業になる。場合によってはいちから人間の耳で起こしたほうがよっぽど早いということもままある。

3月28日(木)

将棋年鑑の一大プロジェクトといえば棋譜解説。去年は568局の棋譜を掲載した。この棋譜解説ページの作業分担について打ち合わせ。そのあとすぐ解説原稿の執筆依頼を先生方に送る。
それから、月末の経理作業を進める。
合間に豊島先生インタビューの文字起こし続き。

3月29日(金)

午前中はマイナビ女子オープン一斉予選についての会議。
例年、一般のお客様にもお越しいただいてイベントをやっている。昨年はゲストの先生方が継ぎ盤で検討している様子を間近で見られるという企画を軸に、トークショーなどもご好評をいただいた。今年のことはこれから決まりますが、よろしくお願いいたします。

午後は西山先生のインタビュー。5月発売のムックは将棋界の記録についてのムックになる予定で、西山先生には女流棋界の記録を踏まえていろいろと語っていただいた。
インタビュー自体は本当に楽しいのだけれど、まだ豊島先生インタビューの文字起こしが終わっていないのに、また起こすべきテープが増えてしまった。

3月31日(日)

詰将棋解答選手権の取材。
取材というか、もともとプライベートとして出場エントリーしていたのだが、そのあと誌面にレポートを載せることになったので、出勤扱いにしてくれた。
詰将棋を解いて給料をもらえるなんて、こんな幸せなことはない。

……と思ったのもつかの間、極端に難しい問題セットに打ちのめされる。
最終的な点数は3点。実は編集部内で後輩の工藤と勝負をしていたのだが、朝日アマ名人戦で関東代表にまでなった工藤でも2点という結果だった。辛くも勝利となった(?)ものの、結果を編集部のSlackで報告すると、「あれ、何点満点なんでしたっけ?」
100点満点です。

ラスト第10問の作者、若島正さんは将棋世界の巻頭詰将棋の作者でもある。コメントを求めると「30分で八冠かな、と思って作りました」とのこと。5分で初段みたいに言わないでください。
もっとも、10番以外も軒並み難しく、若島作までそもそもたどり着けなかった人が多かったので、残念そうでもあった。

終わりに

実際のことをそのまま書いているのでちょっとまとまりがないが、1ヶ月の業務日誌を振り返ってみた(前月の編集会議から校了までで区切ればよかった)。

うまく伝えられたかどうかわからないけれど、将棋世界の仕事は楽しい。いろんな人と出会えるし、日々勉強させてもらえる。自分が楽しいというだけのことをこうしてダラダラ書いたことにちょっと反省し始めてもいるが、読んだ方にとって少しでも新しい情報があれば幸いです。

個人的には、編集後記を初めて編集後に書いたなという気持ちだ。
ただ、「終わった~」というような気持ちになったかといえばそんなことはなく、いまは6月号が無事に出るのだろうか、ということを心配している。

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