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魂の記憶

   仰々しいタイトルにしてしまったが、生まれ変わりを信じている人、前世や来世があると思っている人はどれくらいいるんだろう。死んだらどうなるってのは多くの人が想像することだと思うけど、私の周りの友人は死んだら無って考える子が数人いた気がする。

私はなんでか、幼い時から生まれ変わりってものはあると信じていた。あと中学生くらいで木村秋則さんの『奇跡のリンゴ』という本を読んでそれを丸ごと信じていたりもした。ただ一番大きいこととして、死んだ後は無で何もないという仮定が私にはあまりにも恐ろしすぎて、想像すらしたくなかったんだと思う。死んだら無説を信じている人は決まってだってもう無なんだから何も感じないやん、と言うのだけれどそことは全く関係のない部分での恐怖なので、話は一方通行になってしまう。

少し逸れてしまった。今の私は、信じる信じない以前にもうそういうものだと認識している。だって、こんなにも複雑でわけわかんなくて長い長い歴史の中で人が一人で生まれてほんの80年や或いはもっと短い時間で死んで、それではいおしまい、なんてことがあるわけないと思うのです。ナポレオンとかダ・ヴィンチとかだって偉人感がもの凄いけど、結局今現代を生きる私達と同じ一人の人間だったわけで、生きている軸は変わらず、私達も同じ世界の中にいて。ちょっとまじで何を言いたいのか分からなくなってきたけど、人一人の人生はゼロから始まって数十年そこらで完結までするものではないんじゃないかって事です。そんな事を考えていると、魂が巡り巡って今この瞬間があるというのがなんら不思議ではないように思えてくる。そしてじゃあどうやってこの魂を引き継いで(私にとっては)一度きりのこの人生を生きるのかって、やっとそこに思考を向けられる。同じことを繰り返したくはないし、想像力を枯らしたくもないしね。

   ところで私はほんの数日前、今回はこの事について書こうと思ったきっかけに出会った。仕事で外回りをしていたその帰り道、どこかの誰かの敷地に立派な栗の木が風で揺れているのが車の中から見え、私はそれを見た瞬間、淋しい懐かしい切ないの感情がどわっと洪水のように溢れ出てきてしばらくその景色から目が離せなくなった。同時に、私は前にこれをもっと広大な土地で一人で見たと思った。前世私はここにいた、とも。

こういうことが突然起こったりする。これを私は魂の記憶だと思っている。なんか分かんないけど泣きたくなる、とかなんか分かんないけどこの人めちゃくちゃ好きだ、とか、誰しも感じたことがあるんじゃないかな。この"なんか分かんないけど"は、どうしたって理屈で説明は出来ないしはっきりとした根拠を示すことも難しい。でもこれこそ色んな括りを越える絶対に蔑ろには出来ない感覚で、人知を超えた、という言葉はこういうことを指すんじゃないかと、そう思いたい。

炭素原子が何%で水素原子が何%で~みたいな人間の成分がきちんと今は分かっているんだろうけど、そうした物質的な仕組みの他に、私は自分の身体の中に潜む強い意志のような塊があるのを感じる。それも丸ごと含めて今の自分が自分として機能していて、もし一人ひとりの中にその意志のようなものがなかったら、この摩訶不思議な生物の魅力ってのは出てこないんじゃないかとも思う。生物学の人とかに怒られそうだけど、これは肉体の魅力とは別の話なのでね。

   脳死で書いていたらかなりとっちらかった雑記になってしまったので宣伝めいたことを伝えておくと、このnoteで紹介している木下さんには、この人がなんでか気になるその理由、だとか、私とこの人或いはこの物事との相性、だとかが、見えるし分かる。もっと深く難しいことも。楽しんでいることも悩みになっていることも全部が、そういう事だったのかになると思います。人知を超えてますなあ。


↑紹介


   私は人間が好きなんだなあと改めて自覚した。その人にしか分からない奥に潜む何かがもし誰かと共有されることがあったならば、それはとても素敵なことだと思う。


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