2023年総括

いつもより年末感がない。
年々、1年が早く感じる
ジャネーの法則なのか。
紅白を見ないことにしたからなのか。

今年は色々あった。
21歳の総括から2か月しか経ってないけど今年の総括。

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今年はとにかく「就活」中心となっていた。
準備は念入りにしたつもりだった。
「つもり」だった。

いざ本番を迎えると「ああでもない、こうでもない」と何度も何度も人生の急カーブを切っていた。

準備の段階では「安定」と「親の安心」ばかりに目を向けて、「やりたいこと」「楽しいと思うこと」なんか二の次だった。

そんな中、3月に紹介状をもらい、継続的に総合病院に通うこととなった。

5月に手術を受けた。
「放っておいたら癌だった」という疾患。
お世話になっているドクターからも「レアな症例で調べてみたんだけど、日本語の論文がなかったのよ・・・」と言われた。

別に長期的に入院したワケではないし大きな手術でもない。
半永久的に、毎日薬を飲むことになっただけだ。

身体に大きなダメージは受けていない。
でも、心の奥底にこの「事実」があるからこそ、自分自身の心が段々とやつれていた。

一時期は週1回総合病院に通っていた。これもかなり私を疲れさせる要素となっていた。
「総合病院」なんて、言ってしまえば負の塊だから。
私みたいな若者なんて全然いないし。

元来心が疲れやすい私はもう就活なんてしたくなくなっていた。

市役所の就職試験の勉強もしていたが、一切身に入らなかったし何も興味が湧かなくなっていた。
「市役所はね、大体は好きな部署に入れないのよ、、笑」「私も私も」とインターンシップで出会った職員さんの残念そうに話していた顔を思い出した。
お話しした職員さん、皆が希望の部署に入れていないそうだった。

その言葉を何度も何度も反芻していくうちに「そんな人生で良いのだろうか」と思う自分が少しずつ芽生えていた気がした。

勝手に涙が出ていた。
やりたくないかも。と。
私はこの仕事を好きになれないかも。と。

周囲を安心させたいがために選んでいたとやっっっと気が付いた。

こんなに気がつくのが遅いということは、私の就活が「つもり」になっていた何よりの根拠だ。

(そういえば高校生当時の私は「公務員なんて絶対嫌!」と思っていたことも思い出した。)

結局筆記試験を合格した後、頭がぐわんぐわんした中
一次面接を辞退していた。

もうこうなると自分自身も訳が分からなくなっていた。
だってこれまでは一応市役所職員を目指していたから。一応。


はちゃめちゃな気分になりながらも応募した、幼い頃からお世話になっていた音楽関係の会社はしっかりブラック企業だった。

ブラックだと知り、「嫌だな」という面持ちでいたら気持ちがバレてしっかり落とされた。
心も身体も強くない自分がブラック企業なんて入ってはいけない。
落ちて正解だったと思う。




季節は段々と夏になっていた。
まだ内定はなかった。
偶に自宅を訪れる祖父母から進路先を聞かれることに怯えていた。

焦ると同時に私はこれまでの保育のアルバイト(4年間)と日本語教育のボランティア、大学での日本語教育の勉強が楽しくて仕方ないことを実感していた。

改めて自分自身を振り返ると
教え、育て、支えるようなことが好きなんだと。
人の成長が好きなんだと。

(ここは省略したいので端折りますが)偶然出会った保育関係の会社に内定をいただいた。
決して大きな場所ではない。
でも、自分の心と身体に負担が掛からない就職先は今まで4年間続けたアルバイトに限りなく近いものだと思ったのだ。

ある日祖父と私で回転寿司に行った。
祖父に就職についてほんのり伝えてみたら「人生はやりたいことをやるべきだ。僕も君の父さんもそうだよ。」と

これまで祖父がどんな風に仕事をしてきたか
どんな人が職場で愛されるのかetc

を話し、私の背中を温めて・押してくれた。
私は涙を堪えっぱなしにしていた。

30代のうちには日本語教師になりたいと思っている。
(新卒で日本語教師になることも考えましたが、そもそも私が住み続ける予定のこの田舎には新卒枠がほぼない・あっても就職試験が卒業ギリギリ。かなりハイリスクでした)

選んだ道が「正解だった」「不正解だった」の運ではなく
選んだ道を正解にさせるのが人生だと、
少し怖い教授が授業中に話していた。

そうさせたい、来年は。
辛かったら辞めればいい。
楽しむ方法はもちろん、逃げ方を知っておかなければ。と思っている。

あとは健康。
今年は不健康が原因で心がだいぶ疲れていたから。

無理しない。
これが一番。

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