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シタンダリンタが作家性とエゴに対して敏感な理由「僕にとって作品を残すことは感情の記憶、思考の記録」

『或いは。(2019)』で門真国際映画祭にて優秀作品賞と最優秀編集賞を受賞、そして5時間で書き上げたという『東京まではあと何歩(2019)』でフジテレビヤングシナリオ大賞佳作を受賞、さらに『散ルカモネ(2019)』や『ヒーローなんだって(2019)』で独自の世界観を追求しながら自らの主張を遠慮なくぶち込んでいく作風を貫き、17歳にして見るものを魅了し続ける映画監督・脚本家のシタンダリンタ。独特の編集リズムや選曲センスで印象的な作品を作り上げる一方で、緻密に練られたストーリー展開や癖のあるセリフを追求している彼に、現時点の研究発表とも称してる連続ドラマ『どこからともなく』について、そして他作品のことも含めてインタビューを敢行した。そこで浮き彫りになったのは作品を残す上で彼が特に意識している作家性というもの、そして一見ノホホンとしているように見えて極めて冷静に現代を分析している彼なりの「エゴ」についての考えだった。(編集部)


企画のスタートはだいたい僕の喜怒哀楽から毎回始まってる気がします。

ーーシタンダリンタさんは今年の5月22日に新作ドラマ『どこからともなく』がリリースされました。新型コロナウイルス感染拡大の影響から全くの一人で最終回まで手掛けられたとのことですが、どうしてそういう流れになったのですか?

シタンダリンタ(以下、シタンダ):もちろん動き出したのは感染拡大の影響で新作の撮影も公開も何もかもがストップしたためであるのは間違いないのですが、企画として今回の騒動関係なくずっと前からありました。というのも一人で撮影までするとは考えてなかったですけど、自分しか出てこなくて、それ以外のキャストは画面の中には一切登場しない。そんな企画はどうだろう、とずっと頭の片隅に置かれていました。なんて気持ちの悪い企画だろうか、とワクワクしていたのですが、いざ制作にまでは話は進まず、なんとなくずっと漂ってる感じで。それが今回のことがあって、何かしましょうってなった時に立ち上がってきた感じですね。 

 ここで何もせず、というとちょっと語弊が生まれそうですが、何も発表せずに、ただ世界が元に戻るのを待つことは僕には出来ませんでした。常に何か自分の作品を見ていてほしい人間だし、それに今だからこそ出来ること、見てもらえるものっていうのはどの時代にもあると思っていて。特に今のこの時期は、芸術とかエンタメがどうしても後回しにされがちですが、意外とかなり大事な立ち位置にあるものだと思っていて、ならこんな端くれものでも何かするべきかな、とかなりイキったことを考えました。

ーーあらすじとしてもかなり前からあった案なのでしょうか?

シタンダ:そうですね数年前にはありました。でもその時にあったのは、"自殺志願者のところにやってくる全く同じ姿をしたあの世の役員さん"という設定だけです。細かいエピソードとかは割りかし企画が動き出してから作っていった感じですかね。生と死の物語にしたい、というのは作る上でずっとあって、まぁこの世とあの世の中間地点みたいな物語だし、最終的にはきっとそうなるんだけど、すごく遠回りをして終わるギリギリになってそこに持っていく、みたいなことを考えていました。なので台本を書く時に意識したのは、前半戦(1話~5話)ではあまりその部分を強く描かずに、どちらかというとラブストーリーというか、人を好きになること、それも愛するだとか、そういった大それたことじゃなくて、純粋に好きになること、それを丹念に描こうと思っていました。

ーー主人公の牛田が失恋したように見えて、はっきり断られたり嫌われたりしているわけではないところが極めて現代らしいなと思いました。

シタンダ:実際僕の周りにも、告白してもないし、嫌われてもないのに勝手に諦めてる人っていうのは沢山いて。でもそれって多分すごく懸命な判断だと思うんですよね。人間は意外と鋭いものだし、勘っていうのはだいたいが当たってる。だから、これは無理かもしれないな、と思った段階でもうそれ以上頑張らない。それはそれ以上傷つきたくない、ということなんですよね。そういう部分をはっきりさせておきたくない、曖昧にしていたい、っていう人は本当に沢山いて。当たって砕けろ、っていう時代はもう終わったと思います。砕けることへの恐怖は、砕けたことがない人でも、もうみんなが分かってしまってる時だと思います。牛田の、あの勝手に落ち込んでる感じ、勝手に病んでる感じとかは、描写としてはやり過ぎかなとも思ったりしましたけど、かなりリアルに沿ったと思っています。

 それとドラマ内でもはっきり描いてましたが、それが叶わない願いだと分かった途端に、それに拒否反応を起こす人っていうのも少なからず存在してまして。言わば、味方じゃないと分かった途端に敵に回しちゃうみたいな。昨日まで「大好き〜」とか「マジで可愛いわ〜」とか言ってたくせに、別れた瞬間に、友達にその彼女の悪口を言いまくるみたいな。お前昨日までの感じはなんだったんだよって思っちゃうんですよね。僕的な意見としては、例え相手が100%悪かったとしても好きだった事実をなかったことにしたり、否定したりすることは、ダサいことだと思っていて。そんなの綺麗事だとか強がってるだけだとか言われたらもうそこまでなんですけど、なんというか、心を踏みにじられて別れを告げられたり、好きな気持ちを気づいてるくせにそれをバカにされたり、そんなことされても、俺好きなんだよなぁ好きだったんだよなぁ、って言ってる方がカッコ良いと思います。正直な感情だと思うし。そりゃ一生そう思ってるのはどうかと思いますけど、少なくともその人のことを完全に吹っ切れたり新しい恋が始まるまでは、嘘でもその気持ちを自分で疑っちゃダメだと思っています。こういうとてつもなく個人的な思想、というか誰かを敵に回してしまうような僕の主張を、このドラマでは躊躇なく盛り込んで行こうと思っていました。

ーー企画のスタートはそういう言わば苦し紛れの始まりだったのに、結果的に近作で最もシタンダさんらしいというか、シタンダさんの主張や空気感が爆発してた作品だったと思っています。

シタンダ:今の時代性とかをこれまで以上に意識したのはかなり大きかったかもしれないですね。例えば現代といえばSNSがどうとかそういうことが描かれるのがかなり多いじゃないですか。別に間違ってないし、なんだったらそれはかなり描くべきテーマだと思っています。でも残念ながら僕はSNSに超近いタイプでもないので。もちろんツイッターもインスタグラムもしまくってるし、投稿もほぼ毎日のようにやってるのですごく使いこなしてるタイプだと思われがちですが、意外と自分としては、ただ投稿するだけで、SNSを頻繁に活用してるかと言われるとそうでもなくて、人のツイートとかも基本的にあまり見ないし。だから僕がSNSのことを描くのは野暮だと思って自信がありませんでした。特に今回は僕しか出てこないドラマだし、マンションの一室だし、すごく小さい世界の話だから、そういう社会的なことはあまり描かずに、もっと個人的なことを中心とした作品にしたいな、と思っていました。となるとじゃあ僕が描けるのはと考えるとそういう身の回りの空気感と言いますか。実際完璧に出来てるかは分からないですが、なるべく普段生活する中でも、そういう生きていく上での、暮らしの、生活の空気感みたいなものには目を向けていこうと思っていて。そういうところで手に入れた空気感、それでだいたい僕の作品は作られていますね。今作は特にそれが強かった。その僕の普段の生活の空気感と、ありとあらゆるちょっとネガティブな感情、それを一つにまとめるというのが今回のコンセプトでした。企画のスタートはだいたい僕の喜怒哀楽から毎回始まってる気がします。

ーー第7話で2001年のアメリカ同時多発テロを彷彿とさせるシーンがありましたがあれは最初から決めていたのですか。

シタンダ:僕まだあの時生まれてないんですけど、多分あの時のこの先世界はどうなるんだろう、という感じは今のこのコロナの騒動と似てるんじゃないかなと思っていて。あそこで、ずっと牛田が気持ちの裏返しとして「死にたい」とか言ってたのを、一旦自責するという流れに持って行きたくて。企画が動き出した時には、後半でどこか現実にあった事件を彷彿とさせるエピソードを盛り込みたいなとは思っていました。入り込みすぎてもあれだけど、なんせ回を増すごとにどんどん現実味がなくなっていくので、ちゃんと現実世界となんらかの形で繋げていないと空虚なものになってしまうと分かってました。乱暴な言い方をしてしまいますが、死ぬはずじゃなかった人が死んじゃう、その時に、別に死にたくないけど死にたいって言って、自分を落ち着かせていた牛田が、どういう反応をするかが気になりました。7話は特に最終回前だし、いろんな感情を詰め込みましたね。ドラマ全話を通して、最も好き放題やった回じゃないかな。

ーー今作は特にシタンダさんのアート性とポップ性がうまく相まっていた印象でした。

シタンダ:この期間に発表するものだけど、この時だけのものにはしたくないなと思いながら作っていました。要するに、数年後に見た時に、これはコロナのあの期間に作られたリモートドラマなんだよな、っていうのが先行しちゃわないように、っていう。普通に一つの作品として純粋に残るものにしたいと思っていました。なんかこういう言い方をすると語弊が生まれそうですが、パッと見た時に瞬時に今のこの時勢のことを思い出さないように作りたかったですね。だからこそ内容にステイホームや外出自粛などの要素を盛り込みませんでした。

ーー情報解禁された段階では、シタンダさんの一人二役で制作もスタッフを現場に入れないとのことだったので、比較的ミニマムな作品になると思っていましたが、後半にかけてどんどんとある程度の賑やかさがある作品になって行きました。

シタンダ:そもそもが会話劇なのでじゃあそこからどれだけ派手なものに出来るかなという画策はずっとしてましたね。特に部屋の中で一人芝居、となると普通にやれば普段僕が多用しているスローモーションやバチバチ切り替わるカットなんかを挿入するスペースがなかなかないと思ったので、敢えてそれを強引に入れてみたり、という感じで対抗して行きました。特に7話のラストのヌシが殴られて飛んでいく下りとか、5話の牛田が自室から出てくるカットとか、普通に撮れば良いところを無駄にドラマティックに仕立てて、ミニマムな感情とか描写を増幅してなるべくポップなものにしようとしていました。特にその飛んでいくところとか出てくるところとかは照明もそのカットだけバチバチにステージ照明みたいな当て方をしました。照らすのも、その対象のものにだけ照明を当てたくて、照らす領域をなるべく狭くしました。そうすることである種の作り物感というか、このドラマはのめり込みすぎても面白くないと思うので。どこか見ている人が少し離れた位置から客観的な視点を失わずに見ているくらいが一番面白いと思っていて、そういう風に感じていただけるように作り込んでいました。出ているのは僕だけだし、4人の僕がひたすら話している、ってどう考えても気持ち悪いじゃないですか。それをなんじゃこりゃ、と思いながら見てくださったらちょうど良いかな。

ーー初回配信後は、SNSにて「『或いは。』や『散ルカモネ』の時よりも大人になった」というツイートが多く見受けられました。

シタンダ:そりゃ『或いは。』の頃からはもう1年近く経ちますからね。成長期なめんな、っていう感じです(笑)。純粋にすごく嬉しかったです。うわぁいろんな人に成長見守られてるぅって(笑)。ただそれってずっと見た目の話かと思ってたんですけど、中にはドラマの内容的な意味で、大人になったって言ってくださってる方もいて。僕としても、このドラマは『或いは。』の時には書けなかったものだと思っているので。

ーーそれはどういった意味でしょうか?

シタンダ:『或いは。』の時は、受け身だったというか。来たものに対して、それを自分の中で処理して、作品に落とし込むということを基準にしてたんですが、今は全然違って。あの頃よりもキャパシティを広く持とうというのを意識してるし。世の中のことにもなるべく目を向けるようにもなりましたし、もっと言うと、あの頃よりもいろんなことに怒ってる感じですね(笑)。それは世の中のことだけに限らず、もっと近場の、身の回りで起こることですね。多分ですけどそんな受け身だった時にはこんなものは書けなかったんじゃないかなと思っています。受け身だと絶対に自分にはたどり着かないような感情とか思考が世の中には溢れかえってると思っていて。このドラマは特にそういう受け身じゃなく、自分から拾いに行ったものを色々と書き込んでいるので。別に僕がこのドラマを、すごいものを書けた!と思ってるわけではなくて。単純に、あの頃だと胆力がなかっただろうなって思いました。今もそんなあるか分からないけど(笑)。

ーー『或いは。』のことについてもお伺いしたいのですが、あの作品は今のシタンダさんにとってどんな作品でしょうか。

シタンダ:よく周りからは初期衝動的な作品だと評されます。僕もそれは確かにそうかもしれないと思っていて。多分良くも悪くも、もうあんなものは作れないと自覚していて。あれだってクオリティが高いわけでもないし、何故たくさんの方に愛でていただいてるかもわからないんですが、それでもなんだかあれを撮ってた時の自分は好きでしたね。

ーー『或いは。』でも既に近作の片鱗は見え隠れしている気がします。

シタンダ:言っても1年ですからね(笑)。あの時は本当に自分というものを出そうと必死で。スローモーションもガンガン多用してましたが、なんか普通のスローモーションだと面白くなくて。これ映像じゃなくて写真をパラパラ漫画みたいにしてるだけじゃね?って思われるようにしたくて。敢えてフレームレートを変えずにそのまま撮って、編集で強引に速度遅くして、ちょっとガタガタしたスローモーションにしてたり。全体的にスムーズな映画にはしたくないって当時スタッフに話してたみたいです。僕は全然覚えてないんですけどね(笑)。それと主人公の坂本くんの部屋のシーンでは当初青とか白とかの色で照明をセッティングしてたんですけど、ギリギリになって、ここに清潔感あると坂本くんの生活がはっきり分かりすぎて面白くないから、ラブホ街の裏道にある家って感じに出来へん?とかワケわからない要望して、時間ないのにまた照明を赤とか黄色とかの色で組み直してもらって、さらにネオンっぽくチカチカさせてみたり。本当に必死でしたね。これが必死っていうものなのかはちょっと微妙ですけど、とにかくなんの計画性も無く、もがきまくってた気がします。ラブホの色=赤色や黄色ってなってる辺りも、僕の単細胞感がすごいですね(笑)。

こんなこと言ったらなんだけど僕は多分映画よりも音楽が好きなんですよね。

ーーシタンダ作品では映像や物語、キャラクターや台詞の他に、音楽がかなり大事な部分を占めていると思いますが?

シタンダ:『或いは。』でも劇伴を手掛けてくださったかんのとしこさんとの出会いがかなり大きかったですね。僕が純粋に映画を見ていて、いわゆるピアノとかストリングスとかで作られる綺麗な劇伴でおぉぉぉっ!ってテンションが上がったことがほとんどなくて。それこそニューシネマパラダイスで、エンニオ・モリコーネのえっともうどのシーンだったかイマイチ思い出せないんだけど『LoveTheme』っていう曲があって。あれとかはホントに素晴らしくて。でも同時に、こんな音は僕の映画では鳴らせないな、と思って。直感的に。それでじゃあ僕の作品にはどんな音が合うんだろうってずっと模索してた時期があって。なんとなく撮ってみたシーンに、いろんなタイプの楽曲をハメてみたりして。それこそピアノとストリングスのいわゆる重厚感のある従来の劇伴も。あとは純粋に普段聴いてる好きなアーティストの好きな曲。ちょうどその時期にかんのさんと出会って。かんのさんの音って、例えばどんな編成で音を作ったって、なんとなく、「かんちゃんっぽい」っていうのがあるんですよね。それってすごく重要で。映画に寄り添うだけが劇伴っていうならもう劇伴を作ってもらわなくて良いっていうか。

ーーこれまでの映画人にはなかなかなかった感覚に感じます。

シタンダ:僕めちゃくちゃ坂本慎太郎さん(ex.ゆらゆら帝国)が好きなんですけど。彼がソロになって、ファーストの『幻とのつきあい方』をリリースした時に、確かチケットぴあのインタビューで「バンドは2パターンあって…」みたいな話をしてまして。1つは"個性の強い何人かが集まってそれぞれの違う個性がぶつかり合うパターン"、もう1つは"コンセプトがはっきりしてて全員がそれぞれその部品に徹するパターンだ"、って言っていて。ゆらゆら帝国は坂本さんによると1つ目のパターンらしく、僕はもうどっちのパターンの音楽も関係なく聴いてるつもりだし、どっちも好きなんですけど、このインタビューを読んだ時に、「あ、僕は映画作る時は1つ目のパターンでやりたいな」って思ったんです。いつも僕が作詞作曲でボーカルみたいな立ち位置で動いてるから、根本の部分はどうやってもシタンダシタンダしたものになるんですよね。それはもうどうしようもなくて。てかそれが僕的には良いし。ただじゃあ僕じゃない他の個性が入る隙を与えないのかってなるとまた話は変わってきて。いわゆる僕が細かいドラムのビートとかベースラインまで決めちゃったら、じゃあもうそれソロプロジェクトで良いじゃんってなっちゃうんですよね。もちろんそれでも良いっちゃ良いんですけど、どうせ1人で作れないなら、いろんな個性がごちゃ混ぜになっていてほしくて。でも任せっきりってわけでもなくて、割と細かく指示はするんですけど、なんていうか、操り人形と作業はしたくなくて。"僕がこれを求めてる"っていうものに対して、それを含んだまたさらに大きな、また別のもので跳ね返してほしいというか。かんのさんも純粋にミュージシャンとして僕が好きな人だから、僕が求めてるものに対して、かんのさんのフィルターを通して持ってきてほしくて。割と普段の音楽性とは違ったものをお願いするときもあるんですけど、それでもやっぱりね、どこかにちゃんと見え隠れしていて。すごい偉そうな言い方していて申し訳ないんですけど。その微妙なせめぎ合いがなんのストレスもなく淡々とディスカッション出来るアーティストさんとご一緒してるからこそ、あの音運びが出来てるんだと思います。そこをよく評していただくのは本当にただただ嬉しいですね。間違ってなかった!って救われた気になります。

ーー映画監督さんですが、音楽にすごく詳しい方という印象があります。

シタンダ:詳しいことはないと思います。あんまり音楽を聴かない人よりは少しだけ多く知ってるってだけで。まだまだ世の中には聴いたことないナイスな音楽が溢れてると思ったらワクワクしませんか。ただ確かにほとんどがその話ばっかりで、果たして大丈夫なのかとも思いますね(笑)。この間も久しぶりに地元の友達と会ったとき、「SNSほとんど音楽の話やんけ!映画の話せえよ映画監督やねんから!」と怒られました。

ーーやはりそれはご両親の影響が強いのでしょうか?

シタンダ:そうですね確実にそうかもしれないですね。生まれた時からずっと音が鳴ってるところで生きてましたし、幼少期の映像とか見たら、まだ2歳くらいの僕が母親がリハーサルしているスタジオでアンプの上に座ってるんですよ。そりゃ音楽好きになるわ、って自分で納得しました。

ーーご両親と同じ道に進まなかったのはなぜでしょうか?

シタンダ:ミュージシャンの母親と、ライブのPA(音響技師)の父親の間に生まれた一人っ子なので、もう昔からいろんな人に絶対音楽を始めると思われてたみたいで。でも別に敢えて映画を撮り始めたわけではないし、そこに対抗したわけでも全くないんですよ。逆に言うと聴くのが好きすぎてその音楽の領域に踏み込みたくないと言う意識はあったのかもしれないですね。でもどんどん映画を撮っていくうちに"ただ好きで撮っている"から"自己表現の方法の1つ"として変化してきているので、最近はそういう音楽的な意味でも自己表現をしてみたいかも、とも思うようになっていますね。既に歌詞などは依頼がありましたので、書かせていただいたりしています。

ーーだからこそシタンダ作品は音楽的にも評価をされている気がします。

シタンダ:こんなこと言ったらなんだけど僕は多分映画よりも音楽が好きなんですよね。じゃあ映画界から出て行け!って言われそうですが。まだ映画界に足を踏み入れることが出来てる自信もないので今のうちに言っておこうと思います(笑)。映画ももちろん好きですよ。めちゃくちゃ好きだし、SNSに音楽のことを書いてるのと同じくらいの熱量で映画は日々沢山見てます。ただ自分も端くれものながら映画を撮ってる側の人間だし、同じような方が沢山フォロワーさんにもいるので、あまり感想とかは公に書いたりすることはしていません(笑)。なんのプライドかっていうね(笑)。

ーー音楽が好きな人が映画を撮るというのは不思議な感じですね。

シタンダ:でも結構いると思います。それこそタランティーノも、グザヴィエドランも、中島さん(中島哲也)も、大根さん(大根仁)だって、やっぱり音楽がめちゃくちゃ好きな人だからこその映画を撮ってらっしゃると思うし。そういう方に桁違いの尊敬がありますね。

ーーシタンダさんは好きな音楽を聴くとすぐに自分の映画で鳴らしたくなると仰っていましたが?

シタンダ:そう言われるとめちゃくちゃアホの子みたいですけどね(笑)。でも本当にそうで。もちろんシーンに合ってなかったり、作品との相性が悪ければ強引に挿入したりは絶対にしません。それは映画に対しても、音楽に対しても失礼だと思うし。ただやはりなるべく自分の映画で鳴ってる音は好きな音で揃えたいな、というのは常に意識していますね。僕自身が、それこそ『パルプフィクション』とか『告白』とかを部屋で作業するときに、まるでレコードかけるみたいな感じで生活の中で流してたりするので。それはもちろん映画として好きすぎて、もう擦り倒すくらい見まくった末の話なんですけど。作業用BGMとしても活用させていただくというか。すごく失礼なことなんであんまり言いたくないんですけど(笑)、やっぱり何度も楽しめる要因としてすげぇなと純粋に思うんですよ。プレイリストとして好きだったら、一生飽きることないじゃないですか。だからこそ自分の作品もまずプレイリストとして質の高いものにはしようと常に心がけていますね。

ーーシタンダさんが今仕事をしてみたいミュージシャンはどなたですか?

シタンダ:その質問が一番難しくて(笑)。もうとんでもない数いるんですよ。ホントに全員言おうと思ったら多分僕、成人しちゃうくらい時間が経ちます(笑)。ただ一番最近思っているのは…ごめんなさいどう頑張っても1組には絞れません。

ーー大丈夫です(笑)。

シタンダ:まずはKhuruangbinですね。テキサスのタイファンクバンドなんですけど、とにかくなんというかセンスが凄まじくて。去年だったかなクアトロで来日公演もあって。チケットは即完でした。元々全然知らなかったんですけど、時間あるときにタワレコ行って店員さんにオススメを聞いたときに、教えてもらって、その場で惚れまくって、出てたアルバム全部聴き込みました。フィッシュマンズとかを手掛けてらっしゃるZAKさんも聴いていらっしゃったみたいで、耳の早い音楽好きの方とかはもう既にガンガン注目してたみたいです。「ヤベェ出遅れたぁ」と超ショックを受けましたね。フジロックは現地で見れなかったんですけど、後日映像で見て、演奏の技術がまじパネェって感じで。彼らとは是非一緒に仕事したいですね。夢のまた夢でしょうけど。基本的にはインストバンドなんですけど、とてつもないグルーヴ感があって。なかなかこのタイプの音楽性って割と途中で飽きちゃうというか、真ん中まで聴いて満足しちゃうこともあるんですけど、クルアンビンに関してはもうそんな隙を一切与えないんです。淡々としてるのに最後まで聴かせる胆力と、終わってからまだ聴きたいと思わせる、沼の深さがたまらないですね。いろんな国のいろんなタイプの音楽を持ってきて、それをクルアンビンというフィルターを通して1つにしちゃうみたいな。でも基本的にはシンプルなんですよね。そこの足し算引き算、もう言っちゃえば掛け算割り算もしちゃってるじゃん!っていうバランス感覚が凄まじくて。あと純粋にベースのローラ・リーちゃんが超良い。彼女のルックスも含め全身で奏でてる感じがスタンスとしてすごく憧れるし。ライブでコーラスの声もいちいち外さなくて、全部気持ち良いんですよ。純粋に好きが溢れてるので、彼らの音楽性を僕の作品に取り込んだときにどうなるかっていう興味がヤバくて。もしなんか天変地異がおかしくなって一緒に仕事できるようになったらもう最高ですね。

ーーちなみに一緒に仕事したいアーティストは全員これくらいの熱量で愛してるのですか?

シタンダ:こんなのまだ氷山の一角です。クルアンビンも語り出そうと思ったら一冊本出してもらわないと無理です(笑)。あと日本だと今、Wool & The Pantsとかはめちゃくちゃご一緒させていただきたいですね。東京のバンドで、三人組なんですけど。PeoplesPotentialUnlimitedっていう地下レーベルがあるんですけど、そこから初めてアナログ盤をリリースした日本人アーティストで、もうとにかく異物感がとてつもなくて、サウンドもそれこそ僕が神として崇めてる坂本慎太郎さんの音を初めて聴いた時と同じくらい、ポジティブな違和感があって。ボーカルがとにかく低音の渋い声で攻めてきて、唯一無二感がとてつもなくて、こういう個性がはっきりしてるアーティストは一緒に仕事したくてたまらないです。それこそドラマ『どこからともなく』を書いてた時は、D.A.N.をずっと聴いていて、彼らもご一緒させていただきたさヤバいですね。ホントにあげ始めたらキリがないんですけどね(笑)。

ーーその音楽に対する情熱みたいなものと映画に対する情熱がうまくぶつかり合って、シタンダさんの世界観を構築してるんだな、と思います。

シタンダ:ずっと僕、ミュージシャンが新譜を出す感覚で作品を出したいなぁと思ってて。あのなんていうか、ホントにすごく分かりにくい話をして申し訳ないんですけど、映画監督が映画を出すのと、ミュージシャンが曲を出すのって根本的に全然違うじゃないですか。でもそこを僕はなんとなくミュージシャンが新譜を出す感じで映画を出したくて。って思ってたら十数年前に松本人志さんがビジュアルバムを出してて、コンセプトが全く僕が思ってることと一緒だったので、やられたぁってなったんですけど(笑)。例えばミュージックビデオみたいな映画はあっても、シングルみたいな映画はないじゃないですか。ミュージシャンがコンスタントにシングルを出していて、ファンがそろそろアルバム出してくれぇって熱望してて、それで数年に一回アルバムを出す。それに伴いツアーもやる。あの感じを僕もやってみたくて。例えば10曲入りだとして、その内の3曲は既にシングルとして出てるんです。それぞれにそれぞれの印象がもう既にあって。でもそれがアルバムになったときに、聴いたことない新しい曲7曲に混じってまた新しい印象を持ち始める。そういうことを僕が今やってること、広く言えば音楽じゃないことで表現できないかな、とずっと思っていて。僕周囲にずっとアルバムを出したいって話してて。やり方次第ではそれこそ松本さんのビジュアルバムとおんなじことになってしまうので、なんていうかまだそこは模索中なんですが、また違ったものを作りたいです。それこそ1つのアーティストとタッグを組んでみて…あでもそうなるとMV集みたいになっちゃうか。それじゃないんですよね。ちょっと色々考えてまたリリースします、絶対に。待っててほしいですね。とにかく面白いことをしていたい、というところから最近は、とにかく新しいことをしていたい、という風に変わりました。あとそれと、もし自分の作品をソフト化していただけることがあったら、CDサイズで発売したいな、ということはずっと呟いています。

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エゴがない人には絶対になりたくないです。

ーーシタンダさんはまだお若いのにシタンダリンタとしてのブランドを常に意識して、物事を冷静に捉えてらっしゃる気がします。

シタンダ:考えられているかは分かりませんが、次に何をするべきか、何をどう動かすべきか、ということは常に考えてるつもりです。"17歳"という付加価値がついてチャンスを頂いてるところも多分にあると自覚しているので、このままなんとなくずっと今まで通り、やりたいようにやっていくだけでは本当に良くないな、ととても焦りを抱えています。この間とあるライブハウスで仲の良いバンドマンと一緒にかなりじっくり話をしていたんですが、僕がポロッと、20歳超えても今まで通りなんてことないから18までにはなにかしら自分というものをしっかり固めてなんとかせなあかんなぁと思ってるんよ、って言ったら、あっ分かってるんやっ、っていう反応をしてはって。あ、全然いやな感じじゃなくですよ(笑)。ただその時に、あぁやっぱなんも考えず好きにやってる風に見えるんや、ってまたちょっと危機感を覚えました。

ーーやはり若さというものが評価の中に入っていた分、その残酷さに怯えるものなのでしょうか。

シタンダ:自分で言うのもなんだけど、やっぱり若さってすごく強い武器で。でもそこにだけ甘えてちゃダメで。そこを言われてることにある種危機感を覚えていないと、あっという間にそのワンフレーズがなくなりますからね。もちろんそこも含めて評価してくださることになにも嫌悪感なんて抱かないんですけど、どっちかと言えば僕は年齢なんて関係ないから作品をただ見てよ!というタイプなので、とにかくここ数年はずっと動いていないと腐っちゃうと思っていました。それこそ今回のコロナの騒動はなかなか厳しかったですね。もう"17歳"っていう自分の中ではかなりギリギリの歳なのに、ココで足止め食らうのはマズいぞ、とかなり焦っていました。だからこそドラマを始めてんですけど。そしたら意外とドラマをやり始めて割と後半に差し掛かったくらいから、17歳なのに…という感想をあんまり見なくなって、作品として純粋に楽しんでいただけた様で、結果的にやるべきことをやってのことかな、と安心しました。それでもまだまだ足りないので、さらにもっと他のいろんなことをしていかないとですね。

ーー近年ではスマホの普及や、ネット環境が整ってる家庭が多いことからシタンダさんと同年代のクリエイターや才能が様々な業界に登場しています。

シタンダ:それに関してはただただ嬉しいだけですね。すごい意地張ってるように聞こえるんですけど、本当に僕、そういう意味の競争心みたいなものがなくて、同い年がめちゃくちゃ活躍してるからヤバイ!彼らよりもすごくならないと!てっぺん目指すぞ!みたいなことをあんまり思わなくて。だからただただ同い年が沢山活躍してる世の中は嬉しいです。比べるのも失礼なくらい、僕よりも、なんていうか、乱暴な言い方をすると、“すごい人”が沢山いると思うので僕も頑張らないとなぁとは思っています。みんなで面白いことをしたいっていうのが率直な意見です。東條新くんっていうイラストレーターというか絵描きさんがいるんですけど、僕が近年会ってきた同世代の中で1番電気が走って。才能とかって言葉で片付けるのも失礼なんですけど、自分がやってる活動を純粋に楽しんでるのが人柄にも、そして作品にも現れてるっていうか。自身の作品についてすごく熱く語ってくれてるんですけど、その様子を見て、ヤベェのがいるわぁってずっと顔を見つめていました。残念ながら話はほとんど聞けませんでした。彼と何か一緒に面白いこととかさせてもらえたら嬉しいですね。今度1人暮らしの家にお邪魔させてもらって卵焼き作るって言う約束してます(笑)。結構それこそ映像を撮ってたり写真を撮ってたりする人も同世代に沢山いて、バリバリ仕事としてやってる人も全然少なくないんですけど、どちらかと言うと同じタイプというか、同じようなところを目指してる人よりかは、それこそ新くんとか、あとはちょっと年上ですが、ヤナセジロウくん(betcover‼︎)とか全然違うことをやってる人にとても魅力を感じて。基本的に年上の方とお仕事させてもらったり何か面白い企画一緒にやったりとかはあるんですけど、同世代で、それこそさっきの話にも繋がりますけど、いろんな個性がぶつかり合って何か面白いことが出来たらまたそれはそれで楽しいやろうなぁとワクワクしています。まずは僕がそのレベルにまで達さないとなのでまだまだですが、いつかね、面白いことしたいですね。普段同い年の友達と映画を撮ってる時とはまた違う感じになると思うので。ていうかまず純粋に友達になりたいですね。映像系とか写真系の人たちはまぁSNSでたまに見るくらいなのであれですが、皆さんもう凄まじいので、僕は圧倒的に話についていけないと思うので、どちらかと言うと、ついて行くどうこうよりもまず僕がなにも知らない他業界で才能爆発させてる同世代と仲良くなりたいです。

 それこそ今は10代でもうビジネスを始めていたり、案件を沢山受けていたり、っていう方が増えているので、純粋にすごいなぁと尊敬しています。一方で、僕もMVや外注で色々とやらせてもらいながらも、根本は「僕はこう思っています」「僕はこういうものが好きです」っていう自己表現、みたいなものに対して、遊び心とワクワクを失わずにやっていけたらなぁと最近は特に思ってます。それが負担になりたくはないので。やりたいことをやっている、っていう気持ちだけは絶対に失いたくないですね。MV撮らせてもらってるときも、気持ちは普段の自分の映画を撮ってる時と何も変わらないし。例えば商業的な目線であったり、そういうことももちろん意識はしないといけないし、赤字にはなってはいけないし、それこそ知名度を増やすための努力もしないといけないけど、それだけに囚われて、「成功者にならなきゃ」みたいになるのは嫌ですね。SNSのフォロワーが増えない、とかあの人みたいに案件を沢山もらわないと、とかそういうことにだけ囚われるのって、めちゃくちゃしょうもないと思っていて。そういうことじゃなくてまずはやらせてもらえることを謙虚に楽しくやりたい、それだけですね。10代のうちに…みたいな話も、結局10代のうちに仕事を沢山して、お金を稼いで、フォロワーを増やして、みたいなことじゃなくて、10代という付加価値がついて作品をご覧くださってる方がいるとするなら、その方たちが僕に10代っていう売り文句がなくなった時も年齢なんか関係なく見てもらえるような作品を今のうちに沢山作りたい、ってことでして。だからまずはそこですね。それって結局、自分が楽しんで好きなこと、自分が面白いと思うことを、ひたすら追い続けて、その上で冷静さを失わずにやっていく、っていうことしか方法はないと思っていて。

ーーシタンダさんは今後のビジョンがはっきりしている印象がありますがご自身はどうでしょうか?

シタンダ:最近よくスタッフとか気の合う友人とかと話すことなんですけど、今は例えばTikTokとか、インスタとか、まぁそれ以外でも、誰にでも有名になるチャンスっていうのがあちこちに転がっていると思っていて。でもその分全体的な水準が低くなりそうで怖いなとは思っています。この話をする時、よくエゴっていう言葉を使うんですけど、僕は比較的そういうところに敏感で。要するにエゴ(自我)がない人にだけはなりたくない。エゴがない人には絶対なりたくないです、ってずっと言ってて。例えば顔とルックスが良くて一気に名前が広まったとして、それを武器にして何か商業的なところに絡んだり何か大衆に向けて働きかけをしたり、そういうことならもちろんそれは本人のポテンシャルの問題でもあるし、頑張って欲しいなと思うんですけど、そこから違うところに足を踏み込むというか、そういうのはもうちょっと冷静になって欲しいな、とは思っています。チャンスがあるうちはなんでも挑戦するべきだとはもちろん思います。だけど、そのチャンスを選ぶことも大事だと思っていて。今自分が何を求められていて、どこに足を踏み込むべきかっていうところを冷静に考えずに、「なんかそんなこと出来そうなんやったらじゃあやりまぁ〜す」というノリで本来あるべきところじゃないところに踏み込んでいる人もいると思っていて。やりたいこととかやれること、やらせてもらえることとかやるべきこと、一度きりの人生だしいつだって人生の主役は自分だからそこを変に怯えたり遠慮したりする必要はないのかもしれないけど、やっぱりエゴだけはしっかり持っていてほしいですね。どうしてもこういう話は濁してしか話せないので申し訳ないんですけど。冷静さを失った瞬間が最も恐ろしくて。いつだって自分が何をしたいかっていう部分と自分がどうあるべきかっていう、そこのせめぎ合いをしていたいですね。はっきり言ってそうじゃない人も実際見てきて、別に他人のことだし本人がそれで良いならどうにも出来ないんですけど、少なくとも僕はエゴがない人とは一緒に仕事をしたくないと思っていて。人のことなんて気にするな自分の好きなようにやれ!ということをひたすら言われ続けてきたし、それに異論はないです。ただそこを気にしなさすぎて結局エゴがなくなっちゃって、もしかしたら最初からないのかもしれないけど、自分というもののプロデュース能力を失ってしまった人には恐怖しかないです。そういう意味でそこの水準が低くならないようにも、少なくとも自分はいつだって冷静に見つめていきながらやるべきこととやりたいことを続けていきたいですね。まぁ偉そうなこと言う前にまず僕が顔とルックスが整ってないからそこからですね整形しようかな(笑)。

とにかく志高く突っ走っていって謙虚に厚かましくいろんなことに挑戦したいです。

ーーこれまでの作品はどれも企画からプロデュース、監督まで全てを手掛けられていますが、例えば誰か別の人を脚本チームに入れて、共同で書いたりすることは考えておられないのですか?

シタンダ:それははっきり言って全く考えていないです。もちろん僕より腕のある人だらけだから、誰かにお手伝いをしてもらった方がそりゃ質の高いものにはなると思うんだけど、その分密度が減りますよね。多分基本的にこれまでずっと1人で作り込んできたタイプだから、僕の個人的ないろんな思いとか、それ以外も然り、僕というものがすごく如実に表れてたと思うんですよ。それが良いか悪いは別として、その部分を気に入ってくださる方がちゃんと現れ始めたし、僕もそこは自信を持てる部分だし、だからこそそこにまた別の人を介入させてしまうと、その分薄れてしまうと思っていて。そうなると最終的に納得の行くものから少しかけ離れてしまうじゃないですか。それは作品にとってもシタンダリンタとして発表することにとってもデメリットに繋がってしまうと思っていて。

ーー来年に公開が予定されている最新作『そのママ弾いて』はシタンダさんのセルフプロデュース作品では初めてコドモが一切登場しない、キャスト全員オトナの方々ですが、どのような作品になってるのでしょうか。

シタンダ:オトナの物語だから、深みのある重厚な映画になるかと思われがちですが、どっちかと言えばこれまで撮ってきた中で最もしょうもない映画です(笑)。でもそれは全然悪い意味じゃないので。逆にこれまでコドモというか、同世代の面々で制作していて、この年代が1番描きやすかったし、しっくり来てたんですけど、ただキャストの年齢層が上がっただけで、やってることはほとんど一緒です。特に今作は「ええオトナがなにしとんねん」をなるべく描きたくて。深い内容とかは今回はいらない。なんかいろんなことが起こってるし、後半はもうカオスになっていくし、それぞれの出来事に明確な答えも特に提示されないまま進んでいくので。その振り回される感じを楽しんでいただければ幸いですね。こんなこと言いながらも、自信作であることは間違いないです。

ーー2021年は『そのママ弾いて』以外にも映画はいくつか発表すると公言されていますが?

シタンダ:今年があんまり作品を出せなかったので、来年は意地でも出しまくろうと思っていて。もちろん色々と計画しつつですが、ひとまず来年は映画は3本公開が決まっています。どの作品もとんでもなく力を入れていて、それぞれ全く印象の違う作品だと思うので全部見てほしいですね。かねてより一緒に仕事をしたい、って熱望していたとあるミュージシャンの方にも1作参加していただいて念願のタッグを組ませていただくことが決まっていて、またこれまでとは違った音運びの作品になると思います。どの作品もここ数年僕が密かに抱えていたいろんな思いとか、そういうものがこれまで以上に色濃く反映されたものばっかりなので、多分2021年は僕の思考が丸裸になる年だと覚悟しています(笑)。

ーーシタンダさんの思考や想いがこれまでよりもはっきり描かれるというのは楽しみでたまりません!

シタンダ:すごくイキったことを言うんですけど、僕にとって映画も含め、なにかしら作品を残すっていうのは、感情の記憶、思考の記録だと思っていて。例えば僕がおじいちゃんになって、この世から去る前に僕がこれまで撮ってきた作品を全部見たら、人生の中で何歳の時はどう思っていて、何歳の時はこう思っていたんだ、みたいなものがはっきり分かるようになれば良いなと思います。せっかく生きてるんだから、なにかしら刻んでから死にたいじゃないですか。別に地位や名誉とかがほしいわけじゃなくて、大それたようなことを言いたいわけでもないんですよ。何かこの世にとってすごい功績を残したいわけでもなくて、もう誰にも気づかれなくても良いから、ただ自分という存在がここにいたっていう事実だけを何かしらの方法で残せたらなぁ、と思っています。もちろんそれはまず映画として成立させる胆力がないと話にならないので、ただ思ってることを描きたいだけじゃなくて、そのバランス感覚をずっと保っていきたいですね。そういう意味でも来年はもう僕もそろそろ成人が近づいてきてるしこれまで以上にそういう濃度が強い1年になると思います。

ーー今後はどのような活動をしていくおつもりでしょうか?

シタンダ:映画はやっぱりずっと続けてきたことなのでこれからも続けられたらなとは思っています。でも今後はそれ以外のこともしたいですね。それこそいろんなアーティストの方と様々な方法で絡んでいきたいし。この間たまたますごく尊敬する世界的なパーカッショニストの方と話す機会があって、一緒に何かやりたいですって言った時にすごく喜んでくれたんですよ。やりたい!是非!って。全然年齢も違うんですけどそういうこと関係なくリスペクトしてる人となにかしらとにかく絡んでいきたいなと思っています。まず僕がそこまでのレベルにならないとなんですけどそんなの待ってても話にならないんで、とにかく志高く突っ走っていって謙虚に厚かましくいろんなことに挑戦したいですね。そういう方と絡ませてもらうことで自分自身も成長することが出来たら最高だなと思っています。あ、なんか自分のことしか考えてないやつみたいなってますね(笑)。

ーー映画以外のことはどんなことをしてみたいですか?

シタンダ:実はいろんなことを考えていて、そのうち半分くらいはもう既に動き出してるんで、まだはっきり言えないことだらけだし、こっそり考えてることも誰かに取られちゃ嫌だから言いたくないんですけど、とにかくいろんなカルチャーに手を出そうと思っています。映画もただ物語を撮るだけじゃなくて、これまでにあまりなかったアプローチの作品も進めています。それと10代のうちに作品集を出そうと思っていて。それこそさっきの話に戻りますが、アーティストがアルバムを出す感じ。普段撮っている長編映画とは違って、短編になるのかな。それをシングルとしていくつか先行配信して、その末にアルバムとしてリリースしたいです。あ、それと来年か再来年に会話だけをリリースしようと思っていて。詳しい話は全然出来ないんですけど、特に来年はそれに力を入れようと思っています。でもまぁ今まで通りコンスタントに映画は出していこうと思っています。その時その時の研究発表みたいな立ち位置になれば。とにかく撮りたい映画とか、企画とかが溜まりに溜まっているので、アウトプットもしていかないと逆にフラストレーションがたまりそうです(笑)。これまで一緒に色々と作り上げてきてくれたスタッフ・キャストの子たちともまた何か違うことをしてみたいですしね。彼らも別に映画業界に興味があって僕に協力してくれてるわけではないので、あんまりないタイプのチームなんですけど、最終的に彼らにとっても目に見えるメリットとなるためにはどうするべきかなぁとも考えたりしています。やりたいことがありあまってますね。

ーー同時にいくつかのプロジェクトが進行するシタンダさんですが個人的にプライベートでしてみたいことはありますか?

シタンダ:でもなにをするのも結局最終作品に直結するみたいなところがあるので、もうずっと遊びなのか趣味なのか仕事なのかなんなのか分からない日々をすごしてますね。だから強いていうなら出来ることなら一週間に一回くらい友達と温泉、それも銭湯とかだけじゃなくてもう山奥にある秘湯とか、そういうところに行きたいですね(笑)。あと20歳になったら一回海外いこうと思っていて。その時のスケジュールにもよりますけど、少なくとも半年くらいは滞在して、現地で映画撮って、現地で公開して、それで日本に逆輸入的な感じで。写真集とかもやってみたい。あ、もちろん僕のヌードとかじゃないですよ(笑)。なんか撮りたいものがあちこちにあるので、整理したいですね。

ーー今後のシタンダさんの展開がとても楽しみです。

シタンダ:ありがとうございます。このインタビューもめちゃくちゃイキったことばっかり言ってるし、考えもまとまり切ってないところだらけなので、やっぱり言いたいことは作品でだけ伝えるのが1番良いのかな、どうなんやろ(笑)。

リリース情報
映 画『或いは。』
映 画『散ルカモネ』
ドラマ『どこからともなく』
 公式YouTubeチャンネルより配信中

映 画『そのママ弾いて』
 2021年初夏公開予定

■関連リンク
シタンダリンタTwitter(@ndarinta)
シタンダリンタInstagram(@tandarinta)


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Film Director_scriptwriter./ Features: 或いは。(2019),散ルカモネ(2019),どこからともなく(2020),もしや不愉快な少女(2020),そのママ弾いて(2021)/ / There are more. 17 years old.