宗教三世 5

両親の仏壇に向かう姿は子どもであった私から見れば
現実逃避そのものだった。

子ども達、社会、すべての事柄から逃げたかったのだろう。
自分たちの身の回りの事実から目を背け仏壇に向かい
【幸せになれるお題目】をあげ続ける。
様々な事柄から逃げ続ける彼らは【幸せ】だったのだろうか。

母親は鬱を患ったままよくなることもない。
父親も社交性が全くなく、鬱の母親と二人家に閉じこもっている。
でかけるのは病院と買い物だけだ。
そんな現状を私が耳にするのは年に1度あるかどうか、というくらい
疎遠になっている。

彼らは日々朝夕仏壇の前に座り、なにか救われているのだろう。
周りの人が良くしてくれるからいい宗教だ、といったような事を聞くが
彼らには社交性がないため、その恩恵にあずかることもない。

彼らは他人に対して【折伏】することはなかった。
対象となる友人知人がいないのだ。
それは熱心に信心している方から見れば異様であったかもしれない。
教義には折伏し、広めていく。幸せになれる人を増やすためには苦難は当たり前だといった内容であったと記憶している。

熱心な方々からはもちろん距離を置かれ、彼らは自宅にある仏壇に
お題目をあげるだけなのだ。
会合など行くはずもない。
社会と切り離された生活を自ら望んでしているのだ。









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