宗教三世 4

こんにちは
反抗期を迎え、成人し、子を持ち、離婚後シングルとして子育てをしていた頃。

押しかけてくる親戚に懇願し何とか新聞も解約し
ああ、これでしばらく何も言われずに済む。と憂鬱な気持ちから解放された。

子供から背を向けて仏壇に向かっていた両親は
相変わらず朝夕、困ったとき、仏壇へ向かって座っていた。

母親が調子が悪い、と病院へ行きC型肝炎の結果とともに入院生活が始まった。
そのころちょうど母親は更年期の最中で肝炎の治療薬との相性も良くなかったのか鬱を発症した。

退院後、自分の服が選べない。着れない。など多方面にわたり自分のことができなくなっていた。
症状は進み、家の中の刃物はすべて弟によって隠された。
死にたいといい包丁を振り回すのだ。

父親は母親を放置しておけないといい仕事を辞めた。
鬱の母親を父親ひとりでみるというのだ。
どう考えても無理があるのに。
こんどは鬱の母親に背を向けて仏壇に向かう父親だ。

仏壇にむかってお題目を唱えれば母親の鬱が治るとでもおもっていたのだろう。

もちろん治るわけもなくもれなく父親も鬱となる。

唱え続けたお題目は皆目彼らを救ってはくれなかった。
いや、気持ちの面では救いになったのかもしれない。
現実逃避でしかないお題目を唱え鬱になりそれでも救いを求めてまた
仏壇の前に座るのだ。

私から見れば異常でしかなかった。
薬を飲んでもよくならないならお題目だ。
その思考が理解できない。
彼らは救われてなどいないじゃないか。

はたから見れば異常な光景であるが本人たちは
お題目をあげ続けた。


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