「極楽浄土」は実は現実世界にある、というお話

「極楽浄土」と聞いて、どんな世界を思い浮かべるでしょうか?

生きている間に徳を積み、善き行いを通して悟りを開くと、死後、魂が苦しみのない幸せに満ちた世界に導かれる・・・

そんな「極楽浄土」、浄土真宗さんではこのような表現をされています。滝本仏光堂さんから引用させていただきます。

極楽浄土に行く人は、今わの際に枕元に阿弥陀如来が迎えに来て極楽浄土まで導いてくれるといいます。では、極楽浄土とはいったいどんな場所なのでしょうか?
「仏説阿弥陀経」によると、極楽浄土は、黄金の大地でできており、木々は四宝が埋め尽くされた柵や網で囲まれて木自体にも無数の宝が装飾されていて、常に清浄に輝いています。。七宝の池には「八功徳水」という清らかな水が流れ込んで、池の底には金沙が敷き詰められていて四色の蓮華の花が咲き誇っています。
とても過ごしやすい気候で、天からは華の雨が降り、素晴らしい音楽が流れてきます。
またそこに住む人も素晴らしく、一切のストレスや苦痛を感じない世界になっています。
しかし、これらは極楽浄土にたどり着いた者をもてなすためではなく、あらゆるストレスを取り除かれた状態で仏さまになるための修行に集中せよ、という阿弥陀さまの配慮であり、極楽浄土とは阿弥陀さまが集中して修行できるように用意してくださった世界なのです。

滝本仏光堂さんより引用

・・・この世の美しい存在に包まれ、美しい音楽が流れる中で心からストレスのない安らぎの環境をイメージさせてくれます。

「仏さまになるための修行に集中できる環境が、極楽浄土である」
という言葉が、とても心に響きます。

・・・生きている間、善行を重ねるいい生き方をしないと・・・と思わせてくれる、素晴らしい仏教の教えに思えます。

そんな素晴らしい仏教の教えですが、つい最近、「極楽浄土は身近にあるやん」と気づいたので、そのことについて語ってみたいと思います。

・・・

「極楽浄土」は、現実世界の自然の中に実は存在する

今日、晴れ渡る春空の中、山籠もりをして感じたことです。

新緑が芽吹く、暖かい春の山々。
晴れ渡る青空の下、柔らかなお日様の光が照らす、輝く緑の景色。
そんな緑の輝きは、「光合成」という葉っぱの持つ生命活動がもたらしてくれる、「生命力」という輝き。
その生命力が自らの心に満ちるとき、そのひとときは「至福」となる・・・

私が1年以上「山籠もり」を続けることで、これまでとは感じ方が変わったことで得られた体験と気づきです。
そしてそれは、「日常の小さな景色に絶えず感動を生む状態」につながっていきます。

・・・こうして、「心の解放」とともに、景色が10倍ぐらい美しく見える体験から、「日常的な感動」が生まれていきます。

そして今日、生命力あふれる新緑に包まれる環境でいつもと同じように感動に浸っていると、生命力あふれる景色の姿が言葉で言い表せないほどの美しさを感じ、ある感覚に包まれたのです。

それが、「極楽浄土」という感覚です。

言葉にできないほどの美しさを実感できる環境。
雑念が心から排除され、ただただ心の静けさに心地よさを感じ、欲望から切り離される・・・
以下のブログにも通じます。

・・・

こうして考えると、「極楽浄土」とは・・・

仏教でいう、黄金の大地で美しいお宝と音楽に囲まれ、美しい花が降り注ぐ世界、というのは私たちがイメージしやすいように並べた言葉の世界、ということが見えてきます。

私が考える、本当の極楽浄土とは・・・
以下のステップを経て、現世で実感するものなのだろう、と思います。

自らの心に正直になり、その心の導きに素直に行動することで心を解放する。
そして、大自然に包まれる景色を「見る」段階から、「目で見て実感する」ことで、目で見るフィルターを通して心で感じる。
心で感じる景色は、目で見るより10倍美しく、意識は自我から離れてその景色を心で堪能し、浸る(集中する)ようになる。
雑念や欲望といった、自我がもたらすものは、こうして切り離されていく。
そうして日常的な感動を得られるようになった先に・・・
「極楽浄土とは、今感動を得ているこの瞬間である」と気づく。

・・・実際に、こういう感覚が得られます。
こうして言葉にしてみると・・・
「謙虚」「悟り」というものが、自然に包まれるところから学び、得られることがよくわかります。

そうして、煩悩から意識が切り離される体験は・・・

仏教の教えにある、

あらゆるストレスを取り除かれた状態で仏さまになるための修行に集中せよ、という阿弥陀さまの配慮であり、極楽浄土とは阿弥陀さまが集中して修行できるように用意してくださった世界なのです。

滝本仏光堂さんより引用

と重なります。
あらゆるストレスを取り除かれた状態、とはまさに、「自然に包まれる環境」のことですね!

・・・

「徳を積む」体験も、自分自身が謙虚、素直でないとなかなか難しいものです。

「徳を積んで極楽浄土に行く」ではなくて、
「極楽浄土への道を通じて素直になって、徳を積める人間に昇華する」

私には、このほうがしっくりきますね・・・。

私はこの段階が、「人の心の6段階目」ではないか?と思っています。

心の閉塞➡日常生活の抑圧や怒りが強すぎて心が無感覚に。
心の解放➡抑圧や怒りからの解放で心が軽く。
心の評価➡素晴らしいものを素直に「素晴らしい」と言える。
心の至福➡瞑想や自然体験による心の安らぎ。
心の感動➡小さなことに目を向けて日常的に感動が得られる段階。

心の昇華➡「極楽浄土」を実感できる(かもしれない)段階




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?