「問題を解決すればするほど、より大きな問題が出る私たちの世界」という矛盾の正体を・・1年後に考えてみた①
今、解決すべき世の中の「問題点」と思われているものは、実は・・・
「問題点」と「警告」が混同されているのではないか?
という気づきについて、語ってみたいと思います。
元ネタは、1年前に「問題点」とはいったい何なのか?の答えが出なかった①~⑨までの一連のブログです。
不治の病の問題を解決する、医薬品開発がもたらす功罪について、高額医薬品と誰が負担するのか?の問題に始まって、長生きするほどに生み出される、介護の支える側と支えられる側のバランスが崩れつつある、「問題を解決すればするほどより大きな問題が襲い掛かる」私たちの社会への疑問が心の中に生まれたことから書き始めたのですが・・・書いても書いても問いに対する答えが出てきませんでした。
ブログ④に、考えれば考えるほどここに辿り着いてしまう、ということを過去の自分は書いていました。
よりよい世界を構築するために問題を解決し、より便利なものをどんどん開発していくと、行きつく先はどんどん格差が開き、生きにくくなる世界。問題を解決すればするほど、新たな問題はより難しくなる現実。
そして、まとめになっていない・・・?⑨のブログにつながります。
このとき、答えは出なかったのですが・・・自分なりの考えの軸が生まれています。
「自立」と「自律」。今大事なのは、こういう捉え方なのではないか?「問題を解決すればするほど、より大きな問題が出る私たちの世界」という矛盾の正体、に対する私の考えです。
1年たった今、改めて考えを巡らせたときに、冒頭の言葉が浮かんできました。
今、解決すべき世の中の「問題点」と思われているものは、実は・・・・「問題点」と「警告」が混同されているのではないか?
そう考える根拠になる、いくつかの例を載せてみます。
・・・
私たちの営みを動かす「資本主義」というものは、「お金」を追い求める社会になっていると思います。
「高額医薬品」も、根っこはここにありますね。「世の中の問題点を解決してお金を儲ける・・・」
結果、介護の問題が収拾のつかないことに。支える側の過酷な労働や人手不足、働き手の介護コスト負担のバランスと介護従事者の低収入などの待遇面や、肉体的、精神的な疲弊がやがて限界に・・・。
人口増加はやがて、地球資源そのものが過剰消費で支えきれなくなる問題も・・・
・・・
歴史を調べると、必ず出てくる「農作物を食べつくすイナゴの群れ」がもたらす、飢饉の話。
狩猟時代に始まり、農耕を人類が手に入れて、人類はより生き延びやすくなりましたが、イナゴの発生は飢饉を通じて、人口の爆発的増加を抑えていたのでは・・・?
研究開発が進み、農薬や遺伝子の研究などが進み、食糧危機が先進国で克服された代償に、水質汚染や土壌汚染や空気の汚染、農作物そのものの汚染も進み・・・
人口の爆発的増加と長寿と引きかえに、人間は「アレルギー症状」というものに襲われ、高齢化社会に悩まされ、何より大自然の破壊と生態系の破壊が止まらなくなってしまった・・・
食糧問題の解決と引きかえに浮かび上がるより大きな問題・・・
・・・
「いじめ」の問題の根っこを深く掘り下げると・・・
「自分たちの立場を守る」ために他者を攻撃する、ということが浮かび上がります。
人はより生産力を高めて、生存環境を良くするために人数を集めて組織を作って、目標とルールを作って実現しようとするのですが・・・
その過程で、目標達成やルールを守るために自分の実力以上の無理をしたり、本音を殺してルールに従うことなどが発生します。
その結果、「ストレス」「不満」「コンプレックス」「プライド」・・・といった、心の歪みが生み出す「ネガティブなエネルギー」が噴出されることにつながっていきます。
「ネガティブなエネルギー」の向かう先は、たいてい弱い存在か、自分たちを否定する存在か、自分たちの立場を脅かす存在に対してです。
「いじめ」のきっかけになる理由は、表面上のことで、根っこには「ネガティブなエネルギーの蓄積」があることが見えてきます。
「ネガティブなエネルギー」が蓄積されてしまう理由は、私たちの営みの姿そのものにあるんですね・・・。毎日の日常の中で、そんな気持ちにさせられる環境そのものが根本的な問題だと・・・
生存に安全な社会を実現するための「組織」で行動する人間社会そのものの姿が、人間そのものを「生きにくくする」・・・
(だから、「いじめをしてはいけません」というルールを作って徹底させると、余計にストレスが溜まってヤバい行動をする人が出てきます)
・・・
「問題点」と捉えるか、「警告」と捉えるかで取り組み方は変わる
「問題を解決する」ことがビジネスになる、ということがよく言われます。資本主義社会でお金を稼いで生きていく社会、となると、生きていくために「解決する」ということになりますね。
だから目に見える問題点に対して、考えて克服していくと・・・
「もっと大きな問題」が生まれるのが私たちの社会です。
だから、それぞれの問題点を「解決しよう」とがんばったら、おそらく克服した先には、もっと悲惨な「ディストピア」な問題点を抱えた状態が待っているのでしょう。
・・・ここまでが、つい最近まで私が見えていた景色です。
「警告」と捉えると、どう取り組み方は変わるのか・・・?
②につづく
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