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潮騒をよんで

あらすじ

「古代の伝説が息づく伊勢湾の小島で逞しく日焼けした海の若者新治は、目元の涼しげな少女初江に出会う。にわかに騒ぎ出す新治の心。星明りの浜、匂う潮の香、触れ合う唇。嵐の日、島の廃墟で2人きりになるのだが、みずみずしい肉体と恋の行方は―。困難も不安も、眩しい太陽と海のきらめきに溶け込ませ、恩寵的な世界を描いた三島文学の澄明な結晶」 

思ったことを、章の流れと共に


1章では、物語の舞台である歌島がどんな場所であるか、そこで人々はどのようにして暮らしているかが描かれていた。その描写については非常に精巧だと感じた。詳細に語られた島の地理などは、おそらく三島自身でロケハンして書き上げたのだろうと容易に想像できた。また、主人公の新治がどんな者か、新治と後に恋仲となる初江との出会いについても描かれていた。ここで感じたのは、新治は初江に一目惚れしたわけではなく、島では見慣れない人だと違和感を持っていたことである。
2章では、漁師である新治の暮らしについて描かれた。ここで私が感じたのは、新治は自然と調和して暮らしており、調和するどころか、自然は新治の中に入り込み、その境界が無いということだ。新治は日々の漁師としての労働に活力を得ているのだ。
3章では、新治が初江に対して確かな恋心を抱くようになったことがわかる。
4章では、新治と初江が偶然にも2人で出会うシーンが描かれた。2人だけの空気はお互いに異性を知らないもの同士のなんとも書き表しにくい性的でロマンチックな雰囲気を作り出していた。また、別れ際に新治が島の人の噂好きを案じて、このことを2人だけの秘密にするように頼んだ。この秘密はお互いを意識しあうに十分すぎるほどの出来事であったように感じる。
5、6章では、新治と初江の恋仲がより一層親密になっていく様子が描かれている。4章目での出来事以降、新治は海での仕事中であっても初江のことを考え、漁に集中できていない。しかし、新治が落とした給料袋を初江が届けるという出来すぎた幸運が訪れ、二人の仲はより一層親密になっていくのであった。恋が進展していく様はあまりにスピーディーでとんとん拍子であった。この部分からは、新治も初江も互いに恋に対してワクワクしている様子が伺える。ただ相手を想像するだけで毎日の生活に花が開くような感覚を私も感じた。ここまで、二人の恋を一読者である私が応援できるのは、新治の人間的魅力(初江については後で述べる)による部分が大きい。新治という男はどこまでも純朴な男なのだ。富んではいないし、賢くもない。無口で不器用な男なのだ。しかし、家族を愛し、自然を愛し、人々を愛し、公平な視点で物事を歪めずに見ている。正直で、目の前のことに感謝をしながら生きている。そしてやるときはやる男なのだ。だからこそ、福がやってくるし最後に必ず勝つ男だという感じがする。本を読んだ感想として適切なのかどうかわからないが、新治の様な人間が今の日本に何人いるのだろうかと思った。スカスカ人間ではなく、新治のような人間が必ず勝つのだろうと心の底から思った。この作品は、全体を通して本当に透き通った感じがする。この透き通りこそが、私にとって潮騒の肝である。また、この透明感は、新治だけでなく、すべての登場人物に実直さがあるからだと考える。それゆえ、なるべく人物に対してどう感じたかについても触れていくことにする。
7章では、自分の容姿にコンプレックスを抱く千代子という歌島出身の女学生が出てくる。千代子は現在、東京の大学に通っているが、歌島に帰省しているのだ。実は千代子は新治に恋心を持っている。しかし、帰省した故郷で「新治は初江と恋仲である」ことを知る。さらに初江は別嬪だという。このことは、千代子のコンプレックスと恋心を大きく刺激した。これが原因で千代子は安夫(島一の裕福な家の出で、いわゆるドラ息子、初江を自分のものにしようとしている)に「新治と初江は性行為を婚前に行った」(当時はいけないことであつたらしい)というホラを吹き込んだ。世間の狭い島内では噂はすぐに広まった。
8章では、新治と初江の今までより濃厚なラブシーンが描かれる。このシーンも重要であるが、もう一つ私は素晴らしい文を見つけたので引用する。「千代子は自ら醜いと信じている顔の効能を信じていた。それはひとたび固化すると、美しい顔よりも、ずっと巧みに感情を偽ることができた。醜さと信じているものは、この処女の信じている石膏であった。」千代子は醜いのではなく、何らかの目的のために醜いと信じていただけなのだ。ここに私は千代子の人生がより明るく開けていく予兆を感じた。
9章では安夫が何とかして(ただの強姦未遂にしか思えない)初江を自分のものにする様子が描かれる。しかし、蜂が安夫を襲い、初江を助けるという幸運により初江は護られた。ここでも潮騒の透明感が垣間見えるだろう。暗さなど潮騒にはないのだ。
10,11章では、初江の父、照吉(船を何隻か保有するお金持ち)の耳に例のホラが入ってしまったため文通での恋愛を強いられる様子が描かれる。島中に悪いホラが出回ってしまったのだ。しかし悪いことばかりではない。新治は家族以外にさらに理解者を得た。普段、共に漁をしている船長の十吉と1つ下の龍二である。新治は彼らに何もかも打ち明けた。彼らもまた透き通っている。誰かに新治の秘密など当然ばらさないし、文通の連絡係まで引き受けた。船長の十吉は父親のいない新治にとってまるで父親のような存在である。普段は無口な十吉もこの時には助言をくれた。
新治だけでなく、千代子にも幸運が訪れる。千代子は東京へ帰る前に、安夫に告げ口をした後ろめたさから新治に寛恕を仰ぎたいと考え、新治を探した。新治は、噂の発端は千代子であるなんて知る由もないため、寛恕を仰ぐも何もないのだが、それでも千代子は新治を探した。千代子は遂に、船を出す直前の新治に出会う。千代子は、思いがけずいつも押さえつけていた心からの質問を、本能的に口走った。「新治さん、あたしそんなに醜い?」「なあに、美しいがな!」急場の質問に急場の返事であった。この返事は千代子を幸せにした。千代子はこの返事を反芻し、噛みしめ、これで十分であることを知らないといけないと感じた。新治には恋人がいて、その仲を引き裂くなど、なんてひどいことをしたのかと反省した。何とかして埋め合わせないといけないと思った。ここで言いたいことは、ともかく千代子は前へ進んだということである。
12章では、逢瀬を絶たれてしまった新治の苦悩について描かれた。またその様子を見た新治の母が息子を思って事態の解決を試みるシーンも描かれた。悪い噂(新治と初江の婚前前の性交渉について)から初江と新治の接触を禁じた照吉に、息子の恋は清純なものであり、逢瀬を断つ必要などないことを告げようとしたのだ。しかし、照吉は新治の母に会おうとせず、それに憤慨した母親は、照吉の代わりに出てきた娘の初江に一瞬の内の感情に身を任せ、罵声を浴びせてしまう。事の顛末は、母親を孤独にさせた。私は、正直なところ、ものすごく新治の母親に腹がたった。息子の恋に介入した挙句にかき回し、失敗する様子は身勝手な迷惑でしかないと思った。私は、たとえそれが家族であっても人の物事に踏み込むべきではないという考えを取り一層強くした。腹立たしい出来事ではあるものの、やはりここにも潮騒の透明さ、清廉さが感じ取れた。それは、息子を思う気持ちのあまり無鉄砲に事を起こしてしまう母親の不器用な愛のカタチでもあったのだ。さらに、新治はこの出来事に関して母親に怒りなど抱いていなかった。玄関払いを食らった母の屈辱だけが身に染みたのである。
新治は母親が玄関払いされたことは知っていても、母親が初江に罵声を浴びせたことは知らなかった。新治と初江の文通で、初江がそのことを新治に伝えることもなかった。初江は新治の心、新治の母親の心を傷つけまいとしたのだ。初江は出来た人間なのである。新治だけでなく、他の誰にもこの出来事を話さなかった。
13章では、歌島の海女たちのシーンが描かれた。新治の母も、初江も海女である。初江の父は照吉、つまり初江は裕福なわけである。それでも働きに出るその姿に、この島での職に対する捉え方は、生活費を稼ぐなんぞ小さな捉え方ではないのだろうと思われる。職そのものから活力を得ているのだ。また、危険さも潜む海に娘を出す照吉の人間性も見えてくる。照吉は、かっこいい男なのだ。娘を大切に思う気持ちを持ちつつ、裕福さ故の特別扱いもしないのだ。当然、初江も歌島の女の一員なのである。海女たちは、ある日、ひいきにしている行商人の男からとある提案を持ちかけられる。「御恩になっている歌島のためになる競争がええ。どうや皆さん。鮑取り競争や。向こう1時間の間に、一番たくさん獲物を挙げた方に賞品を進呈しましょう。」と、海女たちに告げたのだ。一位は初江で、二位は新治の母親だった。例の出来事以降、新治の母親(これからは単に母親と呼ぶことにする)と初江の間には、なんとも言えない空気感が流れていたが、ここから起きる展開がすべてを解決することになった。一位の初江は賞品を商人から受け取ると、母親の手にそれを押し付けたのである。母親の頬は喜びに血の気がさした。「どうして、わしに…」「お父さんがいつかおばさんにすまん事いうたから、あやまらんならんといつも思うとった」母親はなんの屈託もなく「おおきに」と礼を言った。母親は、自分が罵声を浴びせた相手に礼を尽くされたという自らの惨めさに屈することなく、率直な心で初江の謙譲をまっすぐに受け取ったのである。私は初江の徳の高さに感服するとともに、卑屈にならない母親のまっすぐさにも心打たれた。どこまでも登場人物たちはまっすぐなのである。
14章目では、新治が十吉ではなく照吉の所有する船に乗り込み修行する様子が描かれた。照吉からの招待であった。実はこの船には安夫(初江のことを狙い、新治に敵意を抱いている)も乗り込むこととなった。照吉の狙いは、この船で2人の器量を見ようというのであった。親の権威にかまけて、なるべく働こうとしない安夫とは反対に、新治は真摯な姿勢で船の仕事に取り組んだ。台風の夜、船を港に繋ぎとめるロープが切れそうになった時には夜の荒れた海の中を泳いでゆき、ロープを結わいなおした。
15章では、照吉の言動にフォーカスが当たる。照吉の話をまとめると「初めは新治と初江の恋仲に怒っていたが、仲を裂くと初江が元気を無くしてしまった。そこで安夫と新治を同じ船に乗り込ませ、どちらが見処のある男かを試した。結果は新治だ。例の手柄も相まって船長が新治に惚れこんだのだ。だから考え直して新治を婿にもらおう…」というのである。「男は気力や。気力があればええのや。この歌島の男はそれでなかいかん。家柄や財産は二の次や。そうやないか。新治は気力を持っとるのや。」と照吉は続けた。さすがである。
16章、最終章では恋が成就した新治と初江の幸せが描かれた。「今にして新治は思うのであった。あのような辛苦にもかかわらず、結局1つの道徳の中で彼らは自由であり、神々の加護は一度でも彼らの身を離れたためしは無かったことを。」

美しすぎる潮騒という作品の最終章の素晴らしさを余すことなく伝えることが出来ず、なんとも悔しいが、とにかく伝えたいのは清々しいハッピーエンドで潮騒は幕を閉じ、さらには本当に読みやすいということである。潮騒は、とにかく清廉で、最後には願いが成就するというシンプルな作品であった。

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