黄金のレガシー:ロールクエについて

※個人の所感です。また、暁月までのネタバレを含みます。




結論から。
賛否が分かれたり、しょうもない・つまらないと言われたりするのも頷けます。

少数派かもしれませんが、私はそのしょうもなさが嫌いじゃないです

また、黄金のレガシー全体に通ずるテーマをよりライトに描いたものとして、メインクエストと並行で噛み締めさせていただきました。
敵のどうしようもなさ・しょうもなさには頷けるし、内容もコミカルに描かれて見えたけれど、敵味方問わずありふれた人間らしさが面白かった

私は、黄金のレガシーはハイデリン・ゾディアーク編を終えたヒカセンたちが、光の戦士の名をほとんどの人が知らない場所でただの冒険者として旅をする第二の新生編にあたる新天地での下積みを含めたパッチだと思っていました。
名声だけではどうにもならない場所だし、いちから頑張るぞ、わあい、と。
新生編の「知らない相手だけど任せてみようか」という信頼・実績稼ぎの下積みも大好きだった、ぼんやりのんびりとしたいち冒険者から、以下雑感です。




◎ロールクエスト雑感

全ロール触れたいところですが、通っていないロールがある方も多いと思うので全体的なざっくり感想を書かせてください。

今回、敵の動機がかなり等身大な方向に、いやな質感を伴ってリアルです。
無いに等しいし無かった方がいいだろうという動機のくせに、彼らは妙な実行力でもって力を手に入れてしまった。

私は今回の敵の等身大のどうしようもなさに頷いてしまった側なのですが、嫌いな人は本当に嫌いだと思います。
そして同時に、くだらない、つまらないという言葉にも賛同します。

悪いSNSとか言われるやつで、似た人たちをいっぱい見るタイプのしょうもなさだし……。

X(旧Twitter)のトレンド欄で適当な文言押すと石の裏をうっかり覗いてしまったかのような量がいます。毎日います。今日もいます。
子ども向けの人気キャラランキングの操作とかしそうだし、FF外からとんでもない煽りで失礼してそうだし、トレパク騙りとかざまぁ系創作実話とか炎上した芸能人叩きとか話の流れに関係ない場で極端な政治家叩きとかしてそう。
たぶんプロフィール欄の時点でヤバいタイプ。

そしてそれを咎めることは彼らにとって自由という権利の侵害になるわけです。
そして自分と関わりがある国や人々がそのくだらない自由とやらの活動に妙な脅かされ方をするので、こちらも腹が立ったりうんざりしてくるんですよね。

こうなると気持ちがもうクソリプ合戦です

ネットであればこういうのは基本的に相手しないに限るのですが、相手せざるを得ません。祭器とかいう力を向こうが持ってしまったので。最悪だよ。

そして相手をするともう、呆れや不快、苛立ちという方向で精神にくるわけです。なにせ言うことが幼稚でくだらない上に話が通じない。いやにもなります。
私は途中、SNS上において事前防衛的にインプレゾンビや明らかに思想が極端すぎる方をミュートブロックをするときの気持ちに近い状態になったのですが、みなさまいかがでしょうか。


このように悪いSNSだの相手をすると疲れるだのと高説を垂れてきたわけですが、私が彼らのうちの誰かないし誰もに当てはまらない保証は一切ないのが一番ザラつくところです。
鏡に映った己の姿が醜く未熟なことに気づかされた瞬間って、精神にキますからね。

教育番組感があると言ったフレさんもおられて、つい笑ってしまいました。
強い言葉を使いますが、今回のクエスト群は一種の幼稚でくだらない訓話でもあるでしょう。
園児や学生の頃にアニメや授業で見るものに近い。
言われなくたってわかるよそんなの、と聞き流したくもなるような話です。

ただ、私は敵全員に己に当てはまる部分を見出していたので、頭を抱える部分がありおげェ……と声が出かけました。
わかった“つもり”で聞き流そうとしていたのを突きつけられるようで、頭を抱えその後眉間を抑えて天を仰ぎたくなる心情でした。3モーション必要な嫌さ
思えば純真な心で教育番組を見ていた頃から何年が経過したでしょうか。心根の歪みを感じます。
私がしょうもないとは言えるけど嫌いとは言えないし面白いな……となった部分はこの敵のよろしくない部分への共感や、敵対者の持つ理由がコンプレックスや他責癖、ただの興味にあることだって大いに存在するだろうという納得あってのことです。
おげェは言わなかったけど、ッスー……みたいな音は出ました。



◎メインクエストのテーマと絡めて

黄金のレガシーは「知る」ことをテーマにしているかと思います。思いますというか、数日ぶりにプレイしたとしても絶対忘れさせないからなというくらい作中で繰り返されています。
また、知るという言葉で包括された中にどこにでもある人間の相互理解と共存、それに反する不理解や齟齬、精神的な進歩と停滞も描かれていたのではないかと思っています。

どこにでも存在し、時として噛み合わず拗れて深く重くなる。どうにもならなくなって初めてそれに気がつくこともある。
あまりのままならなさと、そこで雁字搦めになってしまう、当たり前に存在する弱さ
そして、そこから一歩踏み出すきっかけがあることの、ことによってはふとした日常に紛れてしまいかねない、ちょっとした巡り合わせと奇跡の尊さ。

対してロールクエストでの自由の翼の面々は、知ることや進歩することの真逆を地で行っています。
都合がいいから集まる。そこにある各々の考えなど知ったことではないから纏まりも何もないし、己の考え方が他にどういった迷惑をかけるのか、それが間違っている可能性があるかを思考することはない。
これは「知る」こととは真逆の、思考停止・自己完結した行いのように思われます。
そこにあるのは、幼稚な考えのまま、他者も自己も省みられず体だけが大人になり、偶然にも力を有してしまった人々の滑稽な姿です。

恐ろしいほどくだらなく身近な、己を悪とも思わないような、空回りで迷惑なだけの悪意と呼ぶことさえ烏滸がましい何か。誰もが知りたくないけれど心の奥底で知っているような、理解し難いと反射的に跳ね除けたくなる、それこそ“正義をもって殴りたくなる”ような人々。
そしてそれをしたが最後、彼らと同じところまで落とされるような振る舞い。
彼らも大概ですが、こちらもまた「知る」って難しいし対応って適切なやり方じゃないとダメなんだな……としみじみ思わされるクエスト群でした。
やっぱ教育番組かもしれない

ただ、強大な力をどう扱うか? といった点や、あまりに身近な存在ゆえに祭器の詳細を知ることがない/利用法の想像がつかないことへの後悔などについてはちいさな子ども向けの教育番組と呼ぶには少し困難なテーマかもしれません。

技術のみでなく関係性の面でも、依頼者と同行者の間に思いの行き違いがあったり、使命と願いの内に疑問が生じたり……ということもありました。
この点は、メインクエストと共に遊ぶことで、より味わい深くなっていたと思います。

ありふれた行き違いであったり、理解困難な主張にどう向き合うか。
そこに強大な力が絡んでしまったら?
ひとつの誤ちが、雪だるま式に惨劇を生んでしまったら?
よく噛んでみたらこれなんのスパイス入ってるんだろう、というタイプの料理のようなお話たちだったと思います。


これは勝手な憶測かつ陰謀論めいたそれなのですが、紅蓮アラミゴ編や暁月ガレマルド編の閉鎖的な暗さに批難が向いた結果がこのコミカルさの皮なのかも、という疑惑を持っています。
ありふれた人々の葛藤、理解しえない立場の違いにどう触れるのかという点においては近しい気がしているためです。気のせいかも。
今回のロールクエストもなんだかんだで楽しかったけど、もしもこの憶測が当たっているならちょっと今度は包みすぎな気もするので、ちょうどいい塩梅とかいう概念は難しいですね……。



◎ヒカセンの立場と各国の現状

私はヒカセンのことを「マルチに色々できるけど、あんまり出張ると事の規模が大きくなりすぎる暴力とコネを持ちすぎたいきもの」だと思っているので、今回各国それぞれ警察・自治組織にあたる人々や民間の協力を取りつけられたのは幸いだったと思います。
終末騒動の先、ヒカセンや暁、首脳陣だけが背追い込まずとも、各国内の自治組織や冒険者ギルドが頑張っている様を見られてなんだか安心しました。

ヒカセンも英雄ではなくいち冒険者としての立場へといったん立ち返る中、今まで旅をしてきた場所が、自力で日常を歩いている部分を覗き見られたことに安堵しています。


これヒカセンじゃなくてもよくない?という言葉も発売当時のおすすめタブを見た限り散見された気がしますが(そしてネタバレを踏みかけていることに気がつき当時爆速で逃げておりましたが)、腕の立つ、様々な土地を渡れる冒険者という条件を満たせる人はあまりいません。その点での必要性は一応のところあったのでしょう。
とはいえ世界を救った人間である必要性は特段なく、ただ偶然トラル大陸に来て、知った土地にまつわる困りを耳にしたいち冒険者として受けた依頼だと思っています(個人の感想です)。

例えば、童話シンデレラの主人公にしてヒロインはシンデレラ、結ばれるヒーローは王子様ですが、二人を結びつけるきっかけを与えたのは魔法使いでした。
眠り姫は呪いをかけられ、王子が現れるまで茨の中に囚われていましたが、呪いを死から眠りまで遠ざけた祝福は妖精の手によるものです。
誰かの物語を見守り、そっと手を差し伸べる。十二時に魔法は解けてしまうけれど、祝福では呪いを打ち消しきれないけれど、その先に未来を見出すきっかけをくれる。
ロールクエストとは少し逸れてしまうかもしれませんが、黄金のレガシーでの“冒険者”は童話の魔法使いや妖精の立場に近いのかもしれない、と思っています。


新生の頃に考えていたことなのですが、主人公に足る器の人だって弱い頃は修行が必要だし、名前が知られるまでは下積みです。初めて来た場所知らない人相手では当然、必要性なんてないはず。
だけど、あのときあのタイミングで、この人がいてよかった。そんな冒険者がひとりいて、それが己だったことは、素敵なことではないかなと思います。

今回であれば、海を渡れなかったり己では力が足りないと不安がる人々が安心してくれた。
海を渡った先、不慣れな地で困っていた人を手助けすることができた。
結びつきのある国々が本当の苦境や混乱の前に立たされるより先に、それを防ぐことができた。

ヒカセンは、そしてかつてのアルバートも、そういった小さな人助けを積み重ねる中でいつしか壮大な物語の渦中のひととなり、英雄になっていたはずです。
また暁月の終わりでは、知神の港まで駆けつけてくれた、必ずしも通る必要はなかったクエストで関わってきたみんなの姿に、ふとした出会いの尊さが沁みるようでした。
始まりが小さくとも、誰かにとってはきっと、人生いち大きな出来事かもしれません。そしていつかそれが巡り巡ってくるかもしれない。

トラル大陸での旅や出会いを契機とした冒険の先、大小様々いろんな物事を積み重ねた先に待つものは、いったいなんだろう。
これからの冒険者や彼らに関わった人々が歩む未来に、思いを馳せています。



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