七夕の短い夜(2024/07/07)
・3~4年前にかなり食べに行っていたラーメン屋が今月末で閉店するらしい。ここ数年で味や麺が変わっていたり、店のシステムも変わってしまったので(替え玉が100円手渡しで出来ていたのが「それするなら大盛りにして欲しい」と苦言を呈されたことがあり)ここ数年は年に一回行くか行かないかくらいになっていたけど、潰れるなら潰れる前に一度行っておかないと。
・3年もあれば大きく変わっていく。好みのラーメンが変わるくらいの些細なものから人生における大きな選択をすることだってあるだろう。私は何かになれるのだろうか。
・まあ気づいたら潰れてたパターンだったとしても、少しだけ残念に思って記憶から消えていくんだろうから、すごく悲しいわけではない。ただラーメン自体は他にないタイプのラーメンなのでそこのラーメン屋が好きな人はどんなラーメンに移行するんだろう。という興味はある。
・ラーメン屋はあるになあるけど自然な旨味をあなたに。みたいな悪い言い方をするなら意識高い系が跋扈するラーメン屋か二郎系インスパイアの店が潰れるラーメン屋の3軒しかないので、本当にどうなるんだろう。と思っている。潰れるラーメン屋はドロドロ系のラーメンなので移行先が本当にない。
・一応数年前に家系ラーメン屋があった。そこが意識高い系ラーメンに変わったのだ。
・あ、忘れてた家系ラーメン屋もあるわ。店主さんがすごく職人気質で私はあんまり行ってない。そこに行くなら電車に乗ってちょっと離れたラーメン屋に行くから忘れていた。別にまずいわけじゃないけど、店内の雰囲気でもう行きたくないな。って店、あるでしょ?
・暑いなあと思いながら外に出た。どうせ明日も外に出る。暑いなあと思いながら。
・流石に暑すぎたので日傘を使わざるを得なかった。天気予報曰くあしたはもっと暑いらしい。日傘を使っても防げない暑さが近くに迫っているだなんて。と恐怖に慄いている。
・いい感じの食事を摂った。サイゼリヤに来たらこれかしか食べてない気がする。私は冒険ができない。いつも決まったものを食べている。
・それは別に決まったものしか食べないと決めているわけではなくて、選択することが出来ないだけである。サイゼリヤのメニューが3つしかなければ私は比較的容易に選択自体をすることはできると思う。多すぎるとやはり悩んでしまうから。
・何かをしていても、何もしなくても平等に時間が浪費される。その残酷さと言ったらない。
・あした目が覚めたら全てが終わっていたらどうしよう。何もかもなくなっていたら、愛する人達がみんないなくなっていたら。わたしはどんなふうにして呼吸を続けていくんだろう。
サポートしていただいたものは、創作活動と、投稿者の活動に役立てます。