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アクノレッジメントと評価の境目の話

「えらい」というスタンプが社内Slackに存在している。これやってんのすげー!というノリで気軽に用いられているが、自分にはこれがマッチしていない。

まず、「えらい」ってなんやねんと突っ込みたい。どんだけ上からなんだこの人たち。最近はスタンプが使いやすいからか、日報にまで「えらい」が使われてきた。本当によくわからん。スタンプがつくこと自体は、自分の日報やテキストを読んだ、ということへのリアクションとして嬉しい。日報制度を取り入れたときに社員にリクエストした内容でもあるので、読むということが続いていて嬉しい。
だがしかし、「えらい」は受け入れられない。自分では絶対に使わないぞと心に決めている。

よくわからなくなってきたので、google先生に聞いてみた。

えら-い
1. 《形》他(の水準)を抜いて、まさっている。
2. [偉] 品行や経歴や才能が立派だ。すぐれた。

自分の何が「えらい」のか、やっぱりわからない。

先日コーチングファームで開催されたイベントに参加してきた。相手の存在をアクノレッジしよう、という会に参加した。

アクノレッジメントは、「結論から話すようになったね」「マーケティングの勉強も始めたんだね」「この1年、目標を達成し続けているね」というように、変化や成果を「事実」として伝える

「話し方がわかりやすくなって、前よりいいよ」「君は勉強家だね」「君ってすごいね」というようなほめ言葉や賞賛には、相手に対するなんらかの「評価」が加わります。そのため、人によっては受け取りにくかったり、それがないとやる気がでないというような「アメとムチ」構造の「アメ」になってしまう恐れもあります。

https://coach.co.jp/leaderlec/20170914.html より引用)

つまり、「えらい」はアクノレッジメントではなく、「評価」である。そして自分は「えらい」に褒められている認識が起こっていないため、アクノレッジメントを感じられていないのだろう。

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