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英語に強くなる話 5:話す

サー、今回はもしかすると読者が最も興味のある話「話す」について話しましょう。前回紹介した「文のパターン」を100から120ぐらいマスターすると、普通の日常会話はできるようになります。で、ここでは次のステップに行きましょう。次のステップは残念ながら、多くの日本人にとってあまり簡単ではありません。

英語での少し仲良くなったグループ、パーティなどに参加することもあると思います。ビジネスをしている人は仕事での会議、そのあとのちょっとした飲み会(Reception)のようなものもあるでしょう。このシリーズには美しい人たちが仲良く話しているような写真を冒頭に載せてきましたが、現実はなかなかこうはいかないのです。外国人や英語のできる日本人がワイワイやっていても、自分は黙ってニヤニヤしているケースが多いのです。

何が問題か?少なくとも二つあります。一つは日本の文化的背景、もう一つは話すことがない。

文化的背景とは、日本の文化的価値観としてまだまだ静かに流れている「男は黙ってやることはやる。」という考えです。マー、昔の三船敏郎のイメージでも頭に入れている人が多い。本当はどう考えてもサムライとは似ても似つかない人も自分に都合のいい時だけサムライになる。というわけで特に日本の男はあまりしゃべらないことが美徳のような文化がある。女性の方がずっと状況はいいのですが、彼女たちのほとんどは親なり学校の先生から「知らない人とは話してはいけませんよ。特に変なおじさんは何をするかわかりませんから。」と小さいころから毎日のように言われている。これは話すのに障害になるでしょう。日本よりずっとおっかないアメリカでは親や学校の先生はこのようなことを言わないのです。それどころか、ほとんどの日本人が驚くのは、多くの知らないアメリカ人が、ちょっと目線が合うとニッコリするのです。かわいい女の子からこれをされると経験がないので、「彼女オレに気があるんじゃないか。」などととんでもない勘違いをする日本男児がいます。

日本人がよくしゃべるシトゥエーション(1960年代流行ったフランスの実存哲学者サルトルの’Situacion" という本を思い出しました。)があります。前からよく知っている仲間と一緒にいるときです。大体がこれらのグループは5,6人、せいぜい10人ぐらいでしょう。そこではそこでしか通じない言葉、表現がまかり通り、他人を寄せつかせないのです。これは日本の伝統的農村地帯のムラ社会から由来するものと思います。この制度は長い歴史から自己防衛を目的として出来上がった制度でしょう。ムラには硬い鉄則があり、その規範に従わなければ「村八分」にするのです。これは現代社会の「いじめ」にもつながっているでしょう。そして外から来る人に対しては「どこの馬の骨だかわからない。」と言って拒絶するのです。ここのところを非常に深く、うまく描いたのが、日本映画最高傑作の「七人の侍」です。このようなグループへアメリカ人的な英語を話す人が入れるわけはないのです。

この日米の会話レベルがはっきりする例を書きましょう。私のかみさんが「日本のレストランに比べ、アメリカのレストランはうるさいよね。わたしは静かなのがいいけど。アメリカのレストランはなぜこううるさいのかしら。」私はこの重要なかみさんの質問に答えようといろいろ考えました。床に絨毯があるか?1平方メートル当たりの客の数は?テーブル間の距離?天井の高さ?客全部の数?などいくつかの仮説を立ててみたのですが、あまり説得力がありません。(マー、個人の自由でいいけど、この人全くくだらないことによく頭を使うよね。)6か月ほど前に日本に行き、その時行ったレストランでこの重要ななぞは解決したのです。日本人はレストランであまりしゃべらないのです。またしゃべっても、小さな声でするのです。マー、それに比べてアメリカ人は。気を付けてみているとデートで来ているような若いカップルもあまりしゃべらないのです。これは私のようにそのようなチャンスには相手に気に入られるため、NHKの番組で見た鳥や他の動物が雄が雌に求愛するように、延々としゃべりました。(オレが日本であまり持てなかったのはこの辺に原因が?今頃気づいても全然遅いかー。)

ここまで書いてきて、「いや、この問題はもっと深いのでは?」と思い始めました。私がまだアメリカの大学院へ行っていたころ日本に数年間いたアメリカ人と仲良くなったのです。そこで彼は「日本人は生まれた時すでにアイデンティティがあるが、アメリカ人はなく、一生それを確立するために努力しなければならない。」ここでアイデンティティとは各個人のそもそも自分とは何なんだ、生きる目的、社会的な位置、役割などを指すのでしょう。ここに日米の文化的な根本的な違いがあるのです。ここから人間関係、会話の運び方などが違ってくるのは当然でしょう。

多くの日本人は生まれた時から、環境、特に親の職業や所得で自分に何が期待されているか、何をしなければならないか相当わかっているのです。こうなると、いろいろな人といろいろな話をして、自分の立場を知る、確立するという努力から免除されます。周りの人たちもそのようなルールに従って生きているので、話さなくても大体状況はわかるのです。「ア,ウン。」の呼吸なのです。「話さなくてもいい、わかっている。」なのです。

「そんなに込み入っているなら日本人がアメリカ人みたいに話すのは無理じゃーん。俺(私)もう英語の勉強なんかやめようかな。」と言われそうですが、その苦境の中からどうやって希望の光を探すか、次の記事で話します。


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