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語学教育問題:制度疲労?

今回は私が昔から興味を持っている日本における語学、特に、英語教育の問題点を私なりに話したいと思います。私はこの分野の専門家ではないので、多くの専門家がすでにいろいろ分析してきたと思いますが、マー、私もいろいろな語学や他の面白い経験をしてきたので、私の言うことに興味を持ってくれる人もいるかもしれません。私が興味をもっているもう一つのテーマ、制度の観点から話したいと思います。

上の写真は私が勝手に借りてきたイオンのウェッブサイトのものです。このような広告はチラシ、雑誌、新聞、テレビ、ウェッブサイトなどあらゆるメディアにいくらでもあります。これらの広告の驚くべきことは、私の知る限り、全部、日本人を含めた外国人が微笑んで幸福そうな顔をしていることです。そして、全員美しい善男善女そうで、メッセージは「あなたもこの学校なりクラスに入ればこのような素晴らしい人たちと友達になれ、いいところに就職でき、幸せになれます。」というものでしょう。私もこうなれば素晴らしいと思うのですが、その半面、普通の学校へきちんと行っている学生が、なぜそれに加えて高いお金、貴重な時間を使ってこのようなクラスへ行かなければならないのかという疑問がわきます。マー、目的がこのような写真にある美しい人たちと仲良くなろうというのが主な目的であるならいいのですが。

マー、理由は何であれ日本人が莫大な時間とお金を使って、英語ができるようになろうとしている涙ぐましい現実があります。このようにあきれるような努力にもかかわらず、日本の学生の英語力はアジアで下から二番目で、日本より下は北朝鮮だという非常に悲しい現実もあるのです。これに対し、英語教育改善の一環としては外国人教師や小学校からの英語授業などを導入しています。今回の大学入学共通テスト改革は文科省の大チョンボではないかと思うのですが、改革に反対する大きな力があったのかもしれません。このように現在英語教育問題は流動的に動いていますが、これらを制度問題として検討することも重要だと思います。

制度の問題はノーベル経済学賞を受賞したダグラス・ノースの「制度原理」に書かれ、注目を浴びましたが、このテーマは実に面白いもので、この本は題は堅苦しいですが、(ちょっと題のつけ方間違っているよなー。)とても読みやすいので、興味ある人はぜひ読んでください。ここで制度とは、法律や組織など具体的なものだけでなく、習慣や文化を基にした、社会の規範(Norm)がいかに社会、経済発展に重要かを説いています。社会が発達してくると、規則、組織ができ、また同時に規範も生まれてくるのです。しかし、時間がたつと社会自身も、状況も変化し、それまでの制度では社会がうまくいかなくなることがあります。これは、それまでの制度が疲労してきて、社会、経済、政治が停滞してくる場合でしょう。社会がダイナミズムを保てるかは、すばやくこの制度疲労を認識して、制度を修正できるかにかかってきます。違った言い方をすれば、社会や状況の変化に素早く対応できる社会が繁栄し、できない社会は衰退するのです。(基本的なダーウィンの進化論ですね。)制度変革が望まれるとき、制度の変革を妨げる要因は、多くの場合それまでの制度から利益を得てきた人たちの妨害でしょう。彼らはグループを作り、それまでの制度から出る利益(既得権益)を守ろうしますが、その力はものすごいものなのです。日本の英語教育界でどの組織、人が既得権益を守ろうとしているか私にはわかりません。ただどのような制度にもそこから便益を得ている組織はあり、人はいます。

興味深い制度改革に関する研究は多々ありますが、私が大学の貿易の授業で話したことを思い出します。ある貿易自由化政策を支持している国民が大多数で便益も得られるのに、なぜ少数の既得権益グループはその政策を阻止することができるのかというテーマです。結論は、多くの国民にとって政策の損益は漠然としたものですが、既得権益グループにとって直接的で、具体的なのです。少なくともこのグループはそう思っているのです。このような場合、このグループの力は非常に強く、一般国民の支持はあまり強くないので、政治家もその自由化政策をあきらめるというものです。ここでマスメディアがこの政策で非常に困る人たちの、どんなに数は少なくても、動画なり写真でも流せば既得権益グループの勝ちです。

私はこの30年の日本の経済停滞は制度疲労が重要な原因で、英語を含む教育分野でも相当制度が疲労していると思います。英語教育分野でも外国人教師や小学校からの英語授業などの導入をしていますが、より根本的にその制度、また制度改革を阻む要因をじっくりと考察しなければいけないでしょう。大きな制度改革と既得権益構造を崩すことが成功するかは外部状況の力で決まることが多いです。徳川幕府やソ連という巨大で強力な制度もそれより大きな外部の力で崩れました。日本政府も貿易自由化にはいわゆる外圧を使いました。(私の聞いた話では、日本の政府高官がアメリカの高官にどのように日本に圧力をかけるべきか教えていたこともあるそうですが。)アジアで最下位を競うような悲惨な英語教育の状況、政府が音頭を取っている日本の国際化の促進が現在の英語教育制度を改革する大きな力になる可能性はあると思います。このように少なくとも外部状況は制度改革に向かっていると思います。また、文科省も大学入学共通テストの問題をこのまま放っておくわけにはいかないでしょう。そこで、まずやらなければならないのは、これが日本の組織が最も不得意なところなのですが、第3者による制度の根本的な評価です。相当損益が絡んだ込混みいった組織論になるかもしれませんが、ここのところをきちんと分析し、把握しておかないと、制度改革は中途半端なものに終わってしまうのでは。

しかし、留意しなければならないのは、日本の英語問題というのは、少し大げさかもしれませんが、長い日本の歴史、習慣、文化が絡まっているように思われるので、単に英語教育界を改革してもあまり効果はないかもしれません。だがもしそのように根がとても深いものであるなら、そこをはっきりさせ、そのことを改革する方は理解していなければなりません。

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