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「序章〜鉄オタの始まり」

母の故郷は熊本県にある天草という島。

天草へ行くにはブルートレインに乗って「水俣」という駅で降りて高速船に乗るか、「博多」まで新幹線で行き、そこからは『つばめ』という特急列車に乗り換え、水俣で高速船に乗船するという二つの方法がありました。

と言っても何十年も前の昔の話。
今だと九州新幹線で「熊本」まで行き、バスで渡るのがベストなのかな?
祖母が亡くなってからは久しく天草に帰ってないのでよくわからないです。

ブルートレイン

物心ついた頃、最初に乗ったブルートレインは3段ベッドだったような記憶が微かに残っており、それからは2段ベッドでした。
そのブルートレインは「なは」という名で祖母宅に帰省する度に乗車。
ブルートレインと高速船に乗って牛深へ行くことは子供心ながら大冒険をしているようでワクワクしたことを思い出します。
今でこそ行き方や距離感もわかるけど、小さい頃は未知の世界へ行くような感じでしたから。

それが鉄オタになった私の始まり。
祖母宅へは殆どブルートレインで行き、気付けば親にブルトレの本をねだり買ってもらうぐらい好きになっていました。
新幹線は往路より復路でよく乗車してた記憶が残っています。
というのも、祖母宅から自宅へ帰る途中、母の姉の家がある博多に一泊し、新幹線に乗って兵庫県のとある駅で降り、自宅に帰宅していたからです。

ブルートレイン、特急、新幹線。
私を鉄オタにしてくれた三大列車。
祖母の家が遠くに離れていたことで何度も利用していくうちに魅力にハマらせてくれた。

でも、それは序章に過ぎず、鉄オタへの道を歩み始めたのは主人との出会いが大きいです。
今でこそ鉄子という言葉があり、女性の鉄道ファンにも人権が与えられていますが、昔は女性が鉄道好きを公言すると好奇の目で見られ人権すら与えてもらえず、恥ずかしさもあってなかなか鉄道が好きということを言い出せずにいました。
そんな私が鉄オタ、鉄子というのを自覚をしたのは同じ鉄オタの主人の存在。
鉄道好きを恥じることもなく一緒になって楽しむことが出来る。
主人に出会わなければ鉄オタになることもなく、鉄道好きを隠していただろうし、鉄道系YouTuberさん達の動画に興味を持たなかったかもしれない。
そう思うと主人との出会いは必然で感謝してもしきれません。
最後のほうは惚気になってしまったけど、私の鉄オタの始まりをnoteに書いてみました。
きっかけを聞いてもらいたかったというのもありますが。

語彙力と纏まりない長文を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!
これから鉄道について色々と話せたら…と思っています。


記事写真のヘッドマークは2014年に閉館した交通科学博物館で撮影したものです。
「なは」のヘッドマークはありませんが…😅