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Memory Train「3つの味」

徳山に行く時は、子どもだけだったら普通列車の3等車。くすんだあずき色の車体には鋲がいっぱいに打たれていた。車体の中央には白くⅢのマーク。家族で行く時も3等車だったが、列車はいつも急行「筑紫」。下関駅発10時12分。徳山まで普通列車なら3時間だが、急行は2時間半。11時半頃に小郡に停車する。ここでのお楽しみは「駅弁」。買うのはいつも、今でいう松花堂弁当だ。

で、これがじつに旨かった。おかずは卵焼きに、サバの塩焼き、かまぼこ2切れくらいで通り一遍だが、はっきりと覚えているのはごはんのうまさ。粒がしっかり立っていて、甘かった。つめたいのにうまい。「やっぱり一升焚きのごはんはおいしいね」。母の口癖だ。ご飯は大量に炊けばおいしさは何倍にもなると話した。

その後随分たってから東京は浜松町裏の洋食「キッチンフジ」で宝石のようなごはんに出会うまでは、ごはんと言えば小郡だった。その店もバブル期の地上げで追われ、小郡も新山口駅と名称を変え、新幹線のぞみが猛烈なスピードで通過するがらんとしたホームでは、もう弁当を買う気も失せてしまっている。

なぜそんなものが登場してしまったのか、その理由が全くわからないのが「冷凍みかん」。たしか赤いネットに3、4個入っていたような記憶がある。その頃の冬のおやつといえばみかんだったから、なにも夏にもまた出すことないじゃないか。もう、うんざり。というのが私の感想だった。

それでも、買い求める人は多かったのだろう、何年間かは目にした。一度もらって食べようとしたが、皮を剥こうとすれば実が崩れ、つかんだ指が果肉に突っ込み、果汁が足もとに滴るばかり。冷たいみかんの置きどころもなく、つかんだまま途方に暮れた。ついに一片も口にできず、手を汚すだけの代物だった。食べるタイミングが悪かったのか、それとも冷凍ミカン独特の食べ方というものがあったのだろうか。素焼の茶瓶など鉄道の旅から消えてほしくなかったものはたくさんあるが、これだけは消えてくれてよかった。

「アイスクリーム」の登場は驚きだった。クリーミーで濃厚だった。町で買い食いするアイスクリームとは次元のちがう味だった。食べたのはたしか列車が「三田尻」(今の防府駅)の停車時。「アイスクリン、アイスクリン、アイスクリン・・・」と列車の窓を売り歩く声がした。アイスクリーム売りの声をその時はじめて耳にしたのか、それ以前にも売り歩いていて買わなかったのかもう忘れてしまったが、この「アイスクリーム」との出会いはサプライズだった。

値段は50円だったか、30円だったか。駄菓子屋では5円でアイスキャンデー、10円でアイスクリームくらいだったから、かなり高額な商品だった。いまでこそ「アイスクリームと言えるのはアイスクリームだけで」、類似品に「アイスミルク」と「ラクトアイス」があるのは知っているが、それはそのアイスクリームと言える「本物」のアイスクリームだったのかもしれない。少しずつ豊かになっていく戦後が、旅する人の財布をマーケティングした結果の味でもあったのだ。

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