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武術的老子解説

原文

上善は水の如し。
水は善く万物を利して争わず、衆人の悪所にいる。
故に道において幾なり。
居に善く地、心は善く淵、与えるは善く仁、言は善く信、正は善く治、事は善く能、動は善く時。
それ唯争わず、ゆえに最も無なり。

解釈

水は上善というべきものだ。
水は善く万物の役にたって戦うことはない。
みんなの役に立ちながら、汚れ役に徹している。
ゆえに道においては、もっともその働きに近い。
地中から出て、万物を生み育て、多くの命を思いやり、その言葉は裏切らず、その性質は万物をよく治め、よくその能力を発揮し、時とともに動き続ける。
少しも争うことがない。
水は道そのものではないが、万物の中では最も道の性質を表している。

コメント

かつてブルースリーが言った。
「友よ、水のようであれ。」
万物の中で、水が最も道の働きを目に見せて教えてくれる。
しかし、武術において、自分が水のようになめらかに流れるように動くことが理に叶ったことだと思った瞬間から、技はかからなくなる。

それはあくまで水の動きを真似したものであって、ただの形態模写である。
水の形態模写で自己満足しても、相手はその舞台に載ってはくれない。
こちらは流れたいが、あちらはそんなこと知ったことではない。つまりこちらは水の真似をしようとしても、思いきり打たれれば壊される、潰されるだけ。
水みたいに真ん中から裂けてまた元通りになりはしない。人体はあくまでも水にはなれない。

しかし、水の働きをすることはできる。

地面を流れるように歩き、相手の重心を預かることなく動く。
支点を固定しなければ、相手はこちらに接触したまま流れていく。
流されまいと踏ん張れば、こちらの攻撃をまともに喰らうことになる。
この道理を相手が悟れば、争うだけ無駄だということがわかる。
かくしてお互いが傷つけあうことなく、それぞれの川を流れていく。

これこそがおおいなる仁、上善水の如し。



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