21/7/25 日記

最近の思考の散漫なアウトプット

オリンピックの開会式を見た。入場行進の途中からしか見られていない中での感想だけど、こだわりを感じるところと意図を図りかねるところが混在していて、細部は楽しめたりグッとくるところもあったりしたけど見た限りでは軸を感じられず総じて残念だったと感じる。根底のコンセプトと流れがいかに重要かと改めて思い知らされる。

今回のオリンピックは家族をはじめとする自分の周辺環境ががっつり携わっていて、各々が色々と制限も多い中で信念をもってできる限りのことを頑張ってきたのだろうことを知っている中、自分としては煮え切らない思いを抱えて今に至るという状況で。思うところは色々とあったので整理しきれていないけどここ数日での思考をアウトプットしたいと思う。


・指摘や批判と「否定」を混在してはいけないという指摘をみて、それよと思う。色んな思惑や忖度が渦巻いてこうなってしまった結果に対してもっとどうにかなったでしょう、残念が過ぎると思っても、実行者に対して「否定」はしない一方で、家族であっても迎合はしない自分でありたい。

・精一杯頑張っている人たちに対して何もしていない人がどうこう言う権利はない、は違う。批判者は指摘・批判を受けてどうするかは実行部隊に決定権がある(自分の思うとおりに行かないことも十分ある)ことを理解する必要があるし、実行者は指摘・批判を「否定」とマイナスに捉えるのではなく、持ち得ていなかった目線を与えられるきっかけにもなり得ること、一方であくまで決めるのは自分であることを理解する必要がある。

・多様な考えを受容できて、かつきちんと自分がどうしたいかは自分で判断できる自分でありたい。決めつけない。人の考えとその人自身を否定しない。指摘や批判を受けることを恐れず、きちんと必要な指摘や批判を素直に受け止められる柔軟性を持ちたい。一方で雑音は雑音と切り離せるようでありたい。

・どこまで個の思考を表に出すのか。TPO。私は「否定」でなくても、「否定」と捉えられてしまって傷つけるのが怖い(し、人間関係を崩すのも怖いし)のでフラットに捉えてくれる限られた人にしか語らないがちなのだけど、これがいいのかは要検討。そもそも自分の思考が十分なものでないことが多いのでかっこ悪い思いはしたくないとかいうプライドも邪魔をしている気がする。

・信念と十分な思考をもって仕事をする。効率よく省力化して進めたくなりがちな自分だけど、進められればいいってもんではない。箱だけできても中身が伴わなければ意味がない。誰得案件に関して思考停止してはいけない。過去の事例から学べることは沢山あるのできちんと理解することはとても大事だけど、思考停止の模倣は悪。歴史がその時においても正しい判断だったとは限らないし、その事例においては正しい選択だったとしても、環境が異なる中それが準用できるとは限らない。

・見ないふりによる思考停止によって進む状態と咀嚼して受容して進む状態は大きく違う。

・フラットに誠実に実直でありたい、本当に。

・人に対してどう働きかけるのか。他人の人生にどう関わるのか。「他人を変えられるか」に対してどう考えるのか。人は人、自分は自分の思考が強いので他の根本を変えられるとも思っていないし、人の考えに口出ししすぎたり押し付けたりする行為は嫌いだけど、人に選択肢や材料を与えるということで他人の在り方に影響を与えることはできるんじゃないかなというのがここ数年の思考。匙加減が難しい。その人とより真剣に関わろうとすると、その分エネルギーも使うし気持ちの揺れ幅も大きくなるけど、プラスのことも大きくあって、そういったことをサボってきたから、ちょっとずつ意識していきたい。

・メディアリテラシーを持つ。きちんと見極めようという姿勢と、自分が見えている世界がすべてとは限らないという謙虚な気持ちは持ち続けたい。よりよくしよう、正しくあろうとしている人が報われる行動を取りたい。本物への応援・投資。お金の使い方。身の振り方。

・あふれかえる情報と上手に付き合っていきたい。自分がよりよく、より楽しくあるためにアンテナは張りたいけど、自分の心をすり減らさないように適度な距離感を保つ。

・人の純粋な想いを大切にできる人でありたい。