21/7/2 ここ最近の日々の記録

一度習慣が途切れると手を付けるハードルがあがる、あるあるよね。という言い訳から始めてしまったけど、最近なんだかんだ色々あったのでぱらぱらとアウトプット。

6/19
相手の人と色々と話す。これからのこと、苗字のこと、関係性のこと。わたしはあいまいでなあなあな状態は落ち着かないたちなので、はっきりさせたいことをある程度ゆっくり話せてよかったなと思う。
そのとおりに進むのであればこの生活もあと1年弱らしい。だからといってこれをやってやろうみたいなものは特にないのだけど、今のこの部屋での日々は後から振り返ったときの支えになるような、宝物なような、そんな気はする。なんでだろうね。

6/26
最近ピアノをまた趣味で弾きはじめたわけですが、やはりタブレット+レッスンの限界を即感じてしまったこともあり、思い立ってキーボードのビアノを買った。選ぶとき、久しぶりにるんるんしてしまったよね。頑張る必要はなくて、気まぐれにピアノを弾く時間が生活を彩るものであり続けられたら嬉しいなと思う。そして練習すると少しずつ弾けるようになるから純粋に嬉しいのだよね、単純なので。

6/27前半
もうすぐボーナスも出ることですし、と自分に甘い言い訳もしつつ、ちょっと大人なのでちょっと大人ぶって銀座でバッグ探しの旅に出る。あんまりバッグ所持欲はないのだけど、最近ふいにこういうのあったら自分の外出スタイルにばっちり合うから便利なのになと気が付いてしまった。んでもやっぱり見始めると楽しいもので、欲が出るもので、納得いくまで探したくなるのよね。悪い癖よ!おかげで学生時代は毎年納得のいく手帳を選ぶのが大変だったよ!(しまいには自分でつくっちゃってたよ!)
とても気に入ったのが一つあって頭から離れないのだけど、さすがに贅沢しすぎかなという気もして悩ましい。ということで鞄探しの旅はまだまだ続く。
鞄もそうだし洋服も、最近買い物がとても楽しいのは自分のスタイルや好みが分かってきて、それに自分でもしっくりきていて、大人なので思い切れば私の見える範囲の欲しいものは手に入らないこともないからよね。大人の醍醐味だ。
そう、大人って楽しいなと思っているし、そう思い続けられるようでありたいんだよね。学生時代の楽しかった思い出はキラキラした宝物で、なかなかそれと同質のものはこれから手には入らないのだろうけど、学生に戻りたいとも、歳をとりたくないとも私は思わない!思いたくない!歳を重ねるとまた違う世界が見えて、新しいものに出会えて、重ねてきた経験が糧となって少しずつだけど自分が人としての厚みを持てるようになっていると感じるよ、そう感じ続けたいよ。そしてかわいい今中学生真っ盛りのいとこ君にもそう思ってもらいたいよ。伝えたいんだよね。気恥ずかしくて真面目な話なかなかできないんだけどさ。

6/27後半①
夜、父親とご飯を食べる。父親と二人ってのは久しぶりだったかも。何気ない話から、父親が祖父に対して若い時に抱いていた感情と今の思いについて話を聞くことになった。
祖父はそれはもうマイペースで過剰に自信に溢れていて自分本位な人で、今だからこそ孫世代の私たちや子供世代の父親や叔父は半分笑い話にして対応できるけど、非力でまだまだ親が絶対的な存在である10代前半でこの祖父を父に持っていた私の父の苦労や反発心、憎しみは想像するだけでとても大きなものだったのだろうと思う。だからこそ父親は自分から祖父母と一定の距離を置いて大人になったものの、祖父母が高齢になって、今なら優しくできるかも、優しくしたい、取り返したい、許したいと思っていること、でもやっぱり人はいくら歳をとっても本質的には変わらないからどうしても衝突してしまって、どうしても変わらず許せない自分がいて、その自分にも嫌気がさすけどもどうしようもないこと。そんなこれまでにないレベルでの父親の本音を聞いてしまった。
父親は極力弱さを見せようとしない人だからさ。私も妹も家を出て、母親と2人暮らしになって、「子育て」がひと段落ついて、父親としての肩の荷が下りたのかもしれない。親子ではあるけど、ひとりの大人として対等に接してもらった気がして、嬉しかったな、うん。この感情はそうなんだと思う。なんだか少し切ないけど。なぜか書きながら涙が出てきているけど。
そして、ここ1,2年、ハイペースで祖父母のもとに父親が訪れている理由は祖父を許したいからで、優しくしたいからで、でも実はそれだけでなくて、過去の記憶によって生じた義務感を覚えていることが分かってしまい、自分まで少し苦しい気持ちになる。祖父が今の父親と同じかもう少し若い時、親孝行のために家族を連れて2週間に1回という驚くべき頻度で祖父・曾祖母の家を週末に訪れていたらしい。父親はその姿を見てきたから、自分もそうしなければって縛られているところもあるんだろうな。
良くも悪くも幼い時の家族の記憶はずっとそれぞれの人の中に残り続けて、その人の支えになることもあればその人を縛ることにもなるんだろう。切っても切れないから家族は難しいとはよく言うものだけど、それを深く感じてしまった、そんな夜。つづく。

6/27後半②
家族の話以外にも父親との話で印象深かったのが仕事に関する話。これもね、とてもフラットな会話だったのですよ。嬉しかったな。
父親から指摘をされた私の未来予想図(=父親がぶつかったこと)はとてもとてもありそうな話で、親子だなと思う。自分の考えを持ってまっすぐ仕事に取り組もうと思うがために頑固になってしまったり、自分がやったほうが早いやと思って仕事を部下に任せられなかったり、部下ふくむ周りの人の仕事の不十分な点が気になってしまって口をはさみすぎてしまったり。めっちゃありそうな話すぎる、学生時代に身に覚えのある話すぎる。
父親がこの状態から抜け出せたのはここ2年くらいの話なんだって。仕事をしている父親の姿は普段見えてこないし、そんな話も聞いたことなかったからさ、話してくれたこと含めてびっくりよ。そして抜け出せた理由は組織体制を整えて意思決定の構造を明確にしたこと、信頼できる部下を持てたことなんだと。この話は10年後の自分への大きなヒントになりそう、心に刻みたい。