読書感想小説 『砂漠と異人たち』
僕は名古屋での生活に疲れ切っていた。専門学校を卒業した後、地元の富山を出て名古屋で就職した。有名なイタリアンのシェフ見習いとして働き始めてから、もうすぐ1年が経つ。
住み慣れた居心地の良い故郷や、学生時代の友人たちと離れるのはとても辛かった。でも、これ以上家族と一緒に住んでいても仕方がなかった。その生活から得られるものは何もない。彼らの近くに住むことさえ、選択肢にはなかった。
僕は盆休みを利用して、鳥取旅行に来ていた。どうしても砂丘を自分の目で見て、自分の足で踏みしめたかった。
名古屋には人が多い。故郷の富山と比べれば、その差は歴然としている。通勤電車はパンパンだし、オフィスビルも人でひしめいている。ランチタイムに入れる店もほとんどない。休日には主要なアクティビティ・スポットも家族連れで埋め尽くされている。
僕は人疲れしていた。人が嫌いなわけでも、コミュニケーションが苦手なわけでもない。むしろ人と話すのは好きだし、大抵の人と限りなく自然体で接することだってできる。
とはいえ、これだけ多くの人間と共に生活していたら本当に疲れる。僕は人と一対一でゆっくり話すのが好きだ。そんな濃い人間関係を好む人間は、上手くは言えないけれど人の波に呑まれると疲れる。都会では、多くの人に認められようという強い欲求が各々に育つ。人が多い環境に適応しようとする本能だろうが、うんざりする。自分にも、他人にも。
もう人から離れたかった。人があまりいないところに行きたい。そうして砂漠に行こうと思った。
鳥取砂丘を歩いていると、途中で休憩所があった。公園にあるような、正方形の机の周りを2人がけのベンチが囲んでいるものだ。屋根もついている。そこにおじいさんが一人座っていた。
「若い人は元気があるねえ」
「いえいえ。あなたこそ疲れているようには見えませんよ」
「わしは砂漠を歩くことに慣れているからな。君はどうしてこんな何もない砂漠を一人で歩いているのかね」
「人がいないところに行きたかったんです」
「人疲れしたんだな」
「そうです。人疲れしました。人が多い場所ほど一人の人間の価値は下がり、承認や評価や金銭の価値が相対的に上がります。でも僕はそういったものにあんまり興味が持てないんですよ。無意識のうちに理想の自己像を押し付けられ、それを演じていることに気付かない。そんな人と話していると疲れます。僕は自分を飾ったりよく見せようとしたりすることに全然興味が持てません。だからモテませんし、集団行動もできません」
「なるほど。物理的に人から離れるだけではなくて、それにより承認や評価や金銭といったものからも逃れたかったんだな」
「人に認められようとすることの何がおもしろいのか、僕には分からないんです。僕は一流のシェフになるために、小さい頃から料理の勉強ばかりしてきました。両親もシェフとパティシエでしたから。僕の料理が上達すればするほど褒めてくれました。それ以外のことではあまり褒められませんでしたが。
でも高校を卒業して調理専門学校に入ると、料理が全く楽しくなくなりました。そこでは手際よくスピーディーに料理を作ることと、少しでも料理の質を高くするために研究を怠らないことが求められました。言い換えれば、それしか求められなくなりました。料理以外のことに興味がない人や、考えることを放棄するのに長けている人が好成績を残し、良いレストランに働き口を見つけました。僕はあれだけ好きだった料理が好きではなくなったんです。適当に自分のために料理をすることは好きですよ。でも、認められるための料理には何も見出せません」
「君は、自分が自発的にやりたいと思うことでないと、くだらなく見えるんだね」
「まあそうです。求められることをこなすのが仕事なんですけどね。恋愛もそうですし、SNSなんかもそうです。でも、絶え間ない承認をめぐるゲームに僕は疲れました」
「せっかく砂漠に来たのだから、君のように疲れ、砂漠を求めて歩いて来た人間を2人教えてあげるよ。アラビアのロレンスと村上春樹だ」
「はい」
「アラビアのロレンスは、1900年代のイギリス人だ。オックスフォード大学で学んだ秀才だが、イギリスの一見全てがまともなようで、何一つまともではないエリート意識にうんざりした。そして彼は中東研究にハマった。中東には彼の求めている何かがあると思ったんだろうな。そして第一次世界大戦が起こると、敵国オスマン・トルコに対して被支配民族を率いて闘った。イギリスではなく中東で自分の求めているものを見つけようとしたんだ」
「イギリスで認められようとすることが馬鹿馬鹿しくて、中東でやるべきことを見つけたわけですね。幸せそうじゃないですか」
「ところがそう上手くは行かなかった。中東で現地の民族と仲良くなり、共に支配勢力を倒して自由を手にする。そんなハッピーエンドには続きがある。ロレンスはイギリス軍における救国の英雄として、戦後崇められる。そうして著名人となったロレンスは、次第に精神を病んでいく。自分がくだらないと思っていた共同体に賞賛され、同時に言われのない中傷も受けたことがつらかったんだろう」
「ロレンスは、中東で心からやりたいことを見つけました。そしてそれを実現しました。でもその成果も、大英帝国、第一次世界大戦、植民地主義、資本主義といった大きなシステムの中で成否が判断されるものに過ぎなかったんですね。100年前から、我々がどれだけ大きなシステムから逃れて生きようとしても、どこにも外部はない」
「そういうことだな。ロレンスはイギリスを離れて中東に行ったとしても、承認をめぐるゲームからは逃れられなかった」
二人は水を飲み、しばらく無言になった。僕はおじいさんにまた話しかけた。
「村上春樹はどうやって承認をめぐるゲームから逃げようとしたんですか?」
「彼は一人の女性による深い全肯定があれば、社会的承認と個人的なライフスタイルを両立させられると踏んだ。どちらも求めるどっちつかずの態度では、しばしば男性は現実と上手く接することができなくなってしまう。ちょうど今の君もそんな感じだと思う。社会と接点を持つことや、嘘をつくこと。これらの点で女性に助けてもらおうとした。個人的なライフスタイルにこだわり過ぎて社会から外れ失敗することもあるなかで、それでも承認し続けてくれる女性がいれば、両立を実現できると彼は考えた」
「そうやって、社会的に認められつつ個人として満足に生きられたならよかったじゃないですか」
「そう単純な話でもないよ。村上春樹は強すぎる。社会的な評価をされつつ、その過程はどこまでも自分勝手だ。あんなの誰にも真似できないよ。それに、妻の負担が大きすぎる」
僕はあまり納得できなかったが、それでもおじいさんと話を続けた。
「それではあなたは、ロレンスや村上春樹とは違う方法で承認をめぐるゲームから逃れるには、どうすれば良いと思いますか?」
「ロレンスも村上春樹も、強さにこだわっていた。ロレンスはイギリスではないどこかで強さを追い求めたし、村上春樹は妻に認められるために強さを追い求めた。でもそれではいずれ限界がくる。
だから、自分が弱く、移ろう存在だと認めよう。歴史の一部に過ぎないと認めよう。そのためには、ランニングではなくウォーキングをしよう。自然や絵画や小説や歴史といった、人間以外の事物と触れ合おう。そして自分でも何かを創り、それをもって人と交わろう。評価をし合うことなく」
僕は納得したようなできないような複雑な気分で、おじいさんに別れを告げて休憩所をあとにした。そしてまた砂漠を歩き始めた。
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